長い人生でいろいろな所へ旅をしました。印象深い旅もありました。感動的だった旅は北海道の東の端にある荒涼たるトドワラ、ナラワラ、野付湾への旅です。
それは北海道の東部を巡る旅でした。川湯の「KKRかわゆ」に3泊し、トドワラ、ナラワラ、野付湾、摩周湖、屈斜路湖、阿寒湖などを訪れました。
「KKRかわゆ」は国家公務員共済組合連合会の川湯保養で質素な宿でした。
1番目の写真は3泊した「KKRかわゆ」です。トドワラや摩周湖やサーモンセンターをそれぞれ訪問しました。
道東には広大な大地が広がり、牧場がえんえんと続いています。その先にトドワラ、ナラワラ、野付湾、があるのです。2012年9月17日から20日のことでした。野付半島は巨大な砂州で出来た半島です。下の写真のように野付湾を囲んでいるのです。
2番目の写真は野付湾の航空写真です。出典は、 http://kagamiclover.blog110.fc2.com/blog-entry-4097.htmlです。
北海道の東部根室市の北に、多量のサケの遡上で有名な標津川(シベツガワ)があります。その南にあるのが野付半島です。
幅が数十メートルから数百メートルしか無い砂洲で出来た細い半島が、湾曲しながら26kmも伸び野付湾を囲んでいます。
砂洲の上には舗装道路が延々と続き、野付灯台まで車で入れます。
そして野付灯台の手前にはトドワラとナラワラという枯れたトドマツの原とナラの原が広がっている場所があります。地盤沈下で海水に漬かってしまったトドマツの木とナラの木が枯れて、白い骸骨のように立っています。不気味です。
3番目の写真はナラワラの風景です。写真はインターネットからお借りしました。
4番目の写真はトドワラです。ナラワラとトドワラは野付半島の入り口にあります。
ナラワラとトドワラの白骨のような林が野付湾の風景を荒涼とさせています。人間の住む世界ではありません。行った日が暗い曇り日だったので一層荒れ果てた風景に見えました。
しかし野付湾には美味しい縞エビが棲んでいて、夏にはその味を楽しむことが出来ます。
川湯温泉から車で3時間の野付湾で名物の茹でた縞エビを食べました。
野付湾を右手に見ながら細い砂洲の上の舗装道路をえんえんと辿って行くとやがて右手にナラワラがあります。よく見ると2番目の写真のようにナラ林全てが立ち枯れになっている場所です。ナラワラを通り過ぎ、野付灯台の傍まで行くと立派なビジターセンターがあります。駐車場に車を停めて、ハマナスの紅い花と実を見ながら、ぬかるみの小道を1.2kmほど歩くとトドワラがあります。3番目の写真です。トドワラは立ち枯れた木が倒れた場所です。立ったままの林もあります。木道は高く狭いので、強い海風や雨が吹き付けると落ちそうになり怖かったです。
野付半島の海では縞エビが獲れます。
5番目の写真は北海縞エビ漁の船です。三角の白帆を上げ網をゆっくり引いて行きます。写真はインターネットからお借りしました。
野付半島の向かい側、16km沖には国後島があります。天気が悪く見えませんでいでしたが、野付港は国後島の町や村に行く船の発着場として昔は賑わっていたそうです。
訪れたビシターセンターの2階には昔の択捉島や国後島の町や村落の写真が沢山置いてあります。丁寧に見て行くと択捉や国後には多くの日本人が住み、鮭やニシンを取っていたことが判ります。日本人の先祖代々のお墓も沢山残っているに違いありません。雨のそぼ降る道を帰って来ました。暗い淋しい小さな旅でした。
荒涼としたナラワラやトドワラと野付半島への旅日記でした。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)
===参考資料=======================
野付半島は知床半島と根室半島の中間にあり、オホーツク海に腕を伸ばすようにして広がっています。全長約26kmの日本最大の砂し(さし)です。
砂州とは、海流により運ばれた砂が、長年に渡って堆積して作られた地形のことです。
野付半島沖の海底は起伏が多く、潮流も早いことから、道内でも有数の漁場となっています。
砂州とは、海流により運ばれた砂が、長年に渡って堆積して作られた地形のことです。
野付半島沖の海底は起伏が多く、潮流も早いことから、道内でも有数の漁場となっています。
野付半島 ~その歴史、https://hokkaido-travel.com/unknown-hokkaido/kiraku/ より抜粋。
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ちなみに、加賀伝蔵や「野付通行屋・番屋跡遺跡」に関する資料は、別海市街にある「別海町郷土資料館」に展示されています。
別海町郷土資料館を取材すると、
「野付通行屋には通行屋、下宿所、蔵などが建てられました。さらに野付崎の外海は、春の鰊(にしん)漁の時期になると根室地方の各番屋から人々が集まり、居小屋、蔵などが 50~60軒建ち並び出張番屋群が形成されました」
と、ここまでは歴史的な事実。
野付通行屋跡遺跡には江戸時代の残る墓石も残されていますし、野付番屋跡遺跡は、もはや海の下に没していますが、海が引いたときには食器や鉄鍋などの生活用品が散乱しているのを見学することができます。・・・・
「野付通行屋には通行屋、下宿所、蔵などが建てられました。さらに野付崎の外海は、春の鰊(にしん)漁の時期になると根室地方の各番屋から人々が集まり、居小屋、蔵などが 50~60軒建ち並び出張番屋群が形成されました」
と、ここまでは歴史的な事実。
野付通行屋跡遺跡には江戸時代の残る墓石も残されていますし、野付番屋跡遺跡は、もはや海の下に没していますが、海が引いたときには食器や鉄鍋などの生活用品が散乱しているのを見学することができます。・・・・