ホテル ニューグランドは横浜市の山下町にあり昭和2年に開業しました。
開業当時から、皇族、イギリス王族などの賓客や喜劇王チャーリー・チャップリン米国の野球選手ベーブ・ルースなどが泊まりました。ダグラス・マッカーサーは1937年に新婚旅行の帰路と1945年の終戦後に滞在しました。終戦後の7年間は占領軍将校宿舎として接収されたのです。
また山口湖の富士ニューグランドホテルは横浜のホテル・ニューグランドの支店です。
私が元気の良い若い頃そして中年と初老の頃までは何度も横浜へ遊びに行ったものです。そしてホテル ニューグランドに泊まりました。横浜は異国情緒が溢れ、それに心惹かれて通ったのです。
写真をお送りしたいと思います。
1番目の写真は横浜のホテル ニューグランドの旧館です。旧館にも泊まったことがありました。
2番目の写真は横浜のホテル ニューグランドの旧館と新館です。新館の後ろにの中華街があります。
3番目の写真は客間です。泊った部屋のようです。窓の下は山下公園でその向こうが青い港で氷川丸が係留されていました。氷川丸も旅客機の普及で1960年に就航を止め山下公園に係留され公開されています。
4番目の写真は山下公園に係留され公開されている氷川丸です。入場料を払うと船内が見物出来ます。チャップリンの泊まった一等船室も見られます。この写真以下の全ての写真は家内が撮った写真です。
5番目の写真は昭和の雰囲気ただようニューグランドホテルの旧館です。
横浜は江戸末期に開港した港町です。現在、カトリック教会やミッションスクールのフェリス学院のある山の上には欧米人が住みました。外人墓地のある丘の上です。
山の下の町には中国人が住み、現在の中華街になったのです。
旅客機が普及する1960年頃までは、横浜こそが文字通り外国文化の窓だったのです。
6番目の写真は中華街の出入り口にある豪華な門です。この門の中に入るとそこは昔の中国の世界です。道教の関羽廟もあります。中国人が長い線香に火をつけて、膝まづいて三拝しています。
7番目の写真は中華街の風景です。何度か中華料理を食べに店にはいりましが中国人の応対が古い中国を感じさせます。
この中華街を訪問すると、ああ古い中国文化はこのようなものだったと感じるのです。高層ビルの立ち並んでいる現在の中国の町とは非常に違います。
8番目の写真はそして昔懐かしい崎陽軒です。真空パックをした現代風の崎陽軒のシウマイは全国で売っています。しかし真空パックをしていない作りたての素朴なシウマイは限られた店でしか売っていません。
シウマイの箱の中には小さな白い陶器の入れ物に入った醤油とカラシがついています。この白い陶器の醤油入れが戦前の昔のままなのです。崎陽軒の古いお客を大切するその気持ちも嬉しいのです。幸せを感じるのです。
9番目の写真は現在の大桟橋の風景です。横浜市は斬新な桟橋の設計を公募することにして、世界中へ呼びかけました。それは2002年のことでした。
その公募には660件の応募があり、その中から最優秀作品としてイラン生まれのファッシド・ムサヴィさんという女性とスペイン生まれのアロハンドロ・ザエラ・ポロさんという男性の2人の合作による設計が優勝したのです。その設計図に従って作られたのが現在の大桟橋です。この桟橋は徹底的に木造になっていますので、散歩していると実に気分が良いもです。
10番目の写真は大桟橋の客船の上から撮った横浜の中心街の夕方の風景です。
ここから豪華客船に乗り日本の各地へ船旅をしたのも思い出になっています。
思い返してみると随分、何度も子供達や家内と横浜へ遊びに行ったものです。貸自転車で市内を回ったり、古い洋館を訪ねたりしたものです。
異国情緒漂う横浜の残影を懐かしいです。
それはそれとして、 今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)