後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

川の流れのように足早に過ぎ行く老境の日々

2017年11月05日 | 日記・エッセイ・コラム
今日もまた日曜日がめぐって来ました。一週間があっという間に過ぎます。
何故か老境の日々はとても早く流れて行くような気がします。
先日、御岳駅のそばの多摩川の風景を見ながら、ひとしお時の流れの早さを感じていました。
何時もは澄んだ清い流れの岸辺に、数人が釣り糸を垂らしている静かな場所です。それが夜来の豪雨で増水し濁流が溢れています。釣り客の管理をしている事務所へ行く橋が濁流の下になって見えません。
沈下橋への道の入り口に、「増水の為鱒釣り営業を休みます」と掲示があります。
濁流の流れの早さが老境の日々の過ぎ行く速さに重なってしばし眺め入っていました。
こうして一週間が飛ぶように過ぎて行くのですね。
過ぎ去った、あの楽しい日々は返ってきません。そうして秋が一段と深まって行くのです。
そして日曜日なので何時ものように教会のミサに行きます。

撮ってきた写真をお送りします。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

1番目の写真は御岳駅のそばにある国際マス釣り場が濁流に覆われている風景です。橋も濁流の下になっていて営業休みです。

2番目の写真は陽の光にきらめく濁流の光景です。

3番目の写真はこの国際マス釣り場の上流方向の風景です。

4番目の写真は濁流の原因になっている奥多摩湖を溢れ流れる瀑布の写真です。

5番目の写真は下流の騒がしい急流が嘘のように感じさせる静かな奥多摩湖の風景です。

「相模湖付近の今日の黄葉です」

2017年11月04日 | 写真
神奈川県の相模湖は自宅から車で1時間以内で行ける湖です。その周辺の樹々が紅葉する時期と思い午後から行ってみました。
あいにく曇り空だったので写真が鮮明でありませんが、お楽しみ頂けたら嬉しく存じます。









中国共産党政府が作った彝族という民族名とその文化

2017年11月04日 | 日記・エッセイ・コラム
先日の11月1日に、『4000年前の三星堆遺跡からの出土品と少数民族、彝族との関係は?』という記事を掲載しました。
そして四川省広漢市の三星堆遺跡からの出土品をご紹介し、それらが現在、雲南省の山地に住む彝(イ)族の祖先が作ったものだろうという私の想像を書いてみました。
そこで今日は彝(イ)族の文化の一端を写真で示し、この少数民族について少し分かったことをご紹介したいと思います。
まず彝(イ)族の住んでいる範囲を示す地図を掲載致します。

出典は、http://www.gesanmedo.or.jp/uli224.html です。
村落は数百戸単位で構成され、村長は慣習法によって、もめごとを調停します。祭祀を司るピモは太鼓を叩き、神と人間の仲介をするシャーマンです。
それではこの彝(イ)族の写真をご紹介しましょう。

1番目の写真は観光客用の彝(イ)族の民族衣装の女性の写真です。出典は、https://baike.baidu.com/item/%E5%BD%9D%E6%97%8F です。

2番目の写真も彝(イ)族の民族衣装の女性の写真です。

3番目の写真も彝(イ)族の民族衣装の女性の写真です。この3枚の写真のように同じイ族でも民族衣装が違うのは険しい山間部に集落が孤立しているからです。丁度離れ島の言葉や衣装が違うのと同じです。

4番目の写真は彝(イ)族の火祭りです。多神教のイ族の最大祭りであり、毎年の旧歴6月24日~6月26日行います。

5番目の写真は彝(イ)族の文字です。写真の真ん中にある规范文字の説明は重要なので中国文で説明を転写します。
为使彝文能更好地为广大群众服务,1975年,四川凉山彝族自治州以喜德语音为标准音,以“圣乍”话为基础方言,制订了四川《彝文规范试行方案》,确定了819个规范文字,并设计出“彝语拼音符号”,便于注音学习。1980年国务院批准该方案。已在四川彝族地区推广使用  。

6番目の写真は彝(イ)族の古い文字で動物の皮に書いてあります。

7番目の写真は彝(イ)族の髪を長く伸ばした祈祷師の写真です。彼等が彝(イ)族の古い文字を伝承して来たのです。

さてイ族の文化は多数の孤立した村落によって千差万別なので統一的な特徴が分かり難いのです。
簡単に言えば粟や稗やイモ類を主食にし、仏教影響の無い多神教を信じ彝文字を使っている民族ということが出来ます。
しかし孤立した集落の間では言葉がほとんど通じなくて使用文字も違うのです。
ですからこそ5番目の写真に示すように1980年に国务院が規範文字を決めたのです。
この分かり難さ故に、共産党中国政府は新しい民族名として彝族という名前を命名したのです。
もう少し詳しく見てみましょう。
 イ族は、総人口が657万8524人(1990年)です。
雲南省の楚雄イ族自治州や紅河ハニ族イ族自治州、四川省の涼山イ族自治州を中心に、貴州省や湖南省、広西チワン族自治区の山岳丘陵地などに広く分布し、一部はミャンマー、ベトナム北部、タイ北部などのインドシナ半島北部などにも広がって住んでいるのです。
 中華人民共和国成立後に、はじめて1つの民族集団として統一された名前が出来たのです。
それ以前は、羅羅、夷人、夷家と呼ばれ、蔑称の夷が通称であったのです。それを彝に改めて民族名称と定めたのです。
孤立した山地の集落なので言語も多様で、六つの方言に大別されるますが、互いにほとんど通じないのです。
約1000年以上前に創作されたという音節文字、曇文が、7番目の写真のピモ(宗教職能者)によって伝えられていました。
ピモは太鼓を叩いて精霊を呼び、その精霊と人間との仲介役を果たすのです。
なおイ文は象形文字を母体としますが、大部分は同音仮借によってイ語の音節を示す音節文字だそうです。
叙事詩『阿詩瑪』や格言および祭祀などがこの文字によって記されたと言います。
文学も豊かに発展しています。以下は,https://baike.baidu.com/item/%E5%BD%9D%E6%97%8F からの転写です。
文中、丰富とあるのは豊富の意味です。多样は多様ですね。
彝族民间文学其形式多样,内容丰富,有诗歌、神话、传说、童话、寓言、谚语、谜语。绝大部分是广泛流传于民间的口头文学。
史诗类诗歌有《勒俄特依》、《玛穆特依》、《阿细的先基》、《西南彝志》、《哈依迭古》《梅葛》、《查姆》等。
叙事长诗和抒情长诗的代表作有《我的幺表姝》、《妈妈的女儿》、《阿诗玛》、《一双彩虹》、《逃到甜蜜的地方》等。
中国文はジーと見ていると昔習った漢文を思い出し、大体の意味が分かりますね。
長くなるので今日はこれでお終いにします。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)


「世田谷区の[次大夫掘公園民家園]の昨日の風景です」

2017年11月03日 | 写真
秋の小春日の農村風景が懐かしくて行きました。
農村体験の人々が野良着で働いていたので、本当の昔の田舎の雰囲気でした。最後の写真は茅葺屋根をふき直す作業中を示しています。
のんびりした気分でした。









北朝鮮沖に展開する3隊の米海軍空母打撃群の効果

2017年11月03日 | 日記・エッセイ・コラム
北朝鮮とアメリカの軍事衝突は次の3つの条件が満足されると始まる可能性が非常に大きくなります。
(1)アメリカの海軍や海兵隊が北朝鮮沖に集結する。
(2)中国が確実に中立を守るという確約をアメリカにする。
(3)北朝鮮が沖に展開するアメリカ軍へ対して武力攻撃をする。

以上の3つの条件のうち最近になって(1)と(2)の可能性を暗示するニュースがありました。
一つは3つものアメリカの空母打撃群が日本海に展開していることです。
二つ目はアメリカの航空母艦が中国の香港に3年ぶりに寄港した事実です。
今日はこの2つの重大ニュースをご紹介した上で、(3)についての推論を書きます。

そして最後に最近の海外ニュースからプーチン大統領とイランのロハに大統領の会談と、スペインのカタルーニアの独立に関するニュースと日本への影響について感想を短く書きます。
(1)アメリカの海軍や海兵隊が北朝鮮沖に集結する。
以下はJBpress(http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/51485 )の報道の抜粋です。
この10月24日、アメリカ海軍原子力航空母艦「ロナルド・レーガン」を旗艦とする第5空母打撃群と、原子力空母「セオドア・ルーズベルト」を旗艦とする第9空母打撃群が西太平洋に姿を現しました。このうち第5空母打撃群は10月19日より米韓合同演習に参加し日本海に展開していたのです。
そして、アラビア海での作戦が終了した原子力空母「ニミッツ」を旗艦とする第11空母打撃群も、10月25日、インド洋の第7艦隊担当海域に入り朝鮮半島周辺海域を目指していたのです。
 トランプ大統領の日本・韓国・中国訪問とオーバーラップして、これら3セットの空母打撃群が参加しての海軍演習が実施されているのです。
 このように3セットの空母打撃群(空母3隻、巡洋艦3隻、駆逐艦10隻、おそらく攻撃原潜3隻)が日本周辺海域に同時に姿を見せるのは極めて珍しいのです。
 そのため、「トランプ大統領の極東訪問後には、いよいよ米軍の北朝鮮に対する軍事攻撃が秒読み段階に入るのだろう。だから多数の空母を展開させて先制攻撃態勢を固めつつあるのだ」といった推測がなされているそうです。

1番目の写真は空母ロナルド・レーガンです。(写真:米海軍提供)

2番目の写真は空母セオドア・ルーズベルトと空母打撃群戦闘艦です。(写真:米海軍提供)

3番目の写真は空母ニミッツです。(写真:米海軍提供)

(2)中国の中立を暗示するようなアメリカ空母の香港寄港。
中国政府は3年間、拒否し続けてきたアメリカ海軍の航空母艦の香港寄港を今回許したのです。

4番目の写真は香港に寄港した空母ロナルド・レーガンです。
横須賀を母港とする空母ロナルド・レーガンが10月2日、3年ぶりに香港に寄港しました。(https://www.houdoukyoku.jp/posts/19259 )
外からは見えない格納甲板ではなく、飛行甲板の上にF/A-18戦闘攻撃機など艦載機をいかにもアメリカの打撃力を見せつけるかのようにずらりと並べていました。
この香港寄港はかならずしも中国の中立を意味するものではありません。しかし今後アメリカが中国へ譲歩した外交交渉を続けると中国の中立の確約を得られる可能性を示す重大なニュースと受け止められています。

さて3セットの空母打撃群には空母3隻、巡洋艦3隻、駆逐艦10隻が公表されていますが、それに加えて攻撃原潜3隻が随伴していると推定されています。

5番目の写真はオハイオ級原子力潜水艦です。
オハイオ級原子力潜水艦はアメリカ海軍が現在保有する唯一の戦略ミサイル原子力潜水艦です。
西側諸国で最大の排水量を誇る潜水艦であり、また全長と弾道ミサイル搭載数は現役の潜水艦で最大と言われています。

以上のように北朝鮮の周辺にはアメリカ海軍の主力航空母艦が3隻と巡洋艦3隻、駆逐艦10隻、攻撃原潜3隻も集結しています。
この脅威によって北朝鮮はミサイル発射と原爆の実験をこのところ中止しているようです。
ですから(3)に書きました、「北朝鮮が、沖に展開するアメリカ軍へ対して武力攻撃をする可能性」は小さいのではないでしょうか。
北朝鮮が先制攻撃をしないように祈らざるを得ません。

さて最近の海外ニュースで気になるのは、プーチン大統領とイランのロハニ大統領の会談と、スペインのカタルーニアの独立に関するニュースです。
混迷していて分かり難い中東情勢ですが、ロシアとイランが手を組んでシリアのアサド政権を支援するということが明快になりました。
一方、アメリカはイラク、湾岸諸国、サウジアラビア、ヨルダンなどと手を組んでいます。この情勢では日本への原油の輸送は安全ではないでしょうか。ですからこのニュースの日本への影響は少ないと思います。

そしてカタルーニアの独立に関するニュースですが、驚くべきことに前カタルーニア州首相のプチデモン氏に逮捕状が出たことです。
スペインの法律に違反して勝手にカタルーニアの国家としての独立を宣言したというのが罪状です。
このニュースは沖縄独立運動をしている日本人に影響を与えるでしょうが、その影響は軽微でしょう。なんと言っても沖縄の独立はあまりにも非現実的だからです。むしろ沖縄独立運動は伝統的な琉球文化の継承に力点を置くべきと私は考えています。
この他にいろいろと重大な海外ニュースがありますが長くなるので止めます。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

八王子の多摩御陵への道のイチョウの黄葉

2017年11月01日 | 日記・エッセイ・コラム
今年は多摩御陵へ続く甲州街道のイチョウ並木の黄葉が、例年より早く始まると思い昨日行ってみました。
そうしたら黄葉が始まっていました。例年より2週間ほど早い黄葉です。
ちなみに今年の「八王子いちょう祭り」は以下のように開催されます。
本年のテーマ
『市制100周年記念事業』『東日本大震災復興応援事業』
<Say YES! Smile together! ~みんな 笑顔で!~>
開催日時;
2017年11月18日(土)9:00〜17:00
2017年11月19日(日)9:00〜16:30
会場;
八王子市甲州街道(国道20号)追分町交差点〜小仏関跡・陵南公園本園・陵南公園分園・陵南いちょう会館跡地・旧免許更新所駐車場・長房市民センター・浅川市民センター・原児童遊園・原宿ふれあい広場・横山事務所・八王子市立中央図書館・東浅川公園・交通公園ほか
主催;八王子いちょう祭り祭典委員会

それはそれとして昨日、撮って来た写真をお送りいたします。
場所は多摩御陵に近い甲州街道です。
お楽しみ頂けましたなら嬉しく思います。













4000年前の三星堆遺跡からの出土品と少数民族、彝族との関係は?

2017年11月01日 | 日記・エッセイ・コラム
趣味にはいろいろあります。私の趣味は若い頃から比較文化人類学でした。素人の趣味ですから間違った予測や結論になりますが楽しい趣味です。
最近のテーマは、「4000年ほど前にあった古蜀という国を作った民族と現在の中国南部の雲南省の険しい山々に住む彝(イ)族との関係」を調べることです。なお古蜀とは三国志の蜀のあった場所に存在していた古代の蜀の呼び名です。
何故、これが面白いテーマなのでしょう。それは古蜀という国を作った民族が忽然と消えてしまったからです。
しかしその一方、現在生存している彝(イ)族が、消えた古蜀の人々の子孫だという仮説があるのです。
根拠は古蜀文化の三星堆遺跡からの出土品の文字が現在の彝族の使っている文字に似ているからです。
彝族文字は漢字とまったく違います。写真をご覧下さい。

1番目の写真は現在の彝語で書かれた四川省涼山イ族自治州人民政府の北京事務所の看板です。
写真の出典は、https://amanaimages.com/info/infoRM.aspx?SearchKey=25058012538&GroupCD=0&no= です。
写真の上の方にあるのが現在の彝族の文字なのです。
このように奇妙な字を見ると私の好奇心の血が騒ぐのです。
彝(イ)族が古蜀の人々の子孫だという仮説はまだ仮説であって学界の結論ではありません。
そこで今日は三星堆遺跡からの出土品と少数民族、彝(イ)族の両方についてご紹介したいと思います。

さて三星堆遺跡の説明から始めます。
紀元前2000年頃以前と考えられる極めて古い時代に属する三星堆遺跡とその文化は、約5000年前から約3000年前頃に栄えた古蜀文化のものです。
この三星堆遺跡からは、異様な造形が特徴な青銅製の仮面や巨大な人物像が多数出土しています。
三星堆の遺跡および文物の発見は 3、4千年前の中国の長江文明の古蜀王国の存在と中華文明起源の多元性を有力に証明していると考えられているのです。
上記の説明文と以下に示す写真の出典は、https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E6%98%9F%E5%A0%86%E9%81%BA%E8%B7%A1 です。

2番目の写真は青銅神樹です。
三星堆遺跡の二号祭祀杭から1986年8月に出土した青銅製の扶桑樹です。「青銅神樹」と呼ばれています。
殷代晩期のもので、全高396cm、像高(樹高)384cm。3階層になっている幹の各層に3枝ずつが張り出しており、それぞれの枝に1羽、全部で9羽の霊鳥が留まっています。枝先には果実がなり、樹の下層には頭を下に向けた1頭の龍が這っています。

3番目の写真は青銅立人像です。
世界最大の青銅製人物立像で、直線的な造形をした高さ約260cmの像です。殷代晩期のもので、全高261cm、像高172cm、総重量180kg。1986年に二号祭祀杭より出土しました。丈の長い衣裳を身にまとった祭司の姿であり、巨大な両手で何かを抱え持っていたと思われるが、その何かは欠損しています。他の出土物から推定して、儀杖であった可能性が高いです。

4番目の写真は青銅人頭像です。
青銅製の頭部および頸部で構成された人頭像は、様々に異なる造形物が数多く出土しています。

5番目の写真は青銅戴冠縦目仮面です。
大きな耳と突出した眼を具えた神の頭部をかたどった仮面で、額から真上に向けて伸張する長大な額飾り(冠)を有します。日本語名は「青銅戴冠縦目仮面」です。殷代晩期のもので、幅78cm、高さ82.5cm。1986年に二号祭祀杭より出土しました。

6番目の写真は青銅大鳥頭です。
鷲の頭部をかたどった高さ40.3cmの祭具です。

写真では分かりませんが、これらの出土品には少数ながら彝族の文字に似た記号のような文字が刻まれているのです。

7番目の写真は現在の彝族が用いている祈祷書の文字です。、
この彝族の文字の写真の出典は、
https://blogs.yahoo.co.jp/masaki1234512345/64566442.html です。

さて彝族(イ族)とはどういう民族なのでしょうか?
彝族は中国の少数民族の一つです。2010年の第6次全国人口統計では人口は871万人で、中国政府が公認する56の民族の中で7番目に多いそうです。以下は、https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E6%97%8F からの抜粋です。

8番目の写真は民族衣裳を纏ったイ族女性です。
イ族(彝族)は中国西部の古羌の子孫である。古羌は、チベット族、納西族、羌族の先祖でもあるといわれる。イ族は南東チベットから四川を通り雲南省に移住してきており、現在では雲南に最も多く居住しています。南詔王国を建国した烏蛮族が先祖だと言われています。
精霊信仰を行い、ビモという司祭が先導すます。
雲南省にはイスラム教を信仰するイ族の集団もいますが、それらは、イスラム教を信仰するイ族なのか、イ語を話しイ族の文化に属する回族なのかは、明確には分別できていません。
雲南北西部と四川に住むイ族の多くは複雑な奴隷制度をもっており、人は黒イ(貴族)と白イ(平民)に分けられています。
使用言語は彝語ですが、彝文字(ロロ文字)と呼ばれる表音文字を持っています。
現在の中国では彝族の自治州が雲南省に沢山あり、四川省や貴州省の各地にもあります。

さて冒頭に書いた4000年ほど前にあった古蜀という国と現在のイ族(彝族)の関係ですが、私の想像では古蜀が他の国に滅ぼされた時、古蜀人の一部が険しい山中に逃げ、そこに定住して彝族の一部になったということです。
いきなり話が飛びますが日本でも平家の落人が山間の村落に住み着いたのと同じような事情があったのでしょう。

これは趣味ですからこれから古蜀人と現在の彝族の関係をいろいろ調べ楽しんでいきたいと思っています。
もっと確かなことが分りましたなら又ご報告しようと思います。
雑な想像ですが、中国の南部の雲南省や西部の四川省の僻地にいる少数民族の一部は滅亡した数多くの中国の王朝の避難民の一部だったとも想像出来ます。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)