後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「秋です、紅葉が美しくなる季節です」

2021年09月06日 | 写真
秋です、紅葉が美しくなる季節です。以前に撮った紅葉の風景写真をお送り致します。はじめは秋の空と甲斐駒岳と八ヶ岳の麓の紅葉の風景です。最後の写真は昇仙峡の上のダム湖の紅葉です。



高原の湖も良いものですが、豪快な滝の紅葉風景も良いものです。
2015年の11月14日に撮った茨城県の袋田の滝の写真を示します。


まだ紅葉は先の話ですが季節は足早にめぐります。写真で示したような紅葉も間もなくです。ここに掲載した紅葉の写真をお楽しみ頂けたら嬉しく存じます。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

「芸術の秋ー箱根彫刻の森、笠間日動画廊、清春白樺、美ヶ原高原などの美術館館への誘い」

2021年09月06日 | インポート
いよいよ芸術の秋です。今日は箱根彫刻の森美術館館、笠間日動画廊美術館館、清春白樺美術館館、美ヶ原高原美術館へのご案内をお送りいたします。いずれも以前に何度も訪問して感動した美術館館です。
さてそれでは箱根の「彫刻の森」のご案内から始めます。

(1)箱根の彫刻の森美術館
ここには起伏のある緑の芝生の上に大きな彫刻が展示してあります。作品群が周囲の山々の風景と響き合って作品の美しさを引き立てています。
私が撮った写真でこの「彫刻の森」をご紹介致します。
1番目の写真は「彫刻の森」に入場してすぐにある芝生の広場です。西洋の有名な近代彫刻家の作品が点々と展示されています。このような展示場が山の斜面を上手に利用して、他にも数ケ所あります。
2番目の写真はフランス人のエミール・アントワーヌ・ブールデル(1861年ー1929年)の1909年作の「弓をひくヘラクレス」と題するブロンズ彫刻です。
彫刻の森に展示されている作品は膨大です。その作品一点、一点の詳しい紹介は、https://www.hakone-oam.or.jp/permanent/?id=2 に掲載されています。

(2)茨城県笠間市には笠間日動画廊美術館
茨城県の水戸には県立美術館があり北茨城には県立天心記念五浦美術館があります。
そして笠間市には笠間日動画廊美術館と県立陶芸美術館があります。笠間の西隣りの筑西市には板谷波山記念館があります。私はこれらの美術館を以前に家内と一緒に見てまわりました。水戸の県立美術館での中村彜の特別展は印象深いものでした。
3番目の写真は オーギュスト・ルノワール 1881年の作の『二人の姉妹』です。絵画の寸法は縦100.5センチ、横81センチです。
4番目の写真は佐伯 祐三 の1925年作の「靴屋(コルドヌリ)」です。大きさは72.5x59.0 cmです。
日動画廊の展示絵画は豊富です。身近に置きたくなるような楽しい油絵も並んでいます。その上、有名な絵描きさん達と親交が深かったので、美しいパレットが蒐集展示してあるのです。アトリエの中の画家の息吹が感じられるのです。
日動画廊の店は銀座や名古屋など各地にあります。お店は出入り自由の美術館のようです。その上、その店で時々、個展を開いているのです。
単なる画商ではなく絵画芸術の普及に努力し、画家達を応援しているのです。その精神は尊敬に値しますので以下に創業者の長谷川仁さんをご紹介します。

(3)山梨県の清春白樺美術館
清春白樺美術館はパリの芸術の香りのする山里の小さな美術館です。私の山小屋の近くにあるので何十回も訪れました。それは本当に小さな美術館です。
南には白い花崗岩が輝く甲斐駒岳が美しく見え、北には八ヶ岳連峰が見える高台にあります。その高台は少しだけ平地になっていて美術館があります。
門を入るとパリから移築したラ・ルーシュという大きなアトリエの建物があるのです。清春白樺芸術村の自分で撮った写真を示します。
5番目の写真は清春白樺美術館の門です。古めかしい鉄門がヨーロッパの雰囲気を出しています。この門を入ると集合アトリエのラ・ルーシュがあります。パリの雰囲気を感じます。
白樺林に隠れた静かな美術館です。ルオーの油彩画多数と、梅原龍三郎、岸田劉生、有島生馬、髙村光太郎、高村智恵子などの白樺派の作品が展示してあります。
6番目の写真は多数展示してあるルオーの作品の一例です。
大都会には規模の大きな美術館があります。多数の絵画や彫刻が展示されているので見ていくと作風がみな違うので気が落ち着きません。しかし清春白樺美術館にはルオーの絵だけ何十枚もあるのです。落ち着いて絵画が楽しめます。山里の小さな美術館も実に良いものです。
美術館にはレストランもあり、近所には美味しい蕎麦で有名な「翁(おきな)」という店もあります。 

(4)長野県の美ヶ原高原美術館
この高原美術館は遥かに遠い天空の上の野外展示の美術館です。標高は2004mです。4万坪の屋外展示場に350点あまりの現代造形作品を常設展示しています。1981年6月、箱根・彫刻の森美術館の姉妹館として開館しました。
私達が訪れたのは2008年の8月5日でした。霧が流れ、幻想的な日でした。高原の丘一面に遊歩道がひろがり世界中の作品が展示されています。すべて野外で鑑賞するために創られた大きな作品です。
7番目の写真は美ヶ原高原美術館の屋外展示の風景です。美術館の本館では屋内展示をしています。
8番目の写真は屋外展示作品の一例です。作品に写真を撮っている家内が写っています。この作品は「空相」と題で関根伸夫の作品です。磨き上げられたステンレスの角柱に重さ3㌧を超す自然石をのせた作品です。鏡面の柱は周囲の景色を映し込んで、石は軽やかに宙を浮遊しているかのような神秘的な空間を創り上げています。 

展示作品の説明は、https://www.utsukushi-oam.jp/mp/sakuhin にあります。
さて箱根の彫刻の森美術館と美ヶ原高原美術館は「彫刻の森芸術文化財団」によって建設され運営されています。
財団は、「ひろく一般に彫刻芸術に接する機会を提供するとともに、彫刻芸術の振興普及をはかり、わが国芸術文化の向上発展に寄与すること」を目的に掲げ、昭和43(1968)年9月6日、財団法人彫刻の森美術館として発足いたしました。
美ヶ原高原美術館は遥かに遠い場所にありますが車で行くと途中の風景を楽しめます。中央高速で諏訪湖まで行きます。そこから白樺湖に上ります。白樺湖からは車山、霧ヶ峰、美ヶ原へと高原ずたいに風景絶佳のドライブが楽しめるのです。皆様もこの天空の野外展示の美術館を一度訪れてはいかがでしょうか。

今日は箱根彫刻の森美術館館、笠間日動画廊美術館館、清春白樺美術館館、美ヶ原高原美術館館などの美術館館へのご案内をお願い致しました。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

「ドライブを楽しみ古刹と稲作の田園風景の写真を撮って来ました」

2021年09月05日 | 日記・エッセイ・コラム
何故か都会がつくづく嫌になることがあります。都会の良さが分っていますがそんな気分に時々なります。我儘です。
そんな折には郊外のドライブを楽しみながら古刹と稲作の田園風景の写真を撮りに行きます。行く所は決まっています。八王子市の多摩川べりの高月町の水田が広がる田園地帯です。午後から行ってきました。
撮って来た写真をお送り致します。

1番目の写真は高月町の山際にある平安時代の古刹、圓通寺です。
圓通寺は、讃海(天暦年間947-956寂)が開山となり創建したといいます。天正19年(1591)徳川家康より寺領10石の御朱印状を拝領しました。近郷に数多くの塔頭・末寺・門徒寺を擁する中本寺格の寺院だったのです。

2番目の写真は圓通寺の遠景です。奥の山地は後北条氏の滝山城のあった山です。お寺の周囲は広々した稲作の農村風景です。
3番目の写真は圓通寺の前の水田です。稲穂と葉はまだ黄色になっていませんが豊かに実っております。
水田の先に秋川と多摩川がゆったりと流れています。その水で稲が育つのです。

4番目の写真は水田の間に縦横に出来ている水路の一つです。昔田舎へ疎開した時こんな水路に足ふみ式の水車を入れて羽根を足で踏んで水田へ水を汲み上げたことを思い出しました。

5番目の写真は稲穂がかなり重く実っている水田の一隅です。

6番目の写真は水田地帯の遠景です。水田のまわりに農家が連らなっています。農家と言っても立派な近代的な家々です。藁ぶきの屋根は消えてしまいました。
これらの写真のように高月町の稲田風景は知る人ぞ知る都内最大級の稲田風景です。
水に恵まれた高月町の田は八王子の米の生産地になっているのです。
春夏秋冬、季節ごとに違った景色が見られるので、私共がよく行く場所です。
なお、高月地区の高月清流米は、道の駅「八王子滝山」の地域物産販売コーナーで売っています。
東京郊外の高月町の平安時代に出来た圓通寺と稲田の風景写真をお送り致しました。

 それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

「ポーランドとロシアとノルウェーの古い木造教会の写真です」

2021年09月05日 | 日記・エッセイ・コラム
今日は日曜日なのでポーランドとロシアとノルウェーの古い木造教会の写真お送りいたします。
まず最初にポーランドの木造の古い歴史的な小さなカトリック教会の写真をお送りいたしまさす。
1番目の写真はポーランドの木造教会です。 写真の出典は、https://jp.123rf.com/photo_29306239_%E6%9C%A8%E9%80%A0%E3%81%AE%E5%8F%A4%E3%81%84%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E7%9A%84%E3%81%AA%E5%B0%8F%E3%81%95%E3%81%AA%E3%82%AB%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%83%E3%82%AF%E6%95%99%E4%BC%9A%E3%80%81%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89.html です。

マウォポルスカ南部の木造聖堂群は、マウォポルスカ地方南部にあるポーランドの世界遺産です。ビナロヴァ、ブリズネ、デンブノ、ハチュフ、リプニツァ・ムロヴァナ、センコヴァなどの各村に残っている木造聖堂が登録対象でなっています。
中世後期に起源を持つこの地方の木造聖堂の様式は、ゴシック様式の装飾や色とりどりの細部で始まったが、木造であることから、石やレンガで出来たゴシック建築とは、構造も全体像も印象も大きく異なっています。
より後の時代に建設された木造聖堂には、ロココ様式やバロック様式の装飾的影響を示しているものもあります。
これらの聖堂の形態は、この地方での東方典礼カトリック教会や正教会の存在に深く影響されているようです。

次はキジ島にあるロシア正教の木造教会の圧巻的な写真をお送り致します。
キジ島はサンクト・ペテルブルク北東のオネガ湖に浮かぶ小島です。そこに1714年に建てられたプレオブランジェスカヤ教会があります。釘を使わずに建てられた木造建築です。その高い技術に私は驚嘆します。
キジ島にはその他に、1784年建立のボグロスカヤ教会など各種の木造教会があり、島全体が木造建築群の博物館となっているそうです。
2番目の写真は1714年に建てられたプレオブランジェスカヤ教会です。写真の出典は、http://whc.unesco.org/ja/list/544 です。
3番目の写真も別の角度から見たプレオブラジェンスカヤ教会です。写真の出典は、https://www.travelbook.co.jp/topic/114 です。プレオブラジェンスカヤ教会は22個の玉ねぎ型ドームが特徴で、一番高い所は高さ37メートルにもなります。
この一番高いプレオブラジェンスカヤ教会の横に鐘燐、続いてポクロフスカヤ教会が佇んでいます。三つの木造教会が完成するまでは160年の長い月日がかかりました。建築の特徴としては、全ての建物に全く釘を使用していない事です。目地さえ木から作られている徹底ぶりです。
4番目の写真は同じプレオブラジェンスカヤ教会の遠景です。写真の出典は、https://www.travelbook.co.jp/topic/114 です。
先住民の神聖な儀式の場として使用されていたキジ島に16世紀頃ロシア正教の教会が立てられました。1714年に再び建てられたのがプレオブラジェンスカヤ教会などです。1990年にユネスコの世界遺産に登録されました。
それにしてもロシア人の器用さと宗教的な情熱に圧倒されます。

最後にノルウェーの宗教改革以前の中世の木造教会の写真をお送り致します。
ノルウェーには宗教改革以前の中世の木造教会は幾つか現存していますが、その一覧は、https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%A8%E9%80%A0%E6%95%99%E4%BC%9A にあります。
それによるとノルウェーにも以下のように多くあります。

ウルネスの木造教会
カウパンゲル・スターヴ教会 Kaupanger stave church
ホッペルシュタ・スターヴ教会 Hopperstad stave church
ボルグンド・スターヴ教会 Borgund stave church
レインリ・スターヴ教会
ヘッダール・スターヴ教会
ゴル・スターヴ教会
ファントフト・スターヴ教会、などなど。

上にあるスターヴ教会とは 教会の荷重を支える太い支柱をスターブと言い、そのまま建築技術の名前になっているのです。かつてはヨーロッパ北西部に多く存在していましたが、現在ではほとんどが石造りの近代的な教会に建替えられ、もっとも多く残っているノルウェー国内でも、わずかに28棟を残すのみとなっているだけです。
これらの中から今日は3つの教会の写真をお送りいたします。
5番目の写真はノルウェーにあるヘッダール・スターヴ教会です。13世紀前半から中頃に建築されました。
6番目の写真は世界遺産に登録されているノルウェーのウルネスの木造教会です。教会が建築されたのは1130年前後と推測されています。
7番目の写真はノルウェーのセール・アウダールにある「さらし台」のついたレインリ・スターヴ教会です。レインリに位置する木造教会で13世紀後半に建設されたものです。

これらの木造教会の写真を見ると、ルネッサンス以前の中世の暗い雰囲気が感じられます。当時のキリスト教も暗く神秘的だったのでしょぅ。ルネッサンスや宗教改革によって社会の雰囲気が明かるくなった様子が感じられます。
一般的にヨーロッパの木造教会は宗教改革の前に建てられたので、中世のキリスト教の雰囲気を表しています。その意味で歴史的価値が大きいので大部分は世界遺産になっています。

今日は日曜日なのでポーランドとロシアとノルウェーの古い木造教会の写真お送りいたしました。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)

「今日の 年間第23主日のミサの動画の紹介」

2021年09月05日 | 日記・エッセイ・コラム
2021年9月5日の10時から始まる年間第23主日のミサの、カトリック関口教会と聖イグナチオ教会の動画配信は以下の通りです。

カトリック関口教会、https://www.youtube.com/watch?v=N-oqm_mHjR4
9月5日10:00 

聖イグナチオ教会 、https://www.youtube.com/channel/UC-Zwcc_MbnyglsQdyOByc-Q  
ミサ中のお説教は教会ホームページに後日掲載します。 
【本日の聖書朗読箇所】
第1朗読
イザヤの預言 (イザヤ35:4-7a) 
第2朗読
使徒ヤコブの手紙(ヤコブ 2:1-5 )
福音朗読
マルコによる福音 (マルコ 7:31-37)

今日教会に行かない信者の方々はこの動画配信のミサにご参加なられるのも良いと存じます。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)



「 アフガニスタンは美しい国だった、しかし戦争の悲劇」

2021年09月03日 | 日記・エッセイ・コラム
アフガニスタンは1979年にソ連が侵攻して以来、内戦が続き、治安が悪い状態が続いていました。そしてソ連の撤退後、アメリカは2001年に占領し今年の8月31日に完全撤収しました。
アフガニスタンは美しい国だったのですが戦乱の悲劇が1979年以来40年間続いたのです。
しかし美しい国だった風景は現在でも農村には残っています。
その一方、アメリカの装甲車を使い武力行使をするタリバン軍の姿やアメリカ軍の撤収の際のカブール空港の混乱はアフガニスタンの悲劇です。
今日はこのアフガニスタンの美しい農村風景と武力行使をするタリバン軍やカブール空港の混乱の様子を写真で対比させながら示します。農村風景の写真の出典は写真家の三井昌志氏の写真集、「アフガニスタンは美しい国だった」です。三井昌志氏はアジア諸国の美しい写真を多発表している写真家です。









示した7枚の写真はアフガニスタンの平和で幸せな人々とタリバンの恐怖と国外へ逃げようとしている人々の悲劇を雄弁にものがっています。
私の余計な注釈は不要です。代わりに三井昌志氏の文章の抜粋を以下にお送り致します。
・・・アフガニスタンに行きたいと思い始めたのは、しばらく前のことである。あるアメリカ人の写真家が撮ったアフガン人のポートレート写真を初めて見たときに、強く惹きつけられるものを感じたのが、そもそものきっかけだった。
 特に印象的だったのは人々の顔つきの違いだった。青い目と彫りの深い顔を持つインド・ヨーロッパ系の人もいれば、日本人とよく似た浅黒くて平べったい顔のモンゴル系の人もいた。アフガニスタンは多種多様な民族と言語と文化が入り交じった国なのだということが、その写真からはっきりと伝わってきたのだった。
 2004年5月の時点で、一般人がアフガニスタンを旅行するのは決して奨励されない行為だった。いくら内戦が終結したといっても、ついこの間まで戦争をやっていた不安定な国であることは確かだったし、当然のことながら旅行に関する情報は皆無に等しかったからだ。
・・・
山脈と青空の美しさに、僕は一瞬にして目を奪われてしまったのだ。「目の覚めるような風景」というのは、きっとこういう眺めのことを言うのだろうと思った。
 万年雪を頂いたヒンドゥークシュ山脈の稜線は、まるで広告用の写真から切り取られたようにシャープだった。その山の頂から流れてくる小川は、下流の麦畑を潤し、鮮やかな緑の絨毯を作り出している。草原には無数のタンポポや菜の花が咲き、その近くで羊の群が黙々と草を食んでいる。頭にターバンを分厚く巻いた老人が、ロバにまたがって草原を横切っていく。畑には赤や水色の派手なショールを頭に被った女達が、顔を隠すようにして働いている。
 そこにあるもの全てが美しく印象的だったけれど、何よりも僕の心を捉えたのは空の青さだった。・・・以下省略します。

アフガニスタンの悲劇はソ連とアメリカの勢力争いに巻き込まれたことです。そしてアフガニスタンの独立のためにタリバン兵が国中で武力を行使したことです。この戦乱の悲劇が終わろうとしています。やがて出来るタリバン政権が国民にとって過酷な政策を実行しなうように祈るばかりです。そして国外へ逃れた多数の難民の苦難に心を寄せ、少しでも幸せになるように祈ります。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

「彼岸花の咲いている里の秋の風景です」

2021年09月03日 | 写真
日本の秋の風景を美しく彩る花々の一つに彼岸花があります。曼殊沙華とも言います。彼岸花のある里の秋の風景写真をインターネットで根気よく探しました。
そうしたら美しい彼岸花の写真集を見つけましたので5枚の写真を選んでお送り致します。
写真の出典は、「全国の美しい彼岸花【楽天トラベル】 (rakuten.co.jp) 」です。
1番目の写真は宮城県大崎市の羽黒山公園です。
丘一面を埋め尽くす彼岸花は、まるで赤い絨毯を敷き詰めたようです。県内随一と言われる美しさです。 春は桜、秋は彼岸花など四季折々の花木が咲き誇り、多くの花見客で賑わいます。 
2番目の写真は神奈川県大和市の常泉寺の彼岸花です。「花のお寺」として親しまれる「常泉寺」は珍しい白色の彼岸花で有名です。境内の至る所に赤色と白色の彼岸花が咲き誇り、埼玉の巾着田、神奈川の日向薬師と並んで「彼岸花関東三大名所」とも言われています。 
3番目の写真は神奈川県伊勢原市の日向薬師 の周辺の川です。里山風景が残る「日向地区」は周辺に彼岸花が咲いています。田畑や山が広がる美しい原風景があります。 
4番目の写真は福岡県うきは市のつづら棚田です。「つづら棚田」には約50万本の彼岸花が咲いている名所です。農水省の「日本棚田百選」にも選出されており四季折々の景観が楽しめます。 
5番目の写真は愛知県半田市の矢勝川・新美南吉記念館の周辺です。有名な童話「ごんぎつね」の舞台となった「矢勝川」は、童話の世界のようなのどかな所です。川に沿って全長約1.5km、およそ300万本以上の彼岸花が一斉に咲き幻想的な光景になります。 

以上は写真集にある沢山の写真のごく一部です。是非、全国の美しい彼岸花・曼珠沙華の名所22選! 【楽天トラベル】 (rakuten.co.jp)  を開いて彼岸花のある風景をお楽しみ下さい。

「老境をすごく楽しくする具体的な4つの方法」

2021年09月02日 | 日記・エッセイ・コラム
今日は老境の毎日を楽しくするために私が実行している方法を4つの方法をご紹介したいと思います。老境の良いことは自由に時間を趣味に使えることです。この特典を生かし老境を楽しく過ごすのです。それでは4つの具体的な方法を順にご説明いたします。 
    
(1)新鮮な発見と広い視野
新鮮な発見をすることは、いとも易しいことです。発見したらそれが新鮮だと自分で驚くことです。それだけではいけません。その発見を日本全国の様子と比較するのです。世界全体のことも少しだけ考えるのです。広い視野で考えると老境の日々がすごく楽しくなるのです。
実例を用いてご説明します。自分が住んでいる小金井市には崖線があるので坂道が多いのです。ある時、江戸時代からの坂道が十数本も残っていることを発見したことです。「念仏坂」「質屋坂」「むじな坂」「大尽の坂」「弁天坂」などなどです。
それらの坂道は江戸時代のままに細く、両側には巨木が生い茂り、ほの暗い坂道です。十数本の江戸時代の名前の残っている坂道から1本の坂道だけを写真でご紹介いたします。それは「白伝坊の坂」です。
1番目の写真は「白伝坊の坂」を坂下から見上げた写真です。
駅前に高層マンションが立ち並ぶ小金井市の一角にこんな古い道が残っていることに私は驚いたのです。私にとっては実に新鮮な発見なのです。
「白伝坊の坂」の傍の墓地には白伝という貧しい坊主が住み着いていました。近所の農家へ托鉢に行って食いつないでいたのです。人徳の高い坊さんだったらしく彼は死ぬまで墓地の守りをしていたそうです。のちに調べたら小さな白伝坊の記念碑が見つかったそうです。

このように考えると全国の江戸時代の小さな道には農民や商人の考えで名前が付けられていたのでしょう。幕府の整備した奥州街道や日光街道や甲州街道や東海道の間に網の目のように人々の作った小さな道が無数にあったのです。その名前を考えてみると心も楽しくなります。こうして老境の日々が楽しくなるのです。

(2)自然界に遊び、自然にとけ込む
老境では自然の中へ思っきり飛び込んで遊べます。するとやがて自分の心が自然と溶け合って、一体になったような気分になります。恍惚の世界です。これこそ老境の幸せです。一つだけ実例を説明致します。
私は甲斐駒岳の麓の山林の中に本当に小さな小屋を持っていました。1974年に完成したものです。今でも変わらず山林の中に建っています。
 
2番目の写真はその山林の中の小屋の写真です。
小屋の前にはイワナの登ってくる小川が清らかな音を立てて流れています。
兎に角、行けば自然がいっぱいで面白いのです。小屋の向こう側をサルの家族がこちらを窺いながら遊んでいます。
ストーブに使う薪を近くの雑木林の中に拾いに行きます。ストーブを燃やしてみると煙突のさきから香の良い青い煙が出てきます。老境には足繁く山小屋に通い、自然界の中で遊んだものです。
もう一つ自然にとけ込む趣味はヨットです。
3番目の写真は私が走らせているヨットの写真です。後ろの帆の下に私が一人で静かに座っています。帆に受ける風の強さを考えて走る方向を決めているところです。
このヨットの趣味は風まかせです。文字通り自然と一緒になって遊ぶのです。私は75歳までヨットの趣味を続けました。その後は「ヨットを眺める趣味」を続けています。

(3)インターネットを楽しむ趣味を持つ
私は2007年から毎日ブログに記事を書いています。数年前からはFace Book やSNSの趣味人倶楽部の2つのクラブの会員になって、そちらでも記事を掲載しています。老境は自由時間が沢山あるのでネット生活が楽しいのです。
昔のことを思い出していろいろ書くことは楽しいものです。多くの方々が読んで下さるのが嬉しいのです。その上、心温まるコメントを頂けるのです。
ネット生活は間違いなく老境を楽しくしてくれます。
しかしネット生活を楽しむために私自身が守ろうとしている鉄則があります。
それは掲載する文章を書いている時、これを読んで下さる方々を想像して感謝しながら書くことです。
こんな雑駁な文章を読んで下さり有難う御座いますと念じながら書くようにしています。
感謝していますと露骨に書かなくてもそれは行間に滲み出ると信じています。
さてこの鉄則はどこから育って来たのでしょうか。
若い頃、ルース・ベネディクトの「菊と刀」という本を読みました。
この本に次のような文章があったのです。
「世界中の民族文化には優劣は無い」という一節です。勿論、民族にも優劣などありません。
それ以来、「世界中の民族文化には優劣は無い」が私の座右の銘になりました。人生のいろいろな場面でこの文章を拡大解釈して使ってきました。
この拡大解釈の一つに、「私の文章を読んで下さる方々には優劣を付けずに平等に感謝すべし」という考えがあります。
そして、「送って下さるコメントには優劣はありません。平等に感謝すべし」ということになります。
これがネット生活を楽しむためのたった一つの鉄則なのです。
老境に至って社会と隔絶してしまうと、ネットを通して出来る人々との絆は私にとっては非常に大切なものです。貴重なものです。
ブラジルやフランスやスペインやドイツに住んでいる日本人と交流出来るのです。台湾や韓国や中国やタイ、インドネシア、シンガポール、などのアジアの国々の方々との交流も深い楽しみです。
とかく、老境になって視野が狭くなるのを逆に広げてくれるのです。老境をすごく楽しくしてくれるのはネット生活です。

(4)住んでいる町の旧石器時代の歴史を調べる
老境を楽しくするには自分の町の歴史を調べることに取り組むのも良いと思います。
歴史と言っても縄文時代やその前の土器の無かった旧石器時代の歴史です。
私が現在住んでいる場所は東京都小金井市です。隣には小平市があり、国分寺市や府中市もあります。少し足を伸ばせば相模原市もあります。これらの町からは旧石器時代の石器や縄文時代の土器が沢山出てきます。大げさに言えば、ザクザク出て来たのです。
ですから関東平野には約4万年前の旧石器時代から人間が住んでいたのは明確な事実です。
小金井の中町には3万年前の旧石器時代の石器と4500年前の縄文時代中期の環状集落跡が出土した「中山谷遺跡」があります。
写真に相模川の遺跡から発見された石器時代の住居跡と旧石器時代の人々の生活の様子を示す絵の合計3枚の写真を示します。この3枚の写真は相模原市の特別な歴史園、田名向原展示館へ何度も通い、自分で撮った写真です。
4番目の写真は平らな土地に丸い印をつけた掘っ建て柱の跡が見える旧石器時代の住居跡です。そして竪穴式住居の周囲に置いた石もあります。黒く焦げた炉跡も見つかっています。これが日本で初めて発見された旧跡時代の住居跡の一つなのです。
年代測定は29000年前の九州の姶良(アイラ)大噴火の火山灰層の位置と炭素の同位体による年代測定から約20000年前と判りました。
この田名向原では2万年前の旧石器時代の住居跡と3000個の精巧な石器の他に5000年前の縄文時代の住居跡、そして1400年前の13基以上の古墳が発見されたのです。
5番目の写真は大ツノシカを旧石器時代の人が数人で囲んで倒している様子を示しています。相模原市の田名向原展示館に展示してあった絵画です。
6番目の写真は旧石器時代に日本に棲んでいた動物を示しています。田名向原展示館の絵です。 ナウマン象や大ツノシカやイノシシがよく食べられていたようです。野尻湖のナウマン象の化石が食べられていたことを証明しています。
なお旧石器時代からの歴史の詳細は、http://blog.goo.ne.jp/yamansi-satoyama の2013年1月と2012年12月の次の関連した記事が掲載してあります。
「相模川中流は考古学的史跡の宝庫・・・3層、4層と住居跡や古墳が集中」
「日本の旧石器時代・その悠久の歴史(1)2万年前の住居の発見」
「私の郷土史(2)旧石器時代から江戸時代までの小平市鈴木町の変遷」
「所沢市砂川遺跡と岩宿遺跡から出た旧石器時代の石器の写真と日本の旧石器時代」

今日は老境を楽しく過ごすため次の4つの具体的な方法を順にご説明いたしましたました。
(1)新鮮な発見と広い視野、
(2)自然界に遊び、自然にとけ込む
(3)インターネットを楽しむ趣味を持つ
(4)住んでいる町の旧石器時代の歴史を調べる

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

「フランンスの市場の花の写真」

2021年09月02日 | 写真
写真の出典は、フランスのマルシェから、夏の花たち、http://www.hirokoendo.com/2015/08/flowers_marche_france/ です。

フランスといえば、マルシェ(市場)が楽しい!
庭がなくても、旅行中でも切り花を買って飾る楽しみがあります!
フランスのマルシェ、夏の花たち
ヴェルサイユ宮殿の近くの大きな広場には週3回マルシェ(市場)が立ちます。
八百屋や惣菜屋、魚屋、チーズ屋、ハチミツ屋、オリーブ屋、八百屋でもビオ(オーガニック)専門のところなど。
色とりどりの美味しそうなスタンドに混じって何軒かあったマルシェのお花屋さんからの写真です。
フローリストのショップとも違ってざっくりと色別に陳列されていることが多いです。




「秋の果物、あけび、栗、柿の思い出」

2021年09月01日 | 日記・エッセイ・コラム
秋になりました。
店には秋のいろいろな果物が美しく並んでいます。戦中、戦後に仙台市に育った頃は秋の果物といえば柿、そして木の実の栗しかありませんでした。冬になれば青森の林檎や静岡のミカンが果物屋に並びましたが、一般的に果物は貴重品でした。たまにしか食べられませんでした。

そんな時代に郊外の八木山の森深く入って行くと不思議に山栗が沢山落ちているところを一度だけ発見したのです。それは踊り上がるような歓喜でした。
栗の実を拾い集めてからさらに森の奥に入って行きました。と、不思議な果物がつるにぶら下がっていたのです。それは淡い紫色になったアケビでした。
すぐに取って、中の果実を口に入れると、やさしい穏やかな甘味が広がります。その甘味は砂糖のように強くなく、ほのかな甘味ですが、何故か体中が幸せになるような感じがします。

この世の果物ではないような味です。幻想的な味です。
それ以来、野生のアケビを探して八木山の奥に毎年のように入りましたが、なかなか見つかりません。まさしく幻の果物でした。

・・・それからいろいろな事がありました。
1975年になって山梨県の甲斐駒岳の麓の森の中に小屋を建てました。初めて行ったときに小川の向こうに何と、あの幻の果物のアケビが実っていたのです。薄紫色のアケビが3個ぶら下がっています。
少年の頃。仙台の八木山でアケビを見つけた時の歓喜がよみがえります。
そこでその小屋の名前を「あけび荘」とし、彫刻用の木版に彫って小屋に取り付けました。

・・・それからまたいろいろな事がありました。
1990年に琵琶湖で中古のヨットを買って、霞ヶ浦のマリーナまで陸送しました。その時、ヨットの店の人に「あけび号」と船首に書いて下さいと頼みました。
霞ヶ浦に浮かんだ「ヤマハ19」の白い船首の両側に墨黒々と「あけび号」と書いてあります。その後、少し大きな中古ヨットにしましたが、その登録名は「あけびⅡ号」としました。

アケビの実は不思議です。
いつもは忘れているのに人生の折り目、折り目に心の中から出てくるのです。そして八木山の奥でアケビを発見した時の歓喜がよみがえってきて幸せな気分になるのです。
読売新聞に下の句がありました。

「あの頃のほのかに甘き通草(あけび)かな」  松井矢菅

写真にあけびや秋の果物の写真を示します。
あけびの写真の出典は、http://www.geocities.co.jp/Foodpia-Olive/2344/recipe/oba-chan/akebikawa.htm です。
栗の写真の出典は、http://blog.goo.ne.jp/syumi-uu/m/200609 です。
秋の果物の写真の出典は、https://amanaimages.com/info/infoRM.aspx?SearchKey=22654001497&GroupCD=0&no= です。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)






「今日は9月1日秋の始まり、季節の花の写真をお送りします」

2021年09月01日 | インポート
今日の東京は最高気温が24度です。急に秋になりました。
そこで秋の花の写真をお送りします。

写真の出典は、https://www.kabegamikan.com/p/i.php?url=www.kabegamikan.com%2Fimg%2Fna16%2F194934.jpg です。

写真は順にコスモス(2枚)、アサガオ、リンドウ、ススキです。