今日はちょっと古い話になるのですが、おつきあいください。
2013年7月、ボクは長岡市消防本部で普通救命講習を受講しました。それまでにも職場の訓練や子どもの夏休みのプール監視のために、心臓マッサージや人工呼吸などの実技講習を受けたことはありましたが、AEDの機械を実際に使っての救命講習の受講は、その時が初めての経験でした。もちろんその時には、まさか半年後に自分がAEDを使って人命救助をすることになるとは、夢にも思っていませんでした。
年が明けた2014年1月13日(日)。長岡市市民体育館で冬季市民卓球大会が開催され、約900人の市民が大会に参加しました。ボクはこの大会に選手として出場していました。
午後2時過ぎに事故が起きました。シニアの部に出場していた60代の男性が、競技中に突然、意識を失って倒れたのです。ボクはその時、男性が倒れた隣のコートで審判をしていました。近くにいた人がすぐに男性の近くに駈け寄って声をかけましたが、反応がありません。周りにいたボクたち数名も男性の近くにいって様子を見ましたが、呼吸も心臓も止まっているように感じられました。
本当はこの時にボクがとるべきベストの行為は、救命講習で習ったように、「大丈夫ですか?」と男性に声をかけて意識や呼吸を確認し、「あなたは救急車を手配して、あなたはAEDを取りに行って」と、周りの人たちに適切な指示をすることだったと思います。しかし、冷静さを欠いていたボクには、それができませんでした。それどころか、わずか数秒間の短い時間ではありますが、「心臓の異常ではないかもしれない」とか「周りに自分よりも救護にふさわしい人(看護婦さんとか)がいるのではないか」とか「自分が率先して助ける必要はないのではないか」などの迷いが頭の中で渦巻き、逡巡してしまったのです。
しかし、ボクはその後すぐに「使うかどうかは別にして、とりあえずAEDを準備しておこう」と考え直し、全速力で事務室にAEDを取りに走りました。すると別の方が既に事務室に駆けつけて、救急車の要請をしているところでした。
ボクがAEDを持って走って現場に戻ると、ちょうどTさんが心臓マッサージを始めようとしたところでした。ボクは「AEDを装着します」とTさんに告げ、男性の服をめくりあげてAEDの2枚のパッドを装着しました。男性はピクリとも動きません。そして、心音チェック後にAEDから発せられた「電気ショックを与えてください」という音声の指示に従って、周りの人を遠ざけ、震える指でボタンを押し、男性に電気ショックを与えました。「ドン」という大きな音がして、男性の身体が飛び跳ねました。その後は音声の指示に従って、Tさんが心臓マッサージを続けました。ボクとTさんはそれまで面識はなかったのですが、2人とも必死でした。「なんとか生き返ってくれ!」祈るような気持ちでした。
ボクたちには長い時間に感じられましたが、おそらく実際には時間はそれほど経っていなかったと思います。Tさんの何十回目かの心臓マッサ-ジの途中で、男性が「ふぅ~」と息を吹き返し、自力呼吸を再開したのがわかりました。さらに、意識も少しずつ戻ってきました。「わかるか?大丈夫か?」と問いかけると、わずかに頷く動きが見られたのです。男性を見守り「がんばれ、がんばれ」と周りで声をかけ続けていた人たちから、拍手が湧きました。再びAEDが心音のチェックを行い、「電気ショックの必要はありません」という指示が流れました。ボクとTさんはホッとすると共に感動が込み上げてきて、「やりましたね」と固く握手を交わしました。すると、周りの人たちからもう一度大きな拍手が湧きました。それからしばらくして救急車が到着し、救急隊員によって男性は無事に病院へと搬送されました。「男性の命が助かって本当によかった」と、心の底から思いました。
後で救急隊の方から、「男性が倒れてからAEDの電気ショックと心臓マッサージを施すまで、非常に迅速に対応したことが命を助けた」と褒めていただきました。しかし、前にも述べたように、ボクはその時に逡巡してしまったのです。わずか半年前に救急救命講習を受けていたにもかかわらず、適切な対応をとれなかっただけでなく、一瞬とはいえ「自分がやらなくても…」等と消極的な気持ちになり、迷ってしまったのです。もし、ボクが救命講習を受講していなかったら、おそらく何も行動することはできなかったと思います.
「AEDの操作は音声ガイダンスの指示通りにすればいい」と、頭ではわかっていても、人の命に関わるとなればどうしても緊張してしまいますし、自信がなければ積極的な使用を躊躇しがちです。そして何より、切迫した状況の中で「AEDがあるはずだ」「持ってきて使わなければ」と、AEDの存在と必要性にすぐに気付かなければ、適切に使用することはできません。心肺蘇生は時間との勝負ですから、事故が起きて何分も経ってから「そういえばAEDがあったはずだ…」と気付くのでは、遅いのです。
数年前に比べると、公共施設等へのAEDの設置率は著しく向上し、市民のAEDに対する関心や認知度も高まってきています。しかし、AEDは日常的に使うものではありません。いつ来るかもしれない「その時」のために、準備されているものです。そして「その時」に機を逸することなく正しく使わなければ、「宝の持ち腐れ」になってしまいます。また、「その時」は来ない可能性も大いにあります。しかし、「その時」に正しく使えば、AEDは人の命を救うことができるかもしれないのです。
ボクはこの時の出来事で、救命講習の受講やAEDに関する研修の必要性を、再認識しました。できるだけ多くの皆さんが「その時に躊躇せずAEDを使う」ための判断力と勇気をもち、「その時に正しくAEDを使う」ための知識と技能を身に付けることができるよう、そして何よりも「その時にすぐにAEDの存在と必要性に気づく」ことができるよう、ぜひ一人でも多くの皆さんから、救命講習を受講していただきたいと思っています。