みのみん

宮崎県東臼杵郡椎葉村「鶴富屋敷」&クマ寂ちかったでちゅ①

皆さん、こんばんは(^○^)
二日間更新をお休みしました。

これからも、皆さんのご訪問楽しみにしています(^○^) (#^.^#)
今回一泊二日で、宮崎県の椎葉村、高千穂峡に行って来ました。

自然が、一杯心の栄養になりました(^○^)









トラちゃん、クマちゃん
お留守番ありがとうネ(#^.^#)
昨日20時近くに、帰宅しました。
トラちゃん、クマちゃん大喜び
めちゃくちゃ甘えて来ました(^○^)








宮崎県の北西部、内陸部の九州山地に位置する村です。村全体が山地のため、南九州なのに冬場は雪が積もることもあります。人口は3千人弱の小さな村ですが、平家落人伝説をはじめ椎葉神楽やひえつき節など、語り、歌い継がれてきた伝承文化が多く存在する場所です。   *ネットより引用








椎葉村全体が国見岳をはじめ九州山地の標高1000メートル以上級の山々に囲まれています。そのためなのでしょうね一年を通して涼しく冬に雪が積もったりするのは。雨にも恵まれていて年降水量は約2800mmになるほどなんです。なので水が豊かで十根川や耳川などの源流が流れていてとっても素敵な場所なんです。地理・民族的に日本三大秘境の一つに数えられているのだそうです。   *ネットより引用








椎葉村の魅力
村全体が山に囲まれた大自然。それが椎葉村の魅力です。村人たちはその自然の恩恵を大切に、様々な独自の食文化や生活の知恵を受け継いできました。また、有名な平家落人伝説が語りだけでなく、資料や屋敷跡などで実際に感じることができます。   *ネットより引用



椎葉村の歴史
椎葉村の歴史は、1185年に壇ノ浦で平家が源氏に敗れたことから始まります。日本全国に平家落人の里は数多くありますが、この椎葉村もそのひとつです。九州の山深くに逃れた平家の落人たちは、この地でひっそりと静かに平穏な時を過ごしていました。

そんな平穏な時が過ぎ、やがて源頼朝が椎葉村の存在を知ってしまいます。那須与一の弟、大八郎が平家追討の命を受け、この椎葉村へやってきました。しかし大八郎は「討伐を果たした」と嘘をつき、村人たちを助けながらこの地にとどまったのでした。   ネットより引用





やがて平清盛の末裔の鶴富姫と出会い、恋をします。永住を決心した大八郎は鶴富姫と結婚しますが、都から帰還の命が下り、愛しい鶴富姫とお腹の子を残して都へと帰っていったのでした。これが、椎葉村に伝わる平家落人伝説と大八郎・鶴富姫の悲恋の物語です。

伝承文化が息づく村は、壇ノ浦の戦いで滅亡した平氏の残党がこの「椎葉村」に隠れ住んだ場所と云われています。那須大八郎と鶴富姫伝説の那須氏は、落ち延びてきた平美宗や平知盛の子孫ではないかということも云われていますね。あくまでも伝承ですけどね。また収穫されたヒエを杵でつくときに歌われる労作歌の「ひえつき節」は宮崎県の代表的な民謡なんですよ。   *ネットより引用




平安時代、平家の落人が隠れ住んだと言う
伝説をもつ鶴富屋敷。

鶴姫を守るため、平家の落武者達は、反乱の意志がない事を
示すために、自決したそうです。



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