風の吹くまま

18年ぶりに再開しました。再投稿もありますが、ご訪問ありがとうございます。 

★「ブエノスアイレス」 ウォン・カーワイ監督作品 【香港】

2015-01-26 | 良質アジア映画




明日のない愛の関係は薬物のよう。そこから抜け出そうとする人の気力を愛という薬物の重力が人を縛りつける。愛は人に安らぎを与える薔薇の香り、しかし同時に心を乱れさせるアヘンの煙ともなる。

「ブエノスアイレス」はゲイカップルの物語りである。女性でいうなら悪女的ともいえるウィン(レスリー・チャン)、しかし本当は切ないくらいにファイ(トニー・レオン)を愛している。だが、ウィンの愛情表現は気まぐれで傍若無人。それはファイの気持ちををただ振り回すばかり。そしてそれはファイの心を擦り切れさせてゆく。

ファイは云う「出会ったことを死ぬほど後悔する」と。それは男女間にも同様に起こる愛のすれ違いによる心の磨耗。この関係の果てには、落ちてゆく『滝』のように何もない。そんなことはわかりながらもその関係から抜けれないファイ。

アルゼンチンの旅の途中で知り合った香港人の二人
何度も繰り返すすれ違い
やり直すために
二人で「イグアスの滝」へ向かう
そこでもまたおこる衝突
そしてそれが何度かめの別れとなる。

時をへた「ブエノスアイレス」で二人は偶然出逢う
ファイの部屋に傷ついたウィンがころがりこむ
しかし怪我から回復するにしたがいウィンはまた外出しがちになる
そんなウィンにファイの心は揺れ乱れる。

ファイの心を和ませるのは
同じ職場のチャン(チャン・チェン)
チャンは云う
「僕の耳はいい。声だけで相手がどんな人だとか何でも分かるんだ」。
しかしやがて旅人のチャンは
「世界の果てが見たい」と南米の最南端を目指して去ってゆく。

別れの夜、チャンはカセットテープにメッセージを吹き込むようにとファイに云う
彼の悲しみを捨ててくれるというのだ。

最南端の岬に着いたチャンは
ファイの吹き込んだテープを聴く
しかしそこには彼のメッセージはなく
ただ、すすり泣く声だけがあった。

そしてファイは香港へ帰る決心をする
彼は一人「イグアスの滝」へ向かう
最期に何かを捨てるために。

残されたウィンは泣き崩れる
なくしたものに気づく。

最初はいきなり男同士のベッドシーンから始まりぎょっとするが、次第にゲイ同士の愛の物語であるとは完全に忘れ、観るものはこの物語のもつ世界観に入り込んでしまう。

人は何がしら抜けだすことのできない何かを抱えている。明日の見えない恋愛関係、すれ違う人間関係、何かしらの悪しき習慣・・・それは薬物のように出口のない部屋に人を閉じ込めてしまう。幸せになるためには、そこから抜けだす痛みが常に伴う。だが、何かを捨てたとき、何かが見えてくるということがあるのだ。

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★「さらば、わが愛~覇王別姫」 チェン・カイコー監督作品 【香港・中国・台湾合作】

2005-11-03 | 良質アジア映画

3時間の長編映画であるがあっという間に物語は観終わる。ストーリーそのものだけでなく、蝶衣役のレスリー・チャン切ない心情表現と菊仙役コン・リーの香る母性表現なしにこの映画はありえない。米「Time」誌が選んだ20世紀の名作映画100選のなかに、黒澤明「七人の侍」「生きる」小津安二郎「東京物語」とともに、アジアから選ばれた数少ない作品のひとつというのは当然だろう。


人はそれぞれの運命に責任を負わなければならない。自らの力ではどうしようもないような生まれ育った境遇、そして生きたその時代、たとえそれらがどんなものであったとしても、人は運命に自ら責任をもつよう強いられている。『さらば、わが愛~覇王別姫』は、京劇の古典『覇王別姫』を演じる一人の女形役者の波乱の生涯を通じて、観るものの心に、運命とというものがもつ哀しみを深く刻みこむ。

母との別れ
厳冷のある日、母の暖かい腕に抱かれれた少年・小豆子、母の愛で包まれている。しかし、娼妓である母は、小豆子を、孤児や貧民の子供たちが集まる京劇の養成所に連れてゆく。母は泣き崩れながら養成所の老師に訴える。
「遊郭では大きくなってゆく我が子を育てられない」。
しかし、「指が6本ある」という理由で老師に断わられる。
そして母は小豆子の指を一本切断する。わが子の将来を想うがゆえのものとはいえ母は子を捨てる。こんな衝撃的なプロローグから始まるこの壮大な物語に観るものは引き込まれる。

養成所の日々
小豆子は娼妓の子として他の子供たちからいじめられたが、彼を弟のようにかばったのは小石頭だった。養成所での過酷な修行の毎日。女性的な小豆子は「女になれ」と老師に躾けられる。しかし、頑なな小豆子は、何度殴られようともうけいれない。そんな小豆子に老師は「覇王別姫」の物語りを語る。

「覇王別姫」は楚と漢の争いを背景にした物語りである
楚はどのような人物であったのか
勇将の誉れ高い無敵の英雄
敵の大軍を討ち破ったこと数知れず
だが、運は彼に見方しなかった
兵を進めたとき
漢王劉邦率いる伏兵に遭遇
その夜、強風に乗じて
劉邦の兵は楚の歌を歌い
楚の兵たちは王を見捨てて敗走を始めた
いかなる英雄いえども
定められた運命には逆らえないのだ
かつては絶大権勢を誇った楚王
だが最後に残ったのは一人の女と一頭の馬
馬を逃がそうとしたが馬は動こうとせず
愛姫も王のそばにとどまった
愛姫は王に酒を注ぎ
剣を手に王のために最後の舞を舞って
そのまま剣で我がのどを突き
王への貞節を全うした

覇王別姫の物語は、我々に何を教えているのか
人はそれぞれの運命に責任を負わねばならぬ、ということだ。

京劇役者の日々
やがて、時の流れとともに、女性的な小豆子は女役に、男性的な小石頭は男役者として見事に成長する。
小豆子は程蝶衣(レスリー・チャン)、小石頭は段小(チャン・フォンイー)と芸名を改め、京劇『覇王別姫』の名コンビとして京劇界の華となる。しかし、その絶頂期に生じる溝。
段小と演ずる京劇「覇王別姫」が人生のすべての程蝶衣、京劇はあくまで生きるための手段ですぎない段小。

盧溝橋事件~日本統治時代
段小は遊郭の娼妓・菊仙(コン・リー)と結婚する。この時から、程蝶衣と段小との間に更に深い溝が生まれる。そして、北京は日本軍に占領される。

ある日段小は楽屋で騒動を起こし連行されてしまう。菊仙は日本側に取り入ってもらえるのだったら段小と別れてもいいと程蝶衣に懇願する。程蝶衣の協力で釈放された段小なのだが、日本の犬と程蝶衣を罵り菊仙を連れて去る。そして程蝶衣と段小は別の道を歩むこととなる。傷ついた蝶衣はやがてアヘンへと溺れてゆく。
しかし、アヘンに溺れる程蝶衣を救ったのは、段小と菊仙だった。

共産党政権樹立、そして文化大革命 
日本軍の敗退で抗日戦争は終わり、共産党政権の誕生とともに程蝶衣と段小は再び舞台に立つが、京劇は革命思想に沿うよう変革を求められていた。変革に懐疑的な蝶衣は批判され、『覇王別姫』の虞姫役を奪われてしまう。

そして、その後訪れた文化大革命の波。政治的圧力を受け、反共分子として段小は程蝶衣の過去の罪を摘発せよと強制される。段小はそれに屈し、程蝶衣がかつて日本軍将校のために歌を歌ったことを訴える。同時に娼婦だった菊仙など愛していないと言ってしまう。ショックを受けた程蝶衣は、菊仙がかつて遊郭の娼妓であったことを摘発する。そして菊仙は自らの命を絶つ。

終止符 
文化大革命も終焉し、2人は11年ぶりに再会する。蝶衣と段小は無人の体育館で2人だけで『覇王別姫』を演じる。空白の長い月日も二人の演技には陰りをおとしていない。
しかしながら、舞い終わった時、程蝶衣はその生涯に終止符をうつ。


母に捨てられた境遇。「男として生まれた、女ではない」と頑なに女形として生きることを受け入れない養成所の日々、だがやがては『覇王別姫』の愛姫役に自らの人生を重ねるようになる。愛した人・段小は遊郭の娼妓・菊仙と契ってしまう。それゆえ彼女を深く憎む。
だが同時に彼女に遊郭の娼妓であった母の姿を重ね合わせる。アヘンに溺れた絶望の日々、そこから救ったのは菊仙の深い愛情。しかしながら、その菊仙を死に追いやってしまう。

蝶衣にとって最期に舞う『覇王別姫』。それは、女としていきること、段小への想いの終止符、そして菊仙への償いを自らの死という形で負うことであった。
少年の頃、養成所の老師に聞いた「『覇王別姫』の物語が教えているもの、それは『人はそれぞれの運命に責任を負わねばならぬ。』ということだ。」という言葉が重くのしかかる。

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★東京国際映画祭~高倉健と張芸謀(チャン・イーモウ)監督が目の前を~

2005-10-22 | 良質アジア映画

今日は、東京国際映画祭オープニング上映。高倉健主演 張芸謀(チャン・イーモウ)監督『単騎、千里を走る。』の日である。

当たったチケットを見ると、17:40会場18:00開始とある。しかし、更によくみると小さな文字で「16:00オープニングアリーナイベントに入場可」とあるではないか。

「なんだこりゃ???」
意味がよくわからないので、インターネットで検索してみると、映画祭会場の六本木ヒルズにもうけられたレッドカーペットを、今回の出品作品の出演者や監督たちがあるきイベント会場に続々と登場するとあるではないか。

せっかくなので、行ってみることにした。

アリーナ会場についたのが遅かったので、横手のほうの少々見づらい席しか空いていない・・・が、この席案外よいのだ。それはなぜかというと、アリーナ壇上にあがった人たちが会場からでてゆくときに、そのすぐ横の柵の向こう側そ通るのである。

ここで、約30年前映画小僧であったボクは、密かにある策略を考えていたのである。

続々と登場するTVや映画で見たことのある人々が、レッドカーペットをあるきアリーナ壇上に登場しては消えてゆく・・・・吉岡秀隆、小雪、工藤静香、榎木孝明、豊川悦司、中井貴一、寺尾聡、吉川ひなの、津川雅彦、木村佳乃、深津絵里、白石美帆・・・等と。

しかし、この手のものにはそれほど興味もないのだが。(とはいいつつ、木村佳乃はTVで見るのと違い、めちゃくちゃ綺麗なので驚いた。そんでもって、ボクの横の席をみると先日TVでやってた「飛鳥、まだ見ぬ子への」紺野まひるが座っている。これまためちゃくちゃかわいいのでやたらと気になった。)

それはさておき・・・・・

「よもや、これはひょっとして・・・」
「トリを飾って最後に登場するのは・・・」
と、最後まで待っていると。

「来ました!」
予想どうりトリは、高倉健と張芸謀(チャン・イーモウ)監督!やはりこの二人にもっとも大きな歓声。壇上にあがり軽く挨拶をして、手を振りながら会場からでてゆく二人。

ここで、元映画小僧のボクは、横を通過する健さんと張芸謀監督に向かって、「ミスター」と呼び手を出してみた。その前も何度も他の映画人たちと握手するチャンスはあったのであるが、そこでしてしまえば係りの人に止められる可能性が高い。また、シャイな日本人は最初に誰かがやらない限りしないが、誰かがやると真似し始める。であるからして、最後の最後までこのチャンスを待っていたのである。

そしたら「なんと!」
張芸謀監督が近寄ってきて、穏やかな微笑みで握手してくれたのである。
わずか一瞬んの出来事だったが、なんとも幸せな時間だった。

ところで、オープニング上映作品『単騎、千里を走る。』は予想どうり素晴らしい作品であった。控えめな演出と静かで穏やかストーリーにいつのまにか自然に瞳に涙が潤う。有名俳優、派手なストリー展開、とってつけたような演出のない映画でないと好きになれない人もいるかもしれないが、こういう映画はボクは好きである。近年、任侠アクションものが続いていた張芸謀監督だったが「あの子を探して」以前のテイストの作品である。(劇場予告編) この映画については、後日ゆっくりと書きたいと思う。

上映前には、張芸謀監督の作った高倉健と現地のスタッフとの交流を描いたメーキング・フィルムの特別上映があり、既にこの段階で感動してしまった。健さんが現地のスタッフに慕われていたその姿に胸打たれる。また、そのフィルムを撮る監督の視線は「この監督は本当に健さんのことが好きでたまらないんだなあ」と感服する。メーキング・フィルムのナレーションも張芸謀監督ご本人である。さすが元俳優をされていただけに、静かなその語り口は染み入ってくる。

上映前の舞台挨拶では、また二人が登場。

今やアジアのみならず世界を代表する映画作家の張芸謀監督(55歳)の健さん(74歳)への気遣いは見ていてとても美しかった。また、健さんも「できれば、彼を養子にしたい」と・・・まんざら冗談ではなかった。

ボクは知らなかったが、中国では文革後初めて上映された外国映画が健さんの「君よ憤怒の河を渉れ」だったそうだ。当時中国全土で公開され大ヒットとなったそうである。いまだに、その主人公の名前を人々が覚えているくらい高倉健は最も親われている日本人だのだそうだ。最近の、日中政府間については冷めた関係のニュースばかりを耳にして嫌になるが、こんな話を聞くと、ほっとする。

舞台からもおりる際には、お互いが先を譲りあいなかなか退場しない。そんな姿に会場の人たちも、何か忘れかけていた昔のアジア人がもっていた謙譲の精神の美しさを見て、会場全体が穏やかなムードに包まれた。

『単騎、千里を走る。』の撮影風景と現地の人々との交流については、11月19日NHKスペシャル『絆(きずな)~高倉健が出会った中国の人々~』があるそうである。是非、これも観てみたい。

なお、張芸謀監督は今年の東京国際映画祭の審査委員長を務めている。

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★「初恋の来た道」 張芸謀(チャン・イーモウ)監督作品 【米中合作】

2005-09-26 | 良質アジア映画

原題:「我的父親母親」  英語タイトル:「The Road Home」  個人的には、英語タイトルがもっとも物語にあっているのではないかと思う。  監督の張芸謀(チャン・イーモウ)は、この作品で「ベルリン国際映画祭金熊賞受賞」。『紅いコーリャン』では「ベルリン国際映画祭銀熊賞受賞」。『菊豆』と『紅夢』で2度の「アカデミー外国語映画賞ノミネート」。『紅夢』で「ベネツィア映画祭銀獅子賞」。『秋菊の物語』と『あの子を探して』で2度の「ベネツィア映画祭金獅子賞」を受賞。アジアを代表する映画作家・監督。他に『Hero』等が有名。小生がもっとも好きな映画作家の一人。ヒロインのチャン・ツィイーはこの作品で一躍世界的に有名となる。

初恋の来た道- 良質アジア映画
これは<奇跡>のように現れた映画である。
一本の道を通して育まれた一途な恋の物語がまるで寓話のように描かれる。

都会でビジネスマンをしている青年ルオ・ユーシェン(スン・ホンレイ)は、雪道を友人に車で送られ、華北の小さな山村に久しぶりに「帰郷」する。それは父の死の知らせをうけたからだ。その小さな山村の唯一の分教場の教師だった父は、新しい校舎建設のため病をおして金策に奔走し、吹雪の中で力つきたのだった。

父の遺体はまだ町の病院に安置されてたが、母(チャオ・ユエリン)は町から続く「道」に遺体を人が担いで帰る伝統の葬儀をすると言って周囲を困らせる。その様子を見ながら息子は村の伝説となった父母の恋物語を思い出いだす・・・・・

40年前、20歳の青年教師ルオ・チャンユー(チェン・ハオ)は、村人たちが待ち望んでいた教師として、村へと続く一本の道を馬車にのってやってきた。少女チャオ・ディ(チャン・ツィイー)は都会からやってきた若い分教場の教師に恋して、その想いを伝えようとする。彼が食べてくれるのではとの一途な想いで毎日弁当を作り続ける。授業中は、彼の範読する声を聴きつづける。

少女の恋心は、やがて彼のもとへと届くのだが、田舎の山村にも「文革」の波が押し寄せ青年は町へと帰ってゆく。そして、少女は町へと続くその「道」で、来る日も来る日も、季節が移り変わりゆくなかで、手作りの弁当をもって彼を待ち続ける・・・・・・・・・・


やがて葬儀も終わり息子のユーシェンが都会に帰る朝。遠くから聴こえる範読の声。聴き覚えのある教師の声、それに続く子供たちの声。その声に引き寄せられるように、歩いてゆく年老いた母。村人たちもやがて集まってくる。それは、遠い昔少女が学校の外から聴いた父の作った文章だった・・・


礼儀正しく、
暖かい気持ちを忘れず、
人、世に生まれたら志あるべし。
書を読み、字を習い、見識を広める。
字を書き、計算ができること。
どんなことも筆記すること。
今と昔を知り、天と地を知る。
四季は春夏秋冬、天地は東西南北。
どんな出来事も心にとどめよ
目上の人を敬うべし・・・・・・・・・・・・・
 

静かで叙情性を高める音楽。鮮やかな四季折々の森と林、どこまでも続く黄金色の麦畑、丘にのびる一本の道を映し出すあまりにも鮮やかな映像。そしてそこに暮らす素朴な人々と家族の形。それらは豊かになった今でも、我々のDNAのどこかに記憶されている遠い昔日本にもあった<故郷の原風景>。そして、少女の純粋で無垢な心と一途な姿。それはかつて<自分の中>にもあったもの。

そんな忘れかけた何かをもって、この映画は観る人の心の奥へと続く一本の「道」を通って、<奇跡>のように静かにやってくる。そして、ぽろぽろと流れでる涙が止まらない。

観た人にとっては、きっと生涯忘れ得ない映画となることだろう。

 

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★「ラブレター~パイラン(白蘭)より」 【韓国】

2005-09-23 | 良質アジア映画

ラブレター ~ パイラン(白蘭)より」 - 良質アジア映画

浅田次郎の短編小説「ラブ・レター」を原作とする韓国映画。ガンジェ演ずる俳優は「シュリ」で有名なチェ・ミンシク。ヒロインのパイラン役には香港女優のセシリア・チャン。まだ、今の韓流ブーム前の作品。今日の韓流ブームの中でも、この作品は何故かほとんど語られることがないようだ。それは物語のパイランのように、映画自体もひっそりと存在している。

人は、自分以外の人を通じて自分を振り返るときがある。自分の力だけではどうしようもなく、変えようもなかった日々のくらし・・・それが他の誰かとのほんの僅かな接点で変わってゆくことがある。そして、そんな僅かな接点が積み重なって今の自分があるのかもしれない。そんなことを考えさせられる作品である。

三流やくざでどうしようもない屑のような生活を送るガンジェ(チェ・ミンシク)のもとに、ある日訃報が届く。それはかつて金欲しさのために偽装結婚した中国人女性パイラン「白蘭」(セシリア・チャン)の死の知らせだった。

彼女の顔すらも知らないガンジェだったが、遺体を引き取りに彼女が暮らした海沿いの小さな町を訪れる。

そこにはパイランが、病のもとで書いたガンジェ宛ての一通の手紙が遺されていた。病と闘いながら必至に働いて言葉を覚えていったパイランの最後の手紙。そこにはカンジェへの、素朴で純粋な気持ちが切々と綴られていた。

****************************

カンジェさんへ

この手紙を読んだとしたら、私に会いに来てくれたんですね
ありがとう。

でも、私は・・・
きっと死にます。

短い時間でしたがカンジェさんのやさしさに感謝してます。
私はカンジェさんのことをよく知っています
忘れないために写真をみているうちに、カンジェさんのことを好きになりました
好きになったら、今度は寂しくなりました
一人で過ごすのがとても寂しくなりました
ごめんなさい。

写真の中のあなたはいつも笑ってます
ここの人たちはみんな優しいですが
カンジェさんが一番やさしいです。

カンジェさん
私が死んだら、会いに来てくれますか?
もし許してくれるなら、ひとつお願いがあります。
あなたの妻として死んでもいいですか?
勝手なお願いでごめんなさい。
私のお願いはこれだけです。

カンジェさん
あたなにあげるものが何もなくてごめんなさい

この世界の誰よりも・・・・愛してる
カンジェさん さようなら 

*********************パイラン最後の手紙

中国人孤児のパイランは、韓国の親戚を訪ねたもののすでに海外に移住してしまっていた。途方にくれた彼女は、就労のためにやむを得ずカンジェと偽装結婚する。そして、海沿いの小さな町で職を得ることができた彼女は、結婚書類作成の際に渡された1枚のカンジェの写真を見ながら、彼への感謝の気持ちと想いをもって毎日を生きていた。

一度も逢うこともなかったパイランの遺した手紙を通して、欠陥だらけの自分の人生と自分自身を振り返り変わってゆくカンジェ。そして、孤独で不遇な身でありながらも素朴でけなパイランの姿。そして、ラストシーンではカンジェへの想いを綴った手紙がパイラン(セシリア・チャン)の麗しい声で静かに読み上げられる。また、それを演じるセシリア・チャンは野にひっそりと咲く名も知らぬ花のように可憐な美しさだ。これでもかーというくらい涙腺を直撃し息ができないほど泣かされる。

人はひとつの曇りもない美しさに触れたとき浄化される。それがこの物語の主題であり、パイランのけなげな美しさと、それに触れたカンジェが悟る姿に心打たれる。そしてそれはスクリーンのなかのカンジェではなく、この物語に触れた自分自身もだ。

見終わった後も、その切ないラストシーンの余韻が永遠に心に残りつづける至極の名作のひとつ。

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