日野原重明さんの著書「こころ上手に生きる」に、NYリハビリテーション研究所に書かれた末期癌患者の詩が紹介されていた。
大事をなそうとして
力をあたえてほしいと神に求めたのに
慎み深く従順であるようにと
弱さを授かった
より偉大なことができるように
健康を求めたのに
より良きことができるようにと
病弱を与えられた
幸せになろうとして
富を求めたのに
賢明であるようにと
貧困を授かった
世の人々の賞賛を得ようとして
権力を求めたのに
神の前にひざまづくようにと
弱さを味わった
人生を享受しようと
あらゆるものを求めたのに
あらゆるものを喜べるようにと
生命を授かった
求めたものは一つとして与えられなかったが
願いはすべて聞きとどけられた
神の意にそわぬ者であるにかかわらず
心の中の言い表せない祈りはすべてかなえられた
私はあらゆる人のなかでもっとも豊に祝福されたのだ
思いどうりにいかないことばかりの毎日、そして人生。求めたものが実現されない連続、失うものの連続。それによる憔悴、不安、哀しみ。しかし、この詩が伝えるように、それは別の何かが与えられているのかもしれない。そうだとしたら、もう少しがんばってみようと思う。時間がたてば、その意味が自分にもわかるかもしれない。
思いどおりにいかないと嘆いていても始まらない。形を少し変えてすでに与えられているのかもしれません。目に見えたり手で触れたりできるものに安心を求めますが、思いも寄らないふうになってどこかにあるのかもしれません。それに気づくことができるでしょうか。
コメントありがとうございました。yan
さんのコメントとこちらを読ませていただいてあったかい気持ちになりました。理由のない焦燥感で不安定になっていたようです。
いつもコメントありがとうございます。
なるほど・・・目に見えたり手で触れたりできるものに安心を求める・・・おっしゃるとうりです。
青年時代は、おっさん連中が自信満々に見えましたが、自分がその年齢に突入すると、やっぱり同じでしたw これっていつまでつづくんでしょうかねえw
日野原重明さんの著書は「生き方上手」と犬養道子さんとの共著(タイトルが出てこない・・汗)を読みました。犬養さんが大好きなもので。
おふたりともクリスチャンなんですよね。私はクリスチャンではないのですが、学生のときにそういう教育を受けたことがあるので(キリスト教学、聖書論など)そういう考え方には割りとなじみます。
父なる神はいつでも自分とともに自分を見守ってくれているというのは、勇気がでます。
ありがとうございます。
僕もクリスチャンではありませんが、こういう詩に接すると、信じるものを持っている人というのは生きる上での核をもっているようで、すごく羨ましくなります。
高倉健のHNK番組のことを書いた枠に、コメントをありがとうございました。
今、この詩を読んで
真理を衝いているな、と感動しました。
突然勝手ではありますが
私のビブログにも書いてもいいですか?
(と同時に書いてたりして・・・)
ダメだったら、言ってください。
どうぞお使いください(といっても、僕が書いた詩じゃないので僕がそういう権利ありませんがw)
いろんな経験してゆくと、自分に自信がついてくるというより、自分の弱さがわかってくる・・・と最近実感してます。そういう意味からこの詩のもつ意味の深さを感じます。