「詩人(うたびと)の声 石彫家・八木ヨシオ-人と作品」(早坂義征著 水茎舎H29.11.1)を読む。
はしがきの冒頭を紹介する。「これは八木ヨシオの評伝というよりも、手探りで彼に対する情報を断片的にまとめたもので、八木ヨシオの覚書と呼ぶべきものである。また、これは単に彼個人の評伝ではなく、彼の作品と事績をめぐりながら、石彫家とはいったい何者かと、私なりに探ってみたものである。(後略)」
早坂は八木との長い交流と数年にわたる資料収集を得て本書を完成させた。時に八木に寄り添い、時に距離を保ちながら常に客観的に八木を見つめている早坂がそこにいる。豊富な写真群による具体性とともに、作品への的確な文章にあふれた書である。
はしがきの末尾を紹介しよう。「石彫家は対象の石と対話をし、格闘しながら作品を作る。それらのの対話の声や格闘しているときの呻き声に耳を傾ける。これは、詩人の一人である、石彫家八木ヨシオの心の声に耳を澄まして聴き、書き留めた覚書である。」
八木ヨシオは古くからの私の友人でもある。本書のように第三者の目からの「八木像」に触れることは楽しいことである。谷中優(2018.2.1)
はしがきの冒頭を紹介する。「これは八木ヨシオの評伝というよりも、手探りで彼に対する情報を断片的にまとめたもので、八木ヨシオの覚書と呼ぶべきものである。また、これは単に彼個人の評伝ではなく、彼の作品と事績をめぐりながら、石彫家とはいったい何者かと、私なりに探ってみたものである。(後略)」
早坂は八木との長い交流と数年にわたる資料収集を得て本書を完成させた。時に八木に寄り添い、時に距離を保ちながら常に客観的に八木を見つめている早坂がそこにいる。豊富な写真群による具体性とともに、作品への的確な文章にあふれた書である。
はしがきの末尾を紹介しよう。「石彫家は対象の石と対話をし、格闘しながら作品を作る。それらのの対話の声や格闘しているときの呻き声に耳を傾ける。これは、詩人の一人である、石彫家八木ヨシオの心の声に耳を澄まして聴き、書き留めた覚書である。」
八木ヨシオは古くからの私の友人でもある。本書のように第三者の目からの「八木像」に触れることは楽しいことである。谷中優(2018.2.1)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます