本独唱版はJFC(日本作曲家協議会)のコンサートに向けて改訂したもので、作業の当初から、ブルガリアの作曲家・指揮者でピアニスト・声楽家でもあるBoyko STOYANOV(ボイコ・ストヤーノフ)の演奏をイメージしていた。
JFCコンサートでの初演後、出版に際して細部のさらなる精査に努め、最終的に演奏時間の短縮等を経て今回の形に落ち着くことになった。作品解説については前述のマザーアース出版のオリジナル(合唱曲)の解説を以下に引用する。
詩は筆者高校2年の時、故郷の四国山脈を仰ぎつつ一気に書きあげた。彼は何を思っていたのか。その時の心情はもはや記憶の外である。作品はサウンド・クラスターの概念による大編成の合唱曲としてまとめたもので、謡曲の表現手段の一部を語りの部分に取り込んでいる。
「様々な愛の様々な形態は、演奏メディアによって時間空間に浮遊するオブジェの、明滅するそれらの形態との異次元的トポロジー空間を導き出す。そうして分解された詩は、その本質のみが、フォルム化された空間音響に内在することとなる」<作曲グループ「MUSIK 21」第4回コンサート・プログラム・ノート 1976年 より> 演奏時間/約7’15”
JFCコンサートでの初演後、出版に際して細部のさらなる精査に努め、最終的に演奏時間の短縮等を経て今回の形に落ち着くことになった。作品解説については前述のマザーアース出版のオリジナル(合唱曲)の解説を以下に引用する。
詩は筆者高校2年の時、故郷の四国山脈を仰ぎつつ一気に書きあげた。彼は何を思っていたのか。その時の心情はもはや記憶の外である。作品はサウンド・クラスターの概念による大編成の合唱曲としてまとめたもので、謡曲の表現手段の一部を語りの部分に取り込んでいる。
「様々な愛の様々な形態は、演奏メディアによって時間空間に浮遊するオブジェの、明滅するそれらの形態との異次元的トポロジー空間を導き出す。そうして分解された詩は、その本質のみが、フォルム化された空間音響に内在することとなる」<作曲グループ「MUSIK 21」第4回コンサート・プログラム・ノート 1976年 より> 演奏時間/約7’15”
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます