北陸線交直セクションの繋ぎ役 ED30の時代
北陸線の交流、直流の接続区間で昭和41年から43年に活躍した機関車を交直セクションの繋ぎ役と題して記録した。
昭和32年、北陸線の田村・敦賀間が交流電化されたが、米原・田村間4.7キロはしばらく非電化のまま残された。
直流の東海道線と交流の北陸線の接続がネックとなり電化完成は37年。北陸トンネル開通、福井電化開業の年である。
田村駅南方に交直セクションを設置して交直両用電車が投入されたが、電化後もこの区間は蒸気機関車が活躍していた。
米原と田村それぞれで電気機関車の付替えが不可避であり、この区間の列車を牽引する機関車を要したためである。
こうした時代背景にあって、37年に交直両用電気機関車の試作機ED30が製造され、米原機関区に配属された。
ED30は1形式1両である。当時はD50と共にこの区間の営業運転の任に就いていた。
41年1月23日、まだ中学生であったが、初めて湖東のこの区間を訪れてED30を撮影した。
名古屋から普通電車で米原に行き、雪の田村間を列車で往復した。復路はED30の牽引であった。
ED30-1 いかにも試作車両を思わせる運転室屋根上の機器
ED30への付替え作業 米原に向かう 上り532レ客車先頭部より
田村で待機するED30-1
田村以北は交流電気機関車が担当 下り新津行523レのED70―12付替え作業
田村で待機する交流電気機関車をまとめて数両見た。初めて見るローズピンクの車体が雪のなか鮮やかであった。
ED70-7
EF70-6 白熱1灯の1次形(1~21)
EF70ー66 シールドビーム2灯の2次形(22~81)
1966.1 田村駅
写真を撮り始めた当初は蒸気機関車は当たり前の存在で、あまり写真を撮る気にならなかった。
長野工場式デフのD50ー131
ラッセル車DD15と米原駅構内除雪作業
1966.1 米原駅