駿河屋の職人さんとひょんなことから知り合いになって、
駿河屋復活までの経緯はすこしばかり聞きました
結局ある人のお陰で駿河屋のブランドは守られました。
その間は、職人さんといえども、店が動かない限りは何もできなくてつらそうでした。
男たるもの、仕事がないときほどつらいものはなく、
たとえ失業保険をもらえていても、この先の行末がままならないわけですから、
つらいわけです。自分の腕につけてきた
もろもろの知識もこのまますたらせるわけにはいかない。
しかし、一介の職人が経営に口を挟むことはままならない。
そのじれったさの中でただただやきもきするわけです。
駿河屋が存在してこそ、駿河屋で培った伝統の菓子作りが
可能になります。彼はそのつらさをあまり語ることはなかったですが、
暇すぎてつまらん。ということは言っていました。
そのあと、駿河屋ののれんが守れるということを
ニュースで聞いてほっとしました。
いまはローカルの放送局などとコラボしたり
商品開発を積極的に進めているようです。
以前はお供えや、法事の際には駿河屋さんの商品をよく
買っていました。それでも毎日のようにそういう甘いモノを
食べるというのも体のことを考えれば、
購入する頻度は少なくなりました。
今後は、駿河屋さんはスーパー宇治田にもおいてあるので、
そこで購入したいと思います。
スーパー宇治田が倒産した後、会社更生法が受け入れられ
しばらくして店が開店したのですが、
商品がほとんどなかったです。
特にパンコーナーにはヤマザキパンはまったくなく、
店に商品が無いというのはほんとうに寂しいものだと
実感しました。
商品というのはそのボリューム感が大切です。
全て売れなくてもある商品が山積みになっていると、
まずそこに目がいき、その商品を手にとって見たくなります。
商品というのは人を呼び寄せるパワーを持っているのです。
ヤマザキパンはなかったですが、そこに中田のパンが
おいてありました。この中田のパンは小学校の給食などにも
パンを提供しているので、多くの和歌山県人は何度も食している
パンです。
ヤマザキパンの経営方針として、会社更生法が出ていても
倒産して負債を抱えている小売店とは取引しないという
商習慣を頑なに守っているのでしょう。
一部上場企業としての上から目線なのかもしれません。
もしそういう危ない企業と取引して、不渡りが出てしまえば、
債権を回収できないからそういうリスクは追わない。
それは自分を守る最上級のリスク管理でしょう。
とはいえ一方、中田のパンは取引をしている。
ちゃんと商品をおいているのです。
あえて、リスクを犯しても、会社更生法がでているなら、
応援しようじゃないかという矜持が感じられます。
そういう事情がパンの売り場を見るだけでわかりました。
だから、今は中田のパンもよく買うようになりました。
応援したい、なんていうとおこがましいですが、
美味しいものを努力してつくって企業を応援するには
その商品を購入し続けることが一番の応援だと思います。
世の中はどんどん変化しています。
盛者必衰とはよく言ったもので、常に勝ち続けるというのは
困難なことです。一方、大きい物が小さいものを飲み込んでしまう
ことはよくあります。しかし、世の中は常に変化していて
人類の歴史以前の沖積世の時代に、恐竜が絶滅したのも
恐竜自身が大きくなりすぎたがゆえでしょう。
生物として極限までおおきくなり、限界点に達してしまったのでしょう。
世の習いとして、おごり高ぶるものは必ず試練を受けます。
実るほど頭を垂れる稲穂かなとはいいますが、
これはなかなか人として実行するのは難しいでしょう。
人格、品格を持つ人とは本来そそれができる人だと思います。
子供たちへの教育も全く同じです。ほんとうの意味での
賢さを備えた子供に育てていくことが大切です。
時代が大きく変わってもその変化に対応できる
柔軟性が生きていく上で一番大切です。
教科書に書かれていることを修得することも大切ですが、
それを習得する先のことも、その後のことも踏まえて
考える力をつけていくことが大切だと思います。
その大きな視点があれば、さきのことを案じながら
今を準備することができます。