朝食は8時半から本館で。
やはり3組同時のスタートですが、違う部屋にしてくれたようです。
お世話してくれたのは昨日と同じ、若くて所作の美しい女性達。
「自宅が近いの?」と聞いたら、近くに寮があるそうです。
そう言えば朝、庭をはいていた板前さんも若そうでした。
それで思い出したのが、大女将が40年間、調理場の続きにある納戸のような
畳2畳の部屋で寝起きしていた逸話。
自分達家族だけで食事をする事もなく、いつも従業員とともに、調理場の片隅
で食事を取ってきたこと。
嫁いだ二人の娘さんやお孫さん達が来ても、一緒に食事したり、泊まれる部屋
がなかったらしい。
何年もかけて客室を全面改装、従業員の寮を作り直し、息子夫婦の家を建て、
最後に自分の部屋。
この大女将がいたからこそ、今の美山荘があるのだと思いました。
<ahref="http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5f/de/c743796ef3c5f3edbcbf38217a5c8fad.jpg"> 朝食は箸置きあり。
季節の草花の描かれたお盆は、襖やのれんと同じ徳力富吉郎さん作。
献立はご飯のすすむ、濃い目のもの中心。
朝食の献立表はなく、何かで読みましたが、4代目のご主人はあまり料理に
名前をつけるのがお好きでないらしいので、こちらで適当につけました。
梅湯
梅漬を崩してはちみつと白湯で溶いたもの。
へしこ(サバを粕着けにしたもの)たっぷりの大根おろし添え
くみたて豆腐のあんかけ
ブロッコリーとほうれん草のごまあえ
味はしっかり、写真がぼけちゃいました。
筑前煮風だけど、鶏肉は入っていなかったような。
おあげさんとしゃくし菜の炊いたん
かぶのお味噌汁
お漬物
切り口も美し。
ごはん よそってもらったけど、縁のごはん粒が惜しい(笑)
1組ずつ炊かれます
もともと奈良の春日大社の社家であった初代が、大悲山峰定寺の再興に共鳴、
1895年(明治28年)に峰定寺参りの信者のために、宿坊として建てたのが宿の
始まりです。
3代目当主中東吉次が、1937年(昭和12年)に宿坊を料理旅館に増改築。
屋号を「美山荘」として現在の形になりました。
早逝された3代目ですが、世間の「売り家と唐様で書く三代目」とは逆に、
料理にお茶に書画骨董と精進され、今の宿の基礎を造られたようです。
創業当時の宿坊の面影を残す本館。
庭にはしゃくなげがたくさんたくさん植えられているようでした。
昨日は、秋の部屋でしたが今朝は春・・・あれ?朝顔=夏です。
東大寺名誉管長、清水公照さん作 奈良つながり?
白洲正子さん、立原正秋さんなど作家や文化人の利用も多い美山荘さん。
これは私でもよめるぞ。
部屋は残念ながら「冬来たりなば、春遠からじ」ではないような。
でも、ある意味その通りの
冬の部屋の縁側の壁に、取り外された春の襖が立てかけられていました。
さて、床の間があり部屋らしいのは両端にある2室。
襖の絵で言うと春と冬です。
前夜、先に夕食を終えられたお隣の部屋を見せてもらいました。
客室としても使われる一番奥の部屋です。
秋の襖をあけると
振り返ると・・・私達の食事をしていた場所でなく、手前の白い襖(雪)を見て
下さいね。
そう、冬の部屋の襖は「雪」柄なので白なんです。
部屋で1番見たかった、松の床柱。
1年くらい松ヤニが出て、拭くのが大変だったそうです。
お茶の世界では、松の床柱や敷居が重宝されるのですが・・・
母屋玄関と離れにお土産コーナーがあり
食品だけに賞味期限などもじっくり見たいと思ったものの、包むのに時間が
と言われ、とりあえず日持ちしそうで
2010年9月25付の日本経済新聞土曜版、NIKKEI プラス1で
「お代わりしたくなるご飯のお供」第2位の 「花山椒ちりめん」
を2つ購入。
現金にて購入との事。
天日干しした甘みの強い対馬産のチリメンジャコと京都産のサンショウを、天然もろみを搾ったしょうゆで炊き上げた。サンショウは実ではなく、香りの優しい花を使うことで刺激を抑え、チリメンのうまみを引き出した。
「口にした瞬間の香りが素晴らしく、ジャコの食感も硬すぎず、軟らかすぎずで絶妙。丁寧な作りと繊細な味付けでご飯が止まらず、食べ飽きない、「薄めの味付けに仕上がっている。サンショウの辛さを感じさせない分、幅広い層の人が楽しめる」
120グラム入り2500円。製造から冷蔵で約30日
こういうお土産物は、食事の際に試食みたいな形で供される事も多いけれど、
こちらではなかった。
食後というわけではなく、チェックアウトの1時間くらい前に出されるコーヒー
と黒砂糖のお菓子。
指先がふけるミニサイズの布製お手拭。
やはり3組同時のスタートですが、違う部屋にしてくれたようです。
お世話してくれたのは昨日と同じ、若くて所作の美しい女性達。
「自宅が近いの?」と聞いたら、近くに寮があるそうです。
そう言えば朝、庭をはいていた板前さんも若そうでした。
それで思い出したのが、大女将が40年間、調理場の続きにある納戸のような
畳2畳の部屋で寝起きしていた逸話。
自分達家族だけで食事をする事もなく、いつも従業員とともに、調理場の片隅
で食事を取ってきたこと。
嫁いだ二人の娘さんやお孫さん達が来ても、一緒に食事したり、泊まれる部屋
がなかったらしい。
何年もかけて客室を全面改装、従業員の寮を作り直し、息子夫婦の家を建て、
最後に自分の部屋。
この大女将がいたからこそ、今の美山荘があるのだと思いました。
<ahref="http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5f/de/c743796ef3c5f3edbcbf38217a5c8fad.jpg"> 朝食は箸置きあり。
季節の草花の描かれたお盆は、襖やのれんと同じ徳力富吉郎さん作。
献立はご飯のすすむ、濃い目のもの中心。
朝食の献立表はなく、何かで読みましたが、4代目のご主人はあまり料理に
名前をつけるのがお好きでないらしいので、こちらで適当につけました。
梅湯
梅漬を崩してはちみつと白湯で溶いたもの。
へしこ(サバを粕着けにしたもの)たっぷりの大根おろし添え
くみたて豆腐のあんかけ
ブロッコリーとほうれん草のごまあえ
味はしっかり、写真がぼけちゃいました。
筑前煮風だけど、鶏肉は入っていなかったような。
おあげさんとしゃくし菜の炊いたん
かぶのお味噌汁
お漬物
切り口も美し。
ごはん よそってもらったけど、縁のごはん粒が惜しい(笑)
1組ずつ炊かれます
もともと奈良の春日大社の社家であった初代が、大悲山峰定寺の再興に共鳴、
1895年(明治28年)に峰定寺参りの信者のために、宿坊として建てたのが宿の
始まりです。
3代目当主中東吉次が、1937年(昭和12年)に宿坊を料理旅館に増改築。
屋号を「美山荘」として現在の形になりました。
早逝された3代目ですが、世間の「売り家と唐様で書く三代目」とは逆に、
料理にお茶に書画骨董と精進され、今の宿の基礎を造られたようです。
創業当時の宿坊の面影を残す本館。
庭にはしゃくなげがたくさんたくさん植えられているようでした。
昨日は、秋の部屋でしたが今朝は春・・・あれ?朝顔=夏です。
東大寺名誉管長、清水公照さん作 奈良つながり?
白洲正子さん、立原正秋さんなど作家や文化人の利用も多い美山荘さん。
これは私でもよめるぞ。
部屋は残念ながら「冬来たりなば、春遠からじ」ではないような。
でも、ある意味その通りの
冬の部屋の縁側の壁に、取り外された春の襖が立てかけられていました。
さて、床の間があり部屋らしいのは両端にある2室。
襖の絵で言うと春と冬です。
前夜、先に夕食を終えられたお隣の部屋を見せてもらいました。
客室としても使われる一番奥の部屋です。
秋の襖をあけると
振り返ると・・・私達の食事をしていた場所でなく、手前の白い襖(雪)を見て
下さいね。
そう、冬の部屋の襖は「雪」柄なので白なんです。
部屋で1番見たかった、松の床柱。
1年くらい松ヤニが出て、拭くのが大変だったそうです。
お茶の世界では、松の床柱や敷居が重宝されるのですが・・・
母屋玄関と離れにお土産コーナーがあり
食品だけに賞味期限などもじっくり見たいと思ったものの、包むのに時間が
と言われ、とりあえず日持ちしそうで
2010年9月25付の日本経済新聞土曜版、NIKKEI プラス1で
「お代わりしたくなるご飯のお供」第2位の 「花山椒ちりめん」
を2つ購入。
現金にて購入との事。
天日干しした甘みの強い対馬産のチリメンジャコと京都産のサンショウを、天然もろみを搾ったしょうゆで炊き上げた。サンショウは実ではなく、香りの優しい花を使うことで刺激を抑え、チリメンのうまみを引き出した。
「口にした瞬間の香りが素晴らしく、ジャコの食感も硬すぎず、軟らかすぎずで絶妙。丁寧な作りと繊細な味付けでご飯が止まらず、食べ飽きない、「薄めの味付けに仕上がっている。サンショウの辛さを感じさせない分、幅広い層の人が楽しめる」
120グラム入り2500円。製造から冷蔵で約30日
こういうお土産物は、食事の際に試食みたいな形で供される事も多いけれど、
こちらではなかった。
食後というわけではなく、チェックアウトの1時間くらい前に出されるコーヒー
と黒砂糖のお菓子。
指先がふけるミニサイズの布製お手拭。