新規の新幹線開業で必ず問題になる"平行在来線問題"
JR各社の地方交通に対する責任感の薄さもさることながら
(↑責任感など無いといっても差し支えありますまい)
整備新幹線の考え方自体が問題であるとも思えます。
当初の新幹線の考え方は別線による線路容量増強および高速化で
あった筈です。
(現に当時の東海道線は飽和状態であったといいます)
実際に東海道新幹線計画時には貨物輸送のアイデアもあったそうですし、
そういう意味では最も輸送限界が切迫した路線に
高速新線を設ける考え方は至極真っ当だったと思います。
さて、ちょっと話は変わって…。
国家の使命とは何か?
それは簡単に言ってしまえば国家の体を維持し、守ることと
私は考えます。
国としての法律を定め、政を行い、国内の秩序を守ることも
国がしっかり機能するように民に法を遵守させ、
それを実践させるための環境を…
行政機能や治安システム、経済システムの適正な機能維持、
交通や生活・情報伝達インフラ、その他多くのものを安定させていくのが
国家の使命でしょう。
そして国家とは何か?
それは人の集合体、人がよりよく生きるために結集したもので
あるべき筈です。
しかしながら、その国家の構成要素たる人は
善意と同じだけの悪意、独善でできているのもまた事実。
国家というものを利用して、私的な目的や利益を満たそうとするものは
後を絶ちません。
(基本的に人間は悪と暴力の塊であり、その暴走で自己を滅ぼさぬための
安全装置こそが善意だと私は解釈していますが、それはまた別の話に…)
日本の鉄道は政治と…ひいては賄賂や斡旋の歴史であるとも言え、
近代日本の国民のための最初の足となるべき鉄道は
だんだんと捻じ曲がり、その目的と全く別の"金脈"として
みなす人が増えてしまいました。
それは今も実は変わらなかったりすると思います。
基本路線を作る時に政治家が、地元の有力者が、工事を担当するものが、
それぞれの思惑、独善で「国の血管」とも言える鉄道を捻じ曲げながら作ったのは
己が利益のためでした。
その後主要な幹線が揃った後は
鉄道が必要とは思われない山奥や僻地、また貴重な自然遺産の中に
鉄道が作られました。
鉄道が国民の利益のために必要だから作る…のではなく、
"一部の国民"の"目先"の利益のために必要だから鉄道を作る…に
鉄道は変わってしまいました。
鉄道を後先考えずに作る団体が作られ、税金を浪費し、
その赤字確実な路線は国鉄に丸投げされました。
税金は鉄路を作った土建業者と政治家に”還元”されました。
赤字国鉄の補填は国民に委ねられました。
鉄道は国民に多くの不利益をもたらすものになってしまいました。
己の利益のために多くに仇なす輩の歴史こそが鉄道であるとも言えるでしょう。
国とは最後に省みれば自分を含む全ての人です。
最後に自分やその子孫に不利益となるような愚行を
目先の物事にだけ捉えられて行なったことこそ、日本の国家鉄道事業自体が抱える
最大の過ちとも言えるでしょう。
そういった「歪んだ血管」が閉塞し、破綻の道を歩んだのは
当然の事と言えると思います。
分割民営化で国鉄はJRとなり、某公団は解体され、
赤字ローカル線は作られるどころか切り離されるようになりました。
※私は地方インフラは現実に即したものが整備されるべきという前提に立って
それは必ずしも鉄道でなくても良いと思っています。
今回の話の趣旨とずれますので、あえて地方の交通インフラ整備についての話は
割愛したく思います(これはまた別途書きたく思います)
ただ、国民の利益を無視して利益を享受したくてたまらない輩が
新しい依り代としているのが整備新幹線事業と思います。
話を冒頭のものに戻して…
当初は新規別線による増線として考案された新幹線は
その効果やイメージの高さが着目され、
新しい"公共事業"にされてしまいました。
それこそが「整備新幹線事業」だと聞きます。
輸送力向上と速達利便性向上はターゲットユーザーや
改善ロケーションから見ても全くの別物だと思うのですが
輸送力や高速輸送の必然性やニーズ、トータルで見た合理性などとは無縁に
整備ありきの公共事業となってしまったのだと私は考えます。
また分割民営化を盾にとり、鉄道としての輸送力が需要に対して過大となる場合は
平行する古い路線を切り離して良い…民営会社を圧迫するのはいけないからね…
というムチャクチャな法律も整備されました。
要約すると「新しいものをどんどん用意するために古いものは捨ててもイイよ、国が許す!」
「だから新しく作ったものは必ず受け取りなさいよ、私たちが新しいものをさらに作るためにね」
という真に勝手な、作ることによって利益を受ける一部の人の都合だけを考えた
とんでもない悪法である訳でございます。
民営化されたのであるなら、その後の鉄道整備や拡大は
利益や企業体力、また利用者のニーズやその喚起を目的として
民営会社自身が行なうべきでしょう。
また公共事業として運営するなら、国家全体での利益や効率を鑑みた上で
全体のバランスを見た運営であることが望まれるはずです。
でも現実はどちらも為されていません。
JRは国の整備をあてにした上での経営体質から全く脱却していません。
そういう意味では国鉄のままです。
分割され、全国を考えた輸送体系が取れない以上、
国鉄より酷くなったとも言えるでしょう。
そしてそういう交通インフラの責任放棄をしたことが
地方の疲弊の最大の要因になっていることは
新幹線開業後の地方の駅前、街角の様子を見れば
誰にでも分かってもらえると思います。
そして公共事業はその名の”公共”のものとしての機能を果たさず、
一部のゼネコン、地域権力者、政治家の腹を満たすだけで
地方の疲弊を推し進める悪夢の事業となっています。
これだけの公共事業が行なわれているのに地方の疲弊は止まりません。
これは公共事業が機能を全く果たしていない証明に他なりません。
(これは道路など他の事にも言えることですが)
もちろん地方インフラの疲弊、破綻はJRにも極めて大きな責任が
あると思います。
ただし…それを強力に後押しする後ろ盾があり、その思惑は止まらないということも
考える必要はあると思います。
一部の人が私腹を肥やすことを許し続ける歪んだ日本国家のシステム。
ひいてはそれを作り動かす輩の活動を止められないこと。
日本という国家システムの歪みは、鉄道にも顕著です。
整備新幹線問題をとっても日本の問題点ははっきり見えると申し上げたく思います。
ではこれを変える為にはどうすればいいのか…。
非常に大変な問題です。
これは簡単にどうにかできることではないでしょう。
だからこそ、今もいろいろ考えておりますです。
今は賑わう新青森駅前だと思います。
ですが、新幹線が北海道に延びれば、文字通り青森はただの通過駅になります。
新幹線の地方通過駅の姿を見たことがある人なら、
新青森が、そして青森県が今後どうなっていくか…
能天気な想像をそれでもし続けられる人はそう多くないと思います。
新幹線が青森に必ず止まり続ける…とは限らないんです。
そして民間に押し付けられ、切り離された在来線やその周囲の人の事を思います。
通る列車もめっきりと減り、ひっそりとした寒々しい「多くに忘れられた道」として…
だんだんその役目を果たすことなく、ただその地域に負担となるものとして…
鉄道は忘れられていくでしょう。
また目の前を一瞬で通り過ぎる新幹線は東京が近くて遠いものだと…
何より中央で利益を貪る輩にとって地方などとるに足らぬものと考えていることを
イヤというほど感じさせることでしょう。
鉄道が好きだからこそ、多くの人に…国民の多くが喜べるものであって欲しいと思います。
目先の利益は出なくても、国が全体で元気になれば
その恩恵はより多くの人に回ってくるんだぜ…。
私、わたなべは新幹線整備事業の安易な推進に反対いたします。
また平行在来線の容易な切り離しに反対いたします。
新幹線整備と地方インフラの維持を別個に考え、
JR各社に地方インフラ維持に対する責任を示して欲しく思います。
それができないのならば、日本国は断固とした指導を行っていただきたく思います。
それは国家が国民に対して負う義務であります。
(それこそ高速1000円等のばら撒きをしている場合ではありません)
また国家全体としての交通インフラを真剣に議論し、適正な整備を図ることを、
提案したく思います。
【12.6 結論部分を追記しました】
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