先日ふと思ったことですが…
”そこ”から去っていく人が去っていく理由を言う時に
「やるだけやったし満足だ」と言うのは
実はぜんぜん満足してなく、もっと続けたい自分に
「満足しろ」と言い聞かせるという意味もあるのかも…と
思いました。
本当に自身を賭けたことだとしたら
本心から去りたい筈はないでしょう。
何らかの理由が…大事な理由があって止む無しであったとしたら
余計に「途中だけど諦める」「ここでリタイアだ」とは
言い難いでしょう。
もしかしたらその時に「本当に満足ですか?」と
問うべきだったのかもしれません。
「これで終わりでいいのかい?」と。
「いずれはまた…なんて言葉で自分は本当に納得できるのですか?」と。
そういう問いをすべきだったのかも知れません。
私はよく言えば自分に嘘がつけないタイプですが
悪く言ってしまえばエゴの塊です。
他者を思いやるより、自分の事が何より大事な人間です。
だから他者の為に折れたり譲ったりすることが実はできません。
(一見譲っているように見えるとしたら、それは自分にとってどうでもいい事なのでしょう)
ただし…他者を思いやって、その時に自分に嘘をつく場合もある
優しい人もいます。
私がその人の立場にあったとき…
私はそういう事はとてもじゃないけど言えません。
今さらながら、先日そういう自分に気付きました。
だからこそ今でも一人でいる訳ですが…(^^;)
ただ、そういう人が他者との折り合いをつける時…
最初に書いたような言い方をする可能性はあるんじゃないかと思いました。
しかし、そういう人にとっては
私のような行動は苦痛かもしれません。
他者を思いやることを大事にする人にしてみれば
自分のようなエゴイストは時に羨ましく思えても
そこまでエゴを振りかざして生きることのほうが苦痛かもしれません。
どっちがいいんでしょうね?
自分にはわからないです。
ただ…その時に自分がその人にかけるべきだった言葉は
「あなたがそう思うなら、それでいいんじゃないでしょうか。」
では無かったのではないかと思う最近です。
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