今年の2月に父が他界しました。
急性心不全でした。
倒れる当日、朝の通勤に私を送ってくれて体調悪かったにも関わらず、夕方に電話があり、動けないからと連絡があり、行きつけのスーパーの駐車場にて、父の様子が変でした。
その時はただの体調不良だと思っていたけど、その時に早く気づいて救急車を呼んでいたら、もしかしたら助かったのかもしれないと後悔しました。
結局その日はほとんど食事取ることが出来なかったそうです。
夜遅くに救急車呼んでくれと訴えあり、呼んでもコロナ禍もあり、救急車も直ぐにきてくれず捕まりませんでした。
倒れて救急車が来た頃にはすでに心肺停止状態で、父は心臓に疾患があり、搬送先もかかりつけ医の病院に連絡しても拒否されてしまい、1時間が経過していて地元の病院何件が連絡とっても連絡とれず、コロナ禍でも受け入れてる病院に搬送されました。
その際、奇跡的に心臓が動きだし、先生も驚きを隠せない状態でした。
父はもっと生きたい、頑張りたいという本人の強い意志ではないかと今は思っております。
先生から告げられた言葉は、すでに肺の半分以上が水が溜まり、脳にまで達していてて、腎臓も弱っていて身体はすでにボロボロになってる状態でした。
生き返っても心肺停止時間が長ったため、脳に障害が起きると言われていました。
本人は生きることに前向きだったが、動けない自分は許せないと思っているのかでは思うとこれでよかったのではと思う時あります。
どうしたらいいんだ…!しんどい…と連呼していた、苦しみながら息耐えた父の最期の言葉は未だに消えることはありません。
ただ、かかりつけ医から、何か有ればすぐに連絡と言われていたのに拒否されたことに許せないところがありました…なぜならその倒れる一週間前に呼吸がなんか苦しいと言っていたので、同じ病院ので呼吸器系で診察受けた時には点滴と注射を打っただけで何も言われず返されたからです。
搬送されて心臓が動き出してから一週間近く集中治療室で危篤状態だった父は頑張りたい生きたいと言う強い意志で生きてくれたと信じています。
父が亡くなり、父がいない生活に慣れてきたもののやはり、突然すぎた父の爪跡は大きいばかりです。
そのせいか、更年期障害がひどくなり、自律神経がおかしくなってしまいました。
父が最期まで自身の仕事場の工場で世話していた犬を我が家で引き取り、昨年夏までは二匹だった犬から一匹になり、飼い主まで居なくなり、ひとりぼっちになってしまった雑種の老犬の痛みは重いものではないかと思います。
普段から家では口数すくない父でしたが、生きてる間にもっと親身になっていればよかったし、生きてるから、意識があるからこそ会話もできるし、生きる目標もあります。
親と敬遠しがちなご家族が多い世の中ですが、疎遠でも自分から寄り添う努力も必要だと思います。