紅葉の時期に訪ねておきたいと思っていた大阪・河内長野市の紅葉で知られている観心寺と延命寺を訪ねた。
紅葉はとうに過ぎていることはわかっていたが、もしかして少しくらいなら見られるかもしれないとあわい期待を持って南海電車なんば駅から高野線で河内長野駅まで行った。
そこから二つのお寺をめざしてウォーキング、スタートで用意した地図と現地とが微妙に違っていてコースに乗りきる?のに手間取ったが、これも一人歩きならいつもの事、自分の足と感覚と出会う人との会話力とでコースはどうにでも変えられるから面白い、駅周辺の住宅地から一歩出るとそこは彩り鮮やかに山々が待っていた。
お気に入りのひとり遊び。
まわりくどい手持ちのパンフレットよりバス通りの方が景色も遠望できそうなので、河合寺をすぎると急遽コースを変更してバス通りに添ってしばらくすすんだ。
このあたりは整備された河内長野公園、行く手の左側は森に、右手はうっそうとした竹林が続く、人の姿などまったくない、車もほとんど通らない静かな道をひとり観心寺をめざして緩やかな坂道を上り続けた。
やがて料理旅館や土産物店や民家が見えてきて観心寺に着いた。山門の手前にある楠木正成の像がまず目につくが、観心寺は楠木正成の学問所としてゆかりのあるお寺で、南北朝時代の南朝の忠臣だった楠木正成の本拠地・千早赤坂とも隣接しており南朝ゆかりの寺としても知られている。
観心寺は大宝元年(702)修験道の役小角により開かれ雲心寺と呼ばれていたが、平安時代の初め大同3年(808)に弘法大師空海が訪れ、弘仁6年(815)に衆生の厄除けのために本尊如意輪観世音菩薩を刻まれて観心寺と改称された真言宗の由緒ある名刹として知られている。
山門をくぐりまっすぐに延びた緩やかな上りの参道をすすんでいくと朱塗りの国宝の金堂前に着く。ここの金堂は大阪府下最古の国宝建造物だそうだ。
さっそく本堂に入ってゆっくりと座らせてもらった、ただし、本尊の秘仏如意輪観音坐像は写真のみで見ることはできない、毎年4月17-18日の2日だけ特別開扉がされるがこれまで見たことはない。
広い境内の紅葉は残念ながらすでに落下して冬のたたずまいになっていた。金堂のすぐ右にある茅葺の建掛塔(たてかけのとう)は目を引く建物で重要文化財指定、この建物は正成が建立していた三重塔で湊川で正成が討死したために未完のまま現在に至っている。
境内の一番奥にある楠木正成の首塚を訪ねた、正成が湊川での戦いで討死後、足利尊氏の命令によってその首が送り届けられてここに祀られている。
豊臣秀頼再建の鎮守堂(重要文化財)。
後醍醐天皇の皇子、第97代後村上天皇が住吉大社で没後ここに御陵が作られた。
あいにくの曇り空の下、落ち葉の絨毯を踏むようにベンチで寒々と弁当を食べた。
広い境内をひとまわりして、雨の心配もあったので急いで次の延命寺へ向かった。杉林の続く坂道をしばらくすすむと今度は急な下り道が続く、その坂道をあえぐように上ってきたウォーカーの一団と出会ったが、会ったのはその人達だけで延命寺へ着いた。
延命寺は弘仁年間(平安時代)に弘法大師が訪れたとき、自ら地蔵菩薩の尊像を刻んで本尊として安置したのが起源といわれており、その地蔵尊は「北向き地蔵」として親しまれている。
弘法大師お手植えと伝わる樹齢1000年を超える「夕照の楓」はすっかり葉を落としていた。
蓮池を囲むように広がるもみじ山には西国三十三ヵ所の観音石仏が建てられているがその像も落葉の絨毯に包まれるようにたっていた、来年、再び訪れたいと思った。
蓮池。
ご朱印をもらって南海三日市駅を目指して帰りのウォーキング、清流にそって人影のない道をしっかり歩き、だれにも出会うことなくひとり歩きが続いた。
駅に着いたのが午後3時前だった。なんばで買ったカードを使って改札を通ろうとしたらカードがない、どうやら落としたらしい。電車に乗った途端に曇り空から太陽が顔出して、なんだ、もっと早く出てくれればよかったのに今日はツキがなかったな。
なんば駅で関空特急ラピート。
紅葉はとうに過ぎていることはわかっていたが、もしかして少しくらいなら見られるかもしれないとあわい期待を持って南海電車なんば駅から高野線で河内長野駅まで行った。
そこから二つのお寺をめざしてウォーキング、スタートで用意した地図と現地とが微妙に違っていてコースに乗りきる?のに手間取ったが、これも一人歩きならいつもの事、自分の足と感覚と出会う人との会話力とでコースはどうにでも変えられるから面白い、駅周辺の住宅地から一歩出るとそこは彩り鮮やかに山々が待っていた。
お気に入りのひとり遊び。
まわりくどい手持ちのパンフレットよりバス通りの方が景色も遠望できそうなので、河合寺をすぎると急遽コースを変更してバス通りに添ってしばらくすすんだ。
このあたりは整備された河内長野公園、行く手の左側は森に、右手はうっそうとした竹林が続く、人の姿などまったくない、車もほとんど通らない静かな道をひとり観心寺をめざして緩やかな坂道を上り続けた。
やがて料理旅館や土産物店や民家が見えてきて観心寺に着いた。山門の手前にある楠木正成の像がまず目につくが、観心寺は楠木正成の学問所としてゆかりのあるお寺で、南北朝時代の南朝の忠臣だった楠木正成の本拠地・千早赤坂とも隣接しており南朝ゆかりの寺としても知られている。
観心寺は大宝元年(702)修験道の役小角により開かれ雲心寺と呼ばれていたが、平安時代の初め大同3年(808)に弘法大師空海が訪れ、弘仁6年(815)に衆生の厄除けのために本尊如意輪観世音菩薩を刻まれて観心寺と改称された真言宗の由緒ある名刹として知られている。
山門をくぐりまっすぐに延びた緩やかな上りの参道をすすんでいくと朱塗りの国宝の金堂前に着く。ここの金堂は大阪府下最古の国宝建造物だそうだ。
さっそく本堂に入ってゆっくりと座らせてもらった、ただし、本尊の秘仏如意輪観音坐像は写真のみで見ることはできない、毎年4月17-18日の2日だけ特別開扉がされるがこれまで見たことはない。
広い境内の紅葉は残念ながらすでに落下して冬のたたずまいになっていた。金堂のすぐ右にある茅葺の建掛塔(たてかけのとう)は目を引く建物で重要文化財指定、この建物は正成が建立していた三重塔で湊川で正成が討死したために未完のまま現在に至っている。
境内の一番奥にある楠木正成の首塚を訪ねた、正成が湊川での戦いで討死後、足利尊氏の命令によってその首が送り届けられてここに祀られている。
豊臣秀頼再建の鎮守堂(重要文化財)。
後醍醐天皇の皇子、第97代後村上天皇が住吉大社で没後ここに御陵が作られた。
あいにくの曇り空の下、落ち葉の絨毯を踏むようにベンチで寒々と弁当を食べた。
広い境内をひとまわりして、雨の心配もあったので急いで次の延命寺へ向かった。杉林の続く坂道をしばらくすすむと今度は急な下り道が続く、その坂道をあえぐように上ってきたウォーカーの一団と出会ったが、会ったのはその人達だけで延命寺へ着いた。
延命寺は弘仁年間(平安時代)に弘法大師が訪れたとき、自ら地蔵菩薩の尊像を刻んで本尊として安置したのが起源といわれており、その地蔵尊は「北向き地蔵」として親しまれている。
弘法大師お手植えと伝わる樹齢1000年を超える「夕照の楓」はすっかり葉を落としていた。
蓮池を囲むように広がるもみじ山には西国三十三ヵ所の観音石仏が建てられているがその像も落葉の絨毯に包まれるようにたっていた、来年、再び訪れたいと思った。
蓮池。
ご朱印をもらって南海三日市駅を目指して帰りのウォーキング、清流にそって人影のない道をしっかり歩き、だれにも出会うことなくひとり歩きが続いた。
駅に着いたのが午後3時前だった。なんばで買ったカードを使って改札を通ろうとしたらカードがない、どうやら落としたらしい。電車に乗った途端に曇り空から太陽が顔出して、なんだ、もっと早く出てくれればよかったのに今日はツキがなかったな。
なんば駅で関空特急ラピート。
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