オメガねこ

知識は人をバカにする。
智識はバカを人にする。
信じるか信じないかは、自分次第です。

「拙者」 と 「卑弥呼」

2023年02月07日 | 歴史
 「小生」「不肖」「拙者」等は、本来は「拙(つたな)い者」の意味なのですが、実際には「優れていない自分」には使えません。例えば、社長に対して平社員が、真面目な顔をして「拙者に御用ですか?」と言うと将来が危うくなるかも知れません。

 「僕(ぼく)」は、「僕(しもべ)」の意味で、本来は男性の召使いを指して言う語ですが、たまに女性でも自分を「ボク」と言う人がいます。それどころか、子供に対してならば兎も角、女性が大人の男性に対して「僕(ぼく)」と、第二人称として使用する場合もあり、日本では「ジェンダー・フリー」を越えているようにも思えます。

 「卑弥呼」「邪馬台国」は卑字なので、高位な中原(ちゅうげん)から低位な四夷(この場合は東夷)へ当てがわれた漢字のようにも思えますが、中原にしてみれば当時の日本を朝貢国として扱いたかった筈で、卑な国の朝貢よりも、貴な国からの朝貢を受ける方が「中原の格が上がる」と考えるのが合理的です。

 「卑弥呼」の当て字は、魏志倭人伝等に記されている「倭国の女王」が、対外的な自称(自分の意志)として名乗ったとしても不思議では有りません。つまり、「支那大陸の中原の皇帝」と対等な「邪馬台国(周辺海域も含む日本列島)の倭国(九州北部と朝鮮半島南部)の女王」と云う事です。

 中華思想では「支那大陸(当時の全世界)」の中心地を「中原」と言うようですが、日本では自分を遜(へりくだ)るのが礼儀なので、尊大な相手に対しても「邪馬台国」や「倭国」「卑弥呼」などと、自ら卑字を当てても日本人ならば理解できます。

 逆に、「中原」から良い名前を貰った場合は、自ら属国(朝貢国)である事を認めたか、少なくとも将来「中華圏に含める予定の国」であると考えられます。アメリカを中国漢字で「美国」と書くのも気になるところですww

 「アメリカンドリーム」を真似て「中華民族の偉大なる復興」などと「中国の夢」を夢想する隣人が居るようですが、漢族やその他の被支配民族を含めて全て「中華民族」として認めると云う事は、日本人を「和族」「アイヌ族」「その他の移民民族」を統合して「日本民族」であると認めるのと同じです。

 「中華民族」は認めても「日本民族」を認める日本人は滅多に見かけません。何せ、自民党を含む国会議員が全会一致で「アイヌ民族は北海道の先住民族」と決議したくらいなので、現代の卑なる邪馬台人は「アイヌ(アイヌ語で良い人の意味)を含む日本人は日本民族」である事を認めないと思います。

 日本人は、太古の昔から自分を遜った言い方をしてきたのですが、それが通用するのは日本人同士の場合だけです。但し、日本人同士でも「慇懃無礼」になる場合が有るので注意が必要です。

 「大和国の和人の女王」は、この「慇懃無礼」を利用して、「中華皇帝」に対し「邪馬台国の倭人の卑弥呼」を名乗り、「僕」や「拙者」の使用例と同様に「中華思想も大した事が無い」と伝えたかったのかも知れません。



「戦って死ぬ人」と「戦わずして死ぬ人」

2022年11月10日 | 歴史
 「戦争は絶対悪だ」と仮定し、戦わずして他国の被支配層に甘んじる人は幸せかも知れませんが、統計上は、

[戦争での戦闘員の死者数]<[戦争による民間人の死者数]<[戦争して領有化された地域の死者数]<[戦争をせずに領有化された地域の死者数]<[共産党に領有化されて殺された人民数]

が、史実だと思います。但し、現代に近付くほど世界人口が増えているので、総人口に対する戦争殺害数の割合は、今も昔もあまり変わらないかも知れません。

 また、日本やドイツは戦勝国に統治はされましたが、領有化されなかった事で、戦後の死者数はかなり少なかったようです。

 大侵略時代(通称、大航海時代)では、神から与えられた使命としての「領土拡大」は白人の義務でした。キリスト教系では労働は罰なので奴隷が担うのですが、その対象は「戦争に負けた人」であり、肌の色はあまり関係ありません。偶々、「戦争に負ける人」や「戦わない人」に有色人種が多かったせいで黒人の奴隷が多かったと思われます。

 白人の得意な「分断統治」によりアフリカでは多くの民族紛争が起き、「負けた部族」や「戦わない部族」が腕力の強い部族に狩られ、奴隷として白人に売られました。

 鎖で繋がれた「商品」が、運搬中に死亡した場合は廃棄され魚や獣の餌になり、生きぬいた場合は現金と交換されて、その後は奴隷として生きる事が可能になります。

 これは、白人を相手にした「戦わずして死ぬ人」の運命なのですが、どうせ死ぬなら「戦って死ぬ人」を選ぶ場合も有ります。これが、「勝った方が正しい」と考える白人ならば、何でもありなので強いのですが、厄介なのが日本人です。

 日本人は「戦争は戦場で」が当然と考えていました。ところが、白人による民間人を狙った本土空襲が激しくなったことで、本土の日本人に一日でも長生きして貰おうと、自ら特攻に志願したり、玉砕覚悟で「戦場で戦う人」が多くいました。

 ロシアは「ウクライナは元々はロシア領」と言っていて、「本来の自国領」に軍隊を派遣する「特殊軍事作戦」を遂行中です。つまり、そこには「戦場は無い」と言えます。しかし、史実としては「ロシアは元々はウクライナ(キエフ大公国)領」です。ウクライナの軛から逃れたロシアは東進しシベリア迄侵略しました。

 これを「習近平理論」で解釈すると、「シベリアはウクライナ領」とも言えますが、通常の思考能力の有る「霊長類、特にホモサピエンス・サピエンス(現生人類)」ならば、ウクライナはウクライナ領、ロシアはロシア領と考えます。

 北京原人の生き残りが生存しているかどうかは、私には分からないのですが、若しかすると「現生人類はヒト属の唯一の人種である」の定説は間違っているかもしれませんww

 それは兎も角、現在の戦争は「戦場」では起きません。大概は民間人の住む市街地で行われます。市街戦でも軍人ならば降伏する権利が与えられていますが、民間人には「降伏」の概念が当て嵌まりません。「戦って死亡した民間人」は自国では英雄となりますが、敵国にとっては戦争犯罪者として扱われます。

 一方、「戦わずして殺された民間人」は犠牲者の仲間入りができます。但し、軍隊が民間人を殺しても、それが戦争犯罪になるかどうかは戦勝国が決めます。



「占領統治法」 と 「偽史和人伝」

2022年11月06日 | 歴史
 昔々、日本は「太平洋戦争」で負けました。しかし、それ以前から継続して戦っていた「大東亜戦争」には実質的に勝ったと言えます。それは、戦前には欧米の植民地であった殆どのアジアの地域が独立を果たし、「大東亜戦争」の主目的が達成されたからです。

 しかし、欧米に代わって「中国共産党」が支那大陸の全域(中原とその周辺の地域)を植民地どころか自国領にしてしまいました。未達の壮大な計画では、台湾と沖縄、朝鮮半島そしてモンゴル帝国の版図であったユーラシア大陸北部が残っています。

 「太平洋戦争」は、米国民主党の仕掛けにまんまと引っ掛かった帝国海軍と卑怯で残虐なアメリカ軍との戦いで、「戦争以外の方法」ですが負けるべくして負けたと言えます。一方「大東亜戦争」は、その多くを民間人の徴兵で組織された帝国陸軍と欧米侵略軍との戦いで、難なく勝っていたのですが、白人側に寝返った蒋介石軍によって苦戦を強いられました。

 日本は「汪兆銘政府」の後ろ盾になり支那大陸の安定を図ったのですが、ソ連が援助する共産党軍の度重なる謀略で、帝国陸軍のみならず蒋介石軍も一緒に泥沼に嵌まってしまいました。

 戦後間もなく、日本が占領統治中(Occupied Japan)にも拘わらず、国際法に違反する「占領統治法」が発布され、その趣旨の則った「偽史和人伝」が広まりました。

 「偽史和人伝」の主題は「日本のアジア侵略」で、知らぬ間に日本人が悪者になっていました。「偽史和人伝」の原作者は米国ですが、これをカネ儲けに利用できると考えた「特亜4ヶ国(日本も含む)」が学校の教科書にも引用した為に、洗脳被害者が大量に発生しその影響が今でも残っています。

 中には「日本の非道なアジア侵略に対する反省が不足している。」とか、「中国が攻めて来たら直ちに白旗を揚げて降伏すれば、被害者は出ない。」などと、日本人の残虐性に比べたら中国人は大人しく信頼できるかのように、本気で思っている人もいるようです。

 ところで、日本について書かれたとされる本家本元の「魏志倭人伝(三国志-魏書-第30巻烏丸鮮卑東夷伝-倭人条の略称)」には不明な所や明らかな間違いが含まれているそうです。

 「魏志倭人伝」では、韓(朝鮮半島)の西海岸は馬韓で、東海岸の北部に辰韓が在り、同じく東海岸の南部は弁韓であるとされています。そして、その弁韓と馬韓の南部は倭の領域と接しているとされていて、少なくとも「倭」は朝鮮半島の南部も統治していた事が書かれています。これは「任那日本府」の実在が書かれている日本の史書(日本書紀など)とも一致しているので間違いは無いのですが、問題なのは「半島南部の倭の領域から邪馬台国迄の行程」です。

 「魏志倭人伝」に書かれている里数や日数が正しいとすると、「邪馬台国」は日本列島を大きく飛び越えて、太平洋の海上になるそうです。これには色々な説が有って、「距離10倍説」から「邪馬台国(この場合は大和国ではない)非存在説」まで様々です。それでも、日本は戦前に太平洋西南部一帯を統治していた事を考えると「予言書」だったとも解釈できます。

 つまり、倭人の統治領域は、朝鮮半島南部から、大和の国(秘匿された日本列島)を経て、邪馬台国(太平洋西南部)までに至ると云う事です。「中原(支那大陸の支配者)」が、倭人による太平洋の統治を認めた「占領統治法」が「魏志倭人伝」だったと云う物語のオチでしたww

「縄文人」 と 「アイヌ人」

2022年08月09日 | 歴史
 日本列島に本格的にヒトが住み始めたのは3万年以上前からだと思われますが、2万年前頃から文化(定住)を持ち始め「縄文人」となったとされています。

 「アイヌ(良い人と云う意味で、民族と言えるかどうかは不明)」の歴史は定かでは無いのですが、文書に残された「歴史」は800年程前からです。現在の「アイヌ人」も「縄文系」の遺伝子を引き継いでいて、日本に住む「アイヌ人」は日本民族なのですが、若しも「”アイヌ民族”は北海道とその周辺に住む日本の先住民族」とされた場合は、それまで先住していた「縄文人」は、理由は兎も角、北海道から「絶滅」した事になります。

 ここで言う「アイヌ民族」や「縄文人」などのように、「民族」と「~人」の違いはハッキリしないのですが、私なりに、

・人種; 肌の色や目の色などの、遺伝的特徴による区分。但し現在では、生物科学的に人種は「ホモサピエンス・サピエンス」の単一種。
・民族; 言語・宗教・風習などの文化が共通の群で、人種を問わない。
・~人; 特定の時代に、特定の領域を生活圏とした人々で、人種・民族を問わない。

と、定義します。

 例えば、「ユダヤ人」は古代・中世に中近東(古代イスラエルが中心)に居住していた人々ですが、当時は「国籍」や「遺伝子」の概念がなかったので、他の地域に離散した場合は「ユダヤ人」と言えるかどうかは定かではありません。但し、「ユダヤ民族」の場合は現在でもユダヤ教を信奉している人であり、何処で暮らしていても(当人が望めば)「ユダヤ民族」と言えます。

 「縄文人」の場合は、その定義から当時日本(とその周辺)で縄文土器を使用していた人々なので、大陸・半島の東沿岸部に居住していた人も含まれます。また、現在の「日本人」は、日本国籍を持っている人で、人種・民族を問わず、主に日本に住んでいる人が大半です。

 「日本民族」には、あらゆる神(自然そのものも含む)を受け入れる風習があるので、人種どころか宗教すら問う事が出来ません。そう考えると、民間の施設である「靖国神社」や「神道」を忌避する人は、「日本人」と言えても「日本民族」とは言えないのかも知れませんが、良く分かりませんww

 ところで、800年前に「北海道の縄文人が絶滅した」とする証拠は、「アイヌは先住民族」とする証拠と同様に何処にも無いのですが、政治的に「アイヌは先住民族」と決定する事は、「アイヌが縄文人を絶滅させた」か、他の手段で「エスニッククレンジング(民族浄化)」が為された事になります。

 一部の識者に「アイヌは戦争を好まない民族」と考える人がいるようなので、これが真実とすると、アイヌは平和的に縄文人を駆逐したか、他の勢力がアイヌ以外の民族を浄化した事になります。そうでなければ、少なくとも「アイヌも北海道の先住民族のひとつ」と言わなければなりません。

 そうすると、現在の北海道は「多民族地域」となるのですが、其々の民族を特定し、歴史的占有地を決定しなければ「アイヌ民族」以外の民族は居場所を失います。

 実は、政治的に「アイヌ民族」と言われている古くから北海道に移住してきた「民族」は、少なくとも5民族(部族?)いて「千島列島系」「樺太系」「シベリア系」やその周辺の民族であり、単一民族ではありません。

 つまり、これらの多民族を一緒くたに「アイヌ民族」とすること自体が「政治的民族浄化」と言えます。この「民族浄化」された民族には、古くから先住していた「縄文人」や「弥生人」、大和朝廷から派遣された「和人」も含まれていて、所謂「アイヌ民族」は約800年前からの記録しか残っていない程、他民族を排斥・浄化した結果として生まれた「新しい民族」と言えます。

 私の考察では、

縄文系和人(支那大陸では倭人と呼んでいた)が暮らしていた鎌倉時代の蝦夷(北海道とその周辺)に、モンゴル民族の侵略から逃れて来た北方(シベリア・オホーツク)民族が移住し、受け入れた和人との混交が進んだ以降排他的になり、所謂「アイヌ民族」と言われる人が「縄文遺伝子」を保存した。

と考えるのが自然です。

 現在も、北海道の土地が「支那大陸から逃げて来る予定の民族」に買い占められていて、更に新しい「先住民族」が誕生するかもしれません。

 その「更に新しい先住民族」に、縄文遺伝子が残されるかどうかは、期待できないかもしれませんww


「古代史」と「現代史」

2022年04月19日 | 歴史
 編纂当時では「現代史」であった「古事記・日本書紀」は、今では様々な解釈がなされ「記紀」と言われています。つまり、現在確認できる記紀そのものは「古代史」では無く「解釈を加えた当時の現代史」と言え、その当時の事実を「古代史」にするには記紀などを参考にして「新しい古代史」を編纂する必要があります。

 「古代史」は、現代の人が古代に付いて書いた歴史を言うので、決して「古代の人が書いた歴史」ではありません。但し、「記紀の神話部分」は当時の人にとっても「当時の人が解釈した古代史」と言えます。

 「記紀」と「魏志倭人伝」等の外伝とは相矛盾する所も多く、互いに「非科学的」な個所もあるようです。勿論、「科学」自体もその反論があってこその「科学」であり、反論が消滅した時を以って「常識」に成り下がります。当然、「常識」にも間違いが多く、その間違いが発掘された時点で「科学」が復活します。

 「記紀」に、その当時に間違いである事を承知の上で書いたのなら単なる「偽史和人伝」と言えますが、おそらくは当時の識者は現代の戦後サヨクと違い、不明な個所は「体制維持の為に」そう有って欲しい事を、良かれと思い書いたと思います。

 日本に伝わる「外伝」も、他国の識者が「そう有って欲しいと思っている」と判断し、互いに体制維持に利用できる場合は「歴史」になったと思われます。古い史書に関して、編纂者にとって都合の良いように「上書き」した例は多いようですが、他国の史書を合理的に反論し書き換えた例は無いと思います。

 つまり、現代の「超限戦」に於ける歴史戦とは違い、昔の人は「他国の歴史とは、その国の体制維持に必要な物語である」と理解していたという事です。現在の日本政府も、周辺諸国からの「外伝」に異を唱える事が少ないのも、古代人の意識が残っているからかも知れません。

 日本以外の多くの「歴史」は、「その地に住む人の継続的な歴史」では無く、現支配者の体制維持に力点が置かれているので、その歴史期間は非常に短く、これを補正するために「他人の歴史」を組み込み「自国史」とします。

 現代日本の場合は、「超限戦」に於ける他国史を自国史に取り入れた為に「自虐史」が成立しています。おそらくこれは、自国の体制維持よりも編纂者の利得が重要と考えた結果だと思われます。

 それは兎も角、「革命」の意味からすると、その前後で「継続的な歴史」とは言えないのですが、住民が民族浄化されない限り、その地域住民の継続的な歴史にはなります。民族浄化された場合は「地籍の変遷」に過ぎないので、革命後の「現代史」しか存在しません。それが「中国五千年の歴史」の正体で、単に「支那大陸五千年間の地籍の変遷」を示しているだけです。

 つまり、革命国家の歴史には継続性が無い為、易姓革命後の革命以前は常に「古代史」になります。これは、「記紀の神話部分」と実質的に同じことで、口伝を自由に解釈できます。

 地球を擬人化して「地球の歴史」と言う事も可能ですが、あくまでも「歴史」はヒトの意識の表象です。
「KABU&寛子さん」の記事によると、一言で「歴史とは人の物語」だそうです。但し、その論説文は長いので「閲覧注意」鴨?ww