②論理学で、ある概念が、より一般的な概念につつみこまれること。
特殊が普遍に従属する関係。例えば、動物という概念は生物という概念に包摂される。
解り易く言うと、
①’「小」は「大」からはみ出せない。強者は弱者を守る。
②’「小」は「大」に従属する。最大多数の最大幸福。
なので、「多様性の包摂」は「一様性の容認」「民主主義」と同義語になります。
つまり、善意の人も悪意の人も、警官も犯罪者も一国家内では同じ権利(人権)を持っていて「多様性の包摂」になりますが、許容範囲を超えると排除されます。卑近な例では「民主党支配下のアメリカ」です。「みんな生きているだけで偉いので、みんな金メダル」も、財政が許せば多様性の包摂と言えなくもありませんww
似た言葉に「多様性の容認」がありますが、これは「一様性の否定」を意味します。「みんな違って、みんな良い」です。
容認:倫理的または法律的には本来認められないモノで、禁止すると「道徳的」な問題が生じる為、社会的にあまり好ましくない存在や状態を受け入れること。
倫理:社会通念として、良いと解釈されること。
道徳:自身が良いと思う事。日本以外には余り無い概念で、独善主義や欧米由来の個人主義とは違う。
これは「確率論」で説明でき、全ての「モノの存在」は標準偏差に従うことになります。全体を見ても、(不作為の)一部分を取り出してもその傾向は同じで、(自然現象として)犯罪者もいれば善人もいます。
「容認」とは言っても、政策によって傾向のバラツキを小さくすることや、中央値を善良側にずらすことは可能です。この手間を省いたのが「包摂」であり全体主義国家ではよくみられる政治手法です。
全体主義国家では、その政権維持のために、「人民を恣意的な傾向ごとに細分化」し敵対勢力の増殖を防ぎます。つまり、「人民」は「国民」であってはならず、全ては支配者に包摂されます。
「民主党アメリカ」は、アメリカの世界覇権に反対する外国の民間人を原爆で虐殺することで世界の覇者となり「戦勝国連合(通称、国連)」を創設しました。その統治手法を「国際化」と言い、世界統一政府の端緒になります。
独裁国家(共産主義も含む)では、反対意見を人命と共に抹殺するので、結果として全員が同意見となり「完全に包摂された民主主義国家」が成立します。政府に反対する人民は既に存在しないので当然と言えば当然ですが、包摂された「一様な世界」には私が存在しないことも確かですww
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