生まれたてのヒトの脳で、大脳皮質以外の本能系の「脳」には自ら生きる為に必要な総ての情報が書かれていると言われています。一方、大脳系には生後に得た「情報」が書かれ続け、成長と共に大脳皮質の10%程が「記憶」として埋まるとされています。
また、大脳が得た情報で、今の環境で継続して生きる為に必要と判断された「新しい記憶」も、その一部は本能系に複写されるのではないかと言われています。スポーツなどで「体で覚えろ!」と鍛えられるのがこれに当たりますが、実際には体ではなく「本能系」の脳に記憶されているだけなので「小脳が記憶」しなければ意味が有りません。
私の様に「運動神経が鈍い」と言われる人は、「小脳」に転写する能力が低いと思われます。逆に「小脳(本能)」を「大脳皮質(理性?)」の支配下に置きたがる人は転写されやすく、「洗脳」はこれを利用していて、繰り返し「大脳皮質」を刺激する事で、強制的に「小脳」に複写され、善悪の判断をすることなく行動する事が可能になります。「カゲキ派」や「ジンケンがー」と騒がしい人が暴力的なのも、理解できます。
筋肉系は代謝により入れ替わるので、「体で覚える」ことは出来ません。怠けると努力も無駄になり、思うように動けなくなります。しかし、努力を再開すれば「小脳」の力を借りて筋肉の機能を復活することが出来ます。
「頭部を切り取ったニワトリでも普通に生き続けた例がある」とされていますが、それは「運動系の脳幹」が残っていたからではないかと言われています。また、痛さに苦しんだのは、切り落とされた「トリ頭」のほうで、「体」は痛さを感じていなかったと思います。「心頭を滅却すれば火もまた涼し」を、地鶏で行った話ですww
一般に「生まれたての大脳皮質には何も情報が書かれていないが、時間と共に記憶が蓄積されていく」とされています。そして、老化と共に「記憶」が失われ最後は無になる。それでも、必要な情報は小脳に複写されているので、過去と同じ行動ならば問題なく出来る・・・これが「正常なボケ老人」だと思います。
それはさておき、「小脳に書かれた情報は古代からの記憶の蓄積」と言いますが、「記憶」なら自分の意志で取り出すことが可能なようにも思えます。しかし、先祖が見たり感じた事を、今の自分が思い出すことは出来ません。思い出せない事を「記憶」と言えるのかどうかは判りませんが、それが「本能」であると定義されています。
世の中には「天才」がいて、教えた事も無いのに知っていたり、常人が理解できない事を言いだす人がいます。「常人が理解できない」とは、その「天才」にその事を教えた人はいないという事で、例えば「2050年5月15日は何曜日?」と聞くと即座に「日曜日」と答える子供がいます。何故答えられるのか不思議なのですが、「知っている」としか思えません。更に不思議なのは、覚えた事が無い事を質問されて、即座に答えられる大人がいないと云う事です・・・当たり前と言えばそれ迄ですが、否、周辺諸国では見かける場合も有りますww
日本で「曜日付き暦」を利用してからまだ数百年ほどしか経過していないので、本能系の「小脳」には記憶されていないと思いますし、計算しているようにも見えません。つまり、カレンダーが最初から脳に「記憶」されていて、しかも瞬時に曜日を答えられる事から、「小脳」にも記憶されていると考えるのが正しいようにも思えます。
つまり、生まれた時は最初から総てを知っていて、歳を取り「自覚・意識」が成長すると共に「記憶」が失われていき、最後には「小脳の本能と複写された記憶」だけで生きて行けると云う事です。
更に深読みすると、過去に見聞きした記憶が世代を超えて最初から「小脳」に記録されていて、意識して読み取る事は出来ないが、「小脳」の判断に由って生きるに必要な情報が「大脳系」に(人知れず)転写され、大脳皮質との相互作用で体が制御されていると考えられます。
また、大脳が得た情報で、今の環境で継続して生きる為に必要と判断された「新しい記憶」も、その一部は本能系に複写されるのではないかと言われています。スポーツなどで「体で覚えろ!」と鍛えられるのがこれに当たりますが、実際には体ではなく「本能系」の脳に記憶されているだけなので「小脳が記憶」しなければ意味が有りません。
私の様に「運動神経が鈍い」と言われる人は、「小脳」に転写する能力が低いと思われます。逆に「小脳(本能)」を「大脳皮質(理性?)」の支配下に置きたがる人は転写されやすく、「洗脳」はこれを利用していて、繰り返し「大脳皮質」を刺激する事で、強制的に「小脳」に複写され、善悪の判断をすることなく行動する事が可能になります。「カゲキ派」や「ジンケンがー」と騒がしい人が暴力的なのも、理解できます。
筋肉系は代謝により入れ替わるので、「体で覚える」ことは出来ません。怠けると努力も無駄になり、思うように動けなくなります。しかし、努力を再開すれば「小脳」の力を借りて筋肉の機能を復活することが出来ます。
「頭部を切り取ったニワトリでも普通に生き続けた例がある」とされていますが、それは「運動系の脳幹」が残っていたからではないかと言われています。また、痛さに苦しんだのは、切り落とされた「トリ頭」のほうで、「体」は痛さを感じていなかったと思います。「心頭を滅却すれば火もまた涼し」を、地鶏で行った話ですww
一般に「生まれたての大脳皮質には何も情報が書かれていないが、時間と共に記憶が蓄積されていく」とされています。そして、老化と共に「記憶」が失われ最後は無になる。それでも、必要な情報は小脳に複写されているので、過去と同じ行動ならば問題なく出来る・・・これが「正常なボケ老人」だと思います。
それはさておき、「小脳に書かれた情報は古代からの記憶の蓄積」と言いますが、「記憶」なら自分の意志で取り出すことが可能なようにも思えます。しかし、先祖が見たり感じた事を、今の自分が思い出すことは出来ません。思い出せない事を「記憶」と言えるのかどうかは判りませんが、それが「本能」であると定義されています。
世の中には「天才」がいて、教えた事も無いのに知っていたり、常人が理解できない事を言いだす人がいます。「常人が理解できない」とは、その「天才」にその事を教えた人はいないという事で、例えば「2050年5月15日は何曜日?」と聞くと即座に「日曜日」と答える子供がいます。何故答えられるのか不思議なのですが、「知っている」としか思えません。更に不思議なのは、覚えた事が無い事を質問されて、即座に答えられる大人がいないと云う事です・・・当たり前と言えばそれ迄ですが、否、周辺諸国では見かける場合も有りますww
日本で「曜日付き暦」を利用してからまだ数百年ほどしか経過していないので、本能系の「小脳」には記憶されていないと思いますし、計算しているようにも見えません。つまり、カレンダーが最初から脳に「記憶」されていて、しかも瞬時に曜日を答えられる事から、「小脳」にも記憶されていると考えるのが正しいようにも思えます。
つまり、生まれた時は最初から総てを知っていて、歳を取り「自覚・意識」が成長すると共に「記憶」が失われていき、最後には「小脳の本能と複写された記憶」だけで生きて行けると云う事です。
更に深読みすると、過去に見聞きした記憶が世代を超えて最初から「小脳」に記録されていて、意識して読み取る事は出来ないが、「小脳」の判断に由って生きるに必要な情報が「大脳系」に(人知れず)転写され、大脳皮質との相互作用で体が制御されていると考えられます。
理系脳の私は、「瞬時に計算できるのなら、計算式を知っている」と考えます。誰からも教えて貰っていない計算式が子供の記憶域に入っているのなら、考察結果は同じで「元々知っていた」と思います。
文系脳の発想では、やはり瞬時に計算できる能力がある、と考えてしまいますww
なのでカレンダーのまだない未来の年月日から曜日も同様にできるということになります(笑)
文系脳は『そうだとしたら面白い』という発想から入りやすいのですかね、きっとww
私も武田先生の番組は欠かさず見ます。意見の一致度は、
同じ:40%
納得:50%
違う:10%
くらいです。
続きは「ゆぅすけさんのブログ」に書きます。
この大脳皮質と小脳の関係性を、先日、武田邦彦先生の虎ノ門サイエンスで紹介されていて、至極納得させられたところでありました。
で今回、さらに細かく分析されていますことに、改めて心服いたします。
これでまたひとつ、これまで知り得なかった『自分』というものを発見した次第です!
有難う御座いました。