伝統ある英国のTANNOY IIILZで聴く、音楽の父J.S.バッハ音楽を知る喜び・・・

音楽好きのIIILZ Monitor Goldユニットの箱を改良して楽しむダメオヤジ金ちゃんです。

東北旅行から帰り音楽が堪らなく聴きたく合間を縫ってアンプに火を灯し、ピアノジャズピアノを楽しむ。

2024年07月13日 | JAZZ・ボサノヴァ

此の所大阪に居る娘が遊びにきたり、旧友との爺さん達の遠足に、帰宅すれば生憎仕事も重なり、時間の空いた隙間に音楽を耳にした。

昔から筆者の好きなピーターソン~ブラウン~シグペンからなる黄金トリオによる1962年のヴァーヴ盤。ハイライトは同年にリリースされたビル・エヴァンスの名曲「ワルツ・フォー・デビー」の演奏は、今回の聴きものです。スウィンギーで力強いタッチから繰り出されるワルツは圧巻だ、しかし此処で改めてエバンスnとの差を感じるキレキレの演奏の魅力はエバンスではあるが、スイングの楽しさを堪能するにはピーターソンが勝る。この様なJAZZは筆者の愛用する2代目1967年発売MonitorGOLD(ⅢLZmk2)ユニットでも十分満足するJAZZが聴ける。

又ジャズピアノの魅力が存分に詰まった、歴史に残る名盤ウィ・ゲット・リクエストは、ジャズ・ピアニストのオスカー・ピーターソンと彼のトリオによるアルバムで、その後1964年にリリースされ、10月19日、10月20日、11月19日または20日にニューヨーク市のRCAスタジオで録音された。このAFFINITYは2年前に発売された当時の流行り曲をまとめた今聴くも実に懐かしいアルバムでもある。
CD盤は上記のジャケットでレコードはシンプルなピーターソン・トリオではシンプルなデザインジャケットが好きなアルバムでもある。録音当時のピーターソンは37歳頃の作品で最も脂の乗り切った時期と想像する。



AFFINITY
 01WALTZ FOR DEBBY /ワルツ・フォー・デビー(ビル・エヴァンス)
 02TANGERINE /タンジェリン(ジョニー・マーサー=ヴィクター・シャーツィンガー)
 03GRAVY WALTZ /グレイビー・ワルツ(レイ・ブラウン、スティーブ・アレン)
 04THIS COULD BE THE START OF SOMETHING /これは何か大きなことの始まりになるかもしれない(スティーブ・アレン)
 05BAUBLES. BANGLES AND BEADS /飾り物、腕輪、ビーズ(アレクサンダー・ボロディン、ジョージ・フォレスト、ロバート・ライト)
 06SIX AND FOUR /6と4(オリバー・ネルソン)
 07I'M A FOOL TO WANT YOU /君を欲しがるなんてバカだ(ジョエル・ヘロン、フランク・シナトラ、ジャック・ウルフ)
 08YOURS IS MY HEART ALONE /私の心はあなただけ(ルートヴィヒ・ヘルツァー、フランツ・レハール、ベーダ・フリッツ・レーナー)
録音:1962.9
 
レコーディングに参加したのは、1958年からトリオを組んでいるレイ・ブラウン(Ray Brown)、エド・シグペン(Ed Thigpen)。このアルバムの最初の曲にエバンスのWALTZ FOR DEBBYが導入されるが同じピアニストの演奏でも違いが実に面白い、この曲はエバンスの得意の曲ではあるがピーターソンの独自なスイング感も面白い流石ぎんばんの貴公子と言われる意味合いが分かるのだ。

オスカーはこのトリオで『ナイト・トレイン』(Night Train)、『カナダ組曲』(Canadiana Suite)、『オスカー・ピーターソン+ 1』(Oscar Peterson + 1)など数々の名盤を生み出している。
その中でも、ヴァーヴ・レコード(Verve Records)からリリースした『プリーズ・リクエスト』(We Get Requests)は、「歴史に残る名盤」として現在も広く愛されている。
筆者はピーターソン独特の転がし演奏が好きで昔は視覚障害者でありながら超絶技巧を誇るアート・テイタムの奏法と良く似た演奏と言われたが今はピーターソン奏法(節)と言えるのであろう。この辺りのニュアンスはエバンスとの違いは明らかであろう。



Oscar Peterson (オスカー・ピーターソン)
1925年8月15日、カナダのモントリオール生まれ。45年から地元カナダでリーダー作を残し、49年に興行師のノーマン・グランツに才能を見出され米国デビュー。J.A.T.P.などオールスター・セッションに起用される一方、レイ・ブラウン、バーニー・ケッセル、エド・シグペンらと多くの名作を発表した。90年代に脳梗塞で倒れるも見事な復帰を果たし、その健在ぶりを強くアピールした。2007年12月23日、腎不全のためカナダ・トロントの自宅で死去。享年82。
アート・テイタムを彷彿とさせる高速のアドリブが特徴で決して音が乱れることはなく、もちろん、ただ技巧がすごいだけでなく、ピアノ奏法の独創性や、卓越した和声感覚で、オスカー・ピーターソン特有の音楽を作り上げています。オスカー・ピーターソンはその圧倒的な演奏力が特徴です。ミスタッチをほとんどすることがないと言われており、正確な指使いと同時に疾走感のある早いテンポを弾きこなすなど超絶テクニックを持ったピアニストで、「鍵盤の皇帝」との異名をとっていました。そのような超絶技巧の演奏を可能にしていたのは長年のキャリアに裏打ちされたテクニックに加え、オスカー・ピーターソンの大きな「手」も理由の一つかもしれません。1オクターブは余裕でつかめる大きな手でダイナミックな演奏をし、観客を沸かせていました。
オスカー・ピーターソンは1964年にも来日しており、長きにわたり日本での人気も高かったことがうかがい知れます。


Ray Brown (レイ・ブラウン)
1926年10月米国ペンシルヴァニア州ピッツバーグ生まれ。ジャズ・ベースの巨匠。オスカー・ピーターソン、ミルト・ジャクソンとの長年にわたる共演活動が有名だが、チャーリー・パーカー、バド・パウエルなど、ジャズ史に残る数々の傑作に参加している名盤請負人。自己のバンドは、モンティ・アレキサンダー、ジーン・ハリス、ジェフ・キーザーらのピアニストを迎えたトリオでの活動が中心。2002年7月2日インディアナポリスで死去。享年75歳。
レイ・ブラウン(Ray Brown)はエラ・フィッツジェラルド(Ella Fitzgerald)と結婚していたんですよね。今思うと、凄い夫婦ですね。
レイ・ブラウンはハイスクール時代からピッツバーグではちょっと知られたベーシストになっていましたが、20歳の時ニューヨークに出てディジー・ガレスピー(Dizzy Gillespie)のベーシストとなり、次第にアート・テイタム(Art Tatum)やチャーリー・パーカー(Charlie Parker)らとも演奏する機会を得るようになりました。



ディジー・ガレスピーのバンドには1946年から1951年までいました。その間、1949年にノーマン・グランツ(Norman Granz)が企画しているコンサートでオスカー・ピーターソン(Oscar Peterson)と初めて共演します。その後、ディジー・ガレスピーのバンドをやめてオスカー・ピーターソン・トリオに加入します。このトリオは1951年から1966年まで続く最強トリオとなり、数多くの名盤とライブを生み出すことになります。数多くのミュージシャンと共演、レコーディングを行い、オスカー・ピーターソンとの長期にわたる共演でも有名です。
私的にはプリーズ・リクエストでバースを弓で奏でるブーミー音は実に印象的な演奏でもあり一種の低音の魅力その物でもある。


Ed Thigpen (エド・シグペン)
欠かせない存在だったエド・シグペンは、「ミスター・テイスト」として知られていました。シグペンは、そのブラシテクニックと、脈拍とスイングの明瞭な感覚で最もよく知られていました。
ティグペンは 1930 年にシカゴで生まれ、ジャズ ドラマーのベン ティグペンの息子です。ベン ティグペンはバンドリーダー兼ベーシストのアンディ カークとの共演で高く評価されていました。両親が離婚した後、エドは母親とともにロサンゼルスに移り、ピアノを学び、教会の聖歌隊で歌い、ダンスのレッスンを受け、学校のバンドでドラムを演奏しました。ティグペンの最初のプロとしての演奏は、エドが 18 歳のときにバディ コレットと共演したことでした。その後、すぐにジャクソン ブラザーズのショー バンドに参加しました。その後、ニューヨークのサヴォイ ボールルームでクーティー ウィリアムスと共演し、その後 2 年間陸軍バンドのドラマーを務めました。
1959 年、シグペンはベーシストのレイ・ブラウンを含むオスカー・ピーターソン・トリオに加入しました。「トリオで活動することで、自分の演奏の特定の要素を発展させる機会を得ました」とエドは1982 年にMD 誌に語っています。「シンバルのテクニックとビッグバンドの状況をシミュレートするフレージングの手法を習得することができました。メロディーの聴き方や、即興のラインに合わせてフレージングして、他のことが起こっているような感覚を与える方法を学びました。それは補完的なものでしたが、それでもオスカーが最初に望んでいた時間でした。



ピーターソン・トリオのジャズの聴き所はウッドベースのごく普通の低音、ドラムのキレ音に巧みに転がす様なタッチのピアノ曲、普通に演奏してるのであろうが、魅力一杯のピアノ・トリオならではのジャズの魅力を味わうには筆者自慢のTANNOYⅢLZ in GOODMAN AXIOM80 Cabinetに突然の出会いで見つけ遭遇した三極管「Zaika5300」を装着した、パワーアンプSV-501SEジャズ音楽を聴くには若干パワー不足な所もあるが、筆者のリビング10畳程では十分満足できます。
確かにサブのパワーにLUXKIT A3500も種有するがパワーは十分だがじっくり聴くのはZaika5300の三極管を好んでしまう事が現実である。
TANNOYユニットは特に自然な低域を楽しむには真空管の威力借りて再現する音が好ましい、レイ・ブラウンのベース音を楽しむは球の仕様が一味も違って来る、特に三極管が威力を発揮する様に思う。

兎角昔から好きな言葉に「得手に帆を挙げて」の如く此の様なピーターソン・トリオのゴールデンコンビの演奏は鳴り出した音に思うは、手足しっかりした音が響く装置で聴く事が一番の至上の喜びでもあろう。



特に欧州でのエンクロージャーを用い確かにジャズ音楽鑑賞には不向きであるがスイングジャズ、欧州録音のジャズ他数少ないジャズも欧州のスピーカーユニットで聴く事で感銘を受けるアルバムも数多くある様に思う、その様なアルバムを探す楽しみもマニアもいる様に思う。

この様に昔から良く聴く馴染みやすいジャズにオスカー・ピーターソン(p)レイ・ブラウン(b)エド・シグペン(ds)ヴァーブ時代のピーターソン・トリオの曲が多い、カナダで最初のピアノ・トリオを結成して以来、半世紀を越える活動で、スィングとバップを融合させた独自のスタイルを確立、ジャズって変に哲学的になったり、原曲が全然見えなくなっちゃったりということがあるけれど、ピーターソン・トリオの曲はオーソドックスで聴きやすく魅力的で個人的にも好きなトリオでもある。
久々に聴くキレの良いピアノ曲に、ブラボー!

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2 コメント

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affinity   (mobu)
2024-07-14 09:55:41
ピーターソンいいですね。
以前、ピアニストの八木正生氏が何かの
ジャズ番組で大橋巨泉氏の司会で、
曲弾きをしていたことがあって、
巨匠の物まねということで
オスカー・ピーターソンとセロニアス
・モンクを余興でまねて弾いて見せた
ことがありました。
プロ・レベルだとこういう余興も
できるのだと感心したことがあります。
ピーターソンの技量の凄さは聴いただけで
もわかるし、ピーターソン派がないのは
これだけの技量を持つピアニストは
そういないということもあり、後に
続かないのでしょうね。
ワルツ・フォー・デビー(ピーターソン
版)初めて配信で聴きました。
エヴァンスのオリジナルを、ピーターソン
は手の内にしていますね。
ピーターソン節になっている所がいい
です。ワルツ・フォー・デビーは1961年
収録で、リリースが62年。
ピーターソンは62年収録で、
リリースも62年。
カヴァーの早さに驚きました。
当時も早々に人気曲だったのかも
しれないですが、取入れの早さに、
グランツの指示でもあったのかなと思いを
巡らしました。
三つ巴のジャケットも、ピアノ・ベース・
ドラムスの象徴かと思いました。
ヴァーヴもおしゃれですね。
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何時もコメント頂きありがとうございます。 (金ちゃん)
2024-07-14 10:24:31
>mobu さんへ
>affinity  ... への返信
20代前半夢中で聴いたピーターソンのピアノ曲
思えが早五十年以上過ぎています、私もまるで成長の兆しもない様です。
当時興奮して夢中で聴いたピーターソン
勿論エバンスも同様に聴きましたが
昔の記憶ではスイングジャーナルの記載によりますと
読者の選ぶ人気ピアニストNo ,1はエバンス、No ,18がピーターソン
と記載されてました。
矢張り日本ではエバンスの人気が高い事を知りましたが
私毎では、今も聴くのはピーターソンが多い様です。

例えば陰、と陽の違いで、ピーターソンを陽と理解している様に思い
思うに日本人の性格は陰の部分が多いのかも知れない
なんて事を思い、音楽を頭で体験する様にも思います。

何時も貴重なご意見ありがとうございます。
今後とも宜しく気軽にお便りお待ちします。
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