2014年も終わろうとしているころ、銀座に友人と。
目的はディオール展です。
ディオールのお洋服と共にそのブランドの目指してきた軌跡。
メゾンの現在の後継者はラフ・シモンズ。
ラフ・シモンズはオートクチュールに関して、以下のようにコメントしています。
歴史的なインスピレーションは、それ自体がコレクションを証明したり、
そこに意味を持たせたりすることはしません。
私が惹かれたのは、建築的な構造という発想です。
これは実にディオールらしい姿勢を表していると思います。
そして時代はどのように時代ごとの土台を見い出してきたのか、
未来はどのように過去を利用していくのかといった発想は実に魅力的だと思いました。
「モダンな美」とみなされるのは、異なる複数のビジョンを突き合わせるという発想でした。
私には、ここ数10年のエスプリをモダン化することより、
遠い昔に戻ることの方が現代的に感じられました。
ファッションはもともと階級を示すための服であり、発展してきた側面もある。
怖いくらいの階級社会。この辺は日本人には少しわかりにくい。
ディオールはオートクチュールで、
ハイソサエティの女性たちの美意識と階級意識を満足させてきた。
でもそれは簡単なことではない。
たぶん、日本の大名のお姫様たちの婚礼衣装を納品するようなものだと思う。
つまり誰よりも最高峰のクオリティと技術と誰をもうならせるゴージャスさと
最先端のセンスを保証することではないのか。
クリスチャン・ディオールは「美を建築する」と語っていた。
舞踏会、各種パーティーのための服。
いまやいわゆるセレブがパーティーで着る服でもあるので、
少し身近な気もするけど、やはりオートクチュールは別格の世界。
そのキーワードは「建築的な構造」。
たしかに、マジック以上の構築的なシルエットとそれを支えるパターン。
建築する女性の美。引き出すのは気高さと気品。
建築する。現在主流の個性を活かすなどとは正反対の概念である。
美智子妃殿下の結婚時のローブデコルテはディオールの手によるクロッキーを、
彼の逝去に伴いその後継者となったイブサンローランが制作したものである。
プレタポルテにおいてラフシモンズは「建築」をキーワードに
展開をしている。
たとえばこのコート。
ウエストからヒップにかけて何重ものパットを使用して、
ラインを構築している。
メゾンのもつプロの技術と信念が「建築」を実現させていくのであろう。
ファッションだけでなく、バッグ、香水、コスメティック、エトセトラ、エトセトラ。
哲学と最高の技術と品質。そして職人とクリエーションのせめぎあい。
こうやってブランドはつくられていく。
ディオールのブランドの服は、百貨店的にはいわゆる「特選売り場」にあり、
私などはがんばってもその階下にセッティングされている「キャリアの服売り場」
そしてさらにその下にある「ヤング~アダルトの服売り場」。
駅ビルにあるブランドはこのあたりと重なる。またはさらによりカジュアルなシーンで
着るための服という設定ということが多い。
オートクチュールはこの枠からはみ出した世界であり、
ファストファッションはこの概念とは違うということになる。
これがブランドのヒエラルキーなのかもしれない。
そのことをよくわかっていないと、独りよがりなものになり、
まさに井の中の蛙になるのかもしれない。
ファッションの原点、服の意味。ブランドの価値。
マークでもなければ、プライスでもない。
誰の何をシンボライズするための服なのか。
これが重要な課題なのだと改めて教えてもらった。
目的はディオール展です。
ディオールのお洋服と共にそのブランドの目指してきた軌跡。
メゾンの現在の後継者はラフ・シモンズ。
ラフ・シモンズはオートクチュールに関して、以下のようにコメントしています。
歴史的なインスピレーションは、それ自体がコレクションを証明したり、
そこに意味を持たせたりすることはしません。
私が惹かれたのは、建築的な構造という発想です。
これは実にディオールらしい姿勢を表していると思います。
そして時代はどのように時代ごとの土台を見い出してきたのか、
未来はどのように過去を利用していくのかといった発想は実に魅力的だと思いました。
「モダンな美」とみなされるのは、異なる複数のビジョンを突き合わせるという発想でした。
私には、ここ数10年のエスプリをモダン化することより、
遠い昔に戻ることの方が現代的に感じられました。
ファッションはもともと階級を示すための服であり、発展してきた側面もある。
怖いくらいの階級社会。この辺は日本人には少しわかりにくい。
ディオールはオートクチュールで、
ハイソサエティの女性たちの美意識と階級意識を満足させてきた。
でもそれは簡単なことではない。
たぶん、日本の大名のお姫様たちの婚礼衣装を納品するようなものだと思う。
つまり誰よりも最高峰のクオリティと技術と誰をもうならせるゴージャスさと
最先端のセンスを保証することではないのか。
クリスチャン・ディオールは「美を建築する」と語っていた。
舞踏会、各種パーティーのための服。
いまやいわゆるセレブがパーティーで着る服でもあるので、
少し身近な気もするけど、やはりオートクチュールは別格の世界。
そのキーワードは「建築的な構造」。
たしかに、マジック以上の構築的なシルエットとそれを支えるパターン。
建築する女性の美。引き出すのは気高さと気品。
建築する。現在主流の個性を活かすなどとは正反対の概念である。
美智子妃殿下の結婚時のローブデコルテはディオールの手によるクロッキーを、
彼の逝去に伴いその後継者となったイブサンローランが制作したものである。
プレタポルテにおいてラフシモンズは「建築」をキーワードに
展開をしている。
たとえばこのコート。
ウエストからヒップにかけて何重ものパットを使用して、
ラインを構築している。
メゾンのもつプロの技術と信念が「建築」を実現させていくのであろう。
ファッションだけでなく、バッグ、香水、コスメティック、エトセトラ、エトセトラ。
哲学と最高の技術と品質。そして職人とクリエーションのせめぎあい。
こうやってブランドはつくられていく。
ディオールのブランドの服は、百貨店的にはいわゆる「特選売り場」にあり、
私などはがんばってもその階下にセッティングされている「キャリアの服売り場」
そしてさらにその下にある「ヤング~アダルトの服売り場」。
駅ビルにあるブランドはこのあたりと重なる。またはさらによりカジュアルなシーンで
着るための服という設定ということが多い。
オートクチュールはこの枠からはみ出した世界であり、
ファストファッションはこの概念とは違うということになる。
これがブランドのヒエラルキーなのかもしれない。
そのことをよくわかっていないと、独りよがりなものになり、
まさに井の中の蛙になるのかもしれない。
ファッションの原点、服の意味。ブランドの価値。
マークでもなければ、プライスでもない。
誰の何をシンボライズするための服なのか。
これが重要な課題なのだと改めて教えてもらった。
う~ん、庶民の私にはよくわからないファッション界。
ですが、ブランドにあこがれても自分に似合わない理由がわかった気もします。
身も心も庶民であるので…。
でもさすがだよね~高級ブランドだけあって、その世界観というか…物づくりへのこだわり。
ディオールのローブデコルテ、あの美智子妃殿下の婚礼の衣装だったよね?
生地は、確か日本のものだったような…???
高みを目指すってこういうことなのねと思えるようなトラネコさんの解説。わかりやすかったです。ふむふむ・・・。
そういや、エルメス展もあったと聞くけど、そちらも観ましたか?
うちの甥っ子は、バッグを作る職人になりたくてかなりエルメスにはまっていた時期があります。
高級ブランド品は、持つこと自体がステイタスって感じの時期もあったけれど、今は自分に合った使い勝手の良いものが、最高と思えるようになりました。あはは・・・。
このような展覧会はオーラが強すぎて
圧倒されそうな気がします。
ファッションの世界の「芸術」という感じですね。
このような衣装を身につけるには
外見だけでなく内面も磨いとかなきゃいけない、
と感じて、それには程遠い自分が
かなり引け目を感じそうです。
でも、映画などで女優さんが着ているのを観るのは、
かなり楽しいことですね。
ドヌーヴが着てましたっけ?
ヘプバーンはジバンシーだったし。
そうですそうです、美智子妃殿下のドレスです。
それを表沙汰にしないのはえらいよねー。
やはり究極というものはすごい執念が重なって、重なって
できるものなんですね。
バブルのころの、ブランドを手にしたいというのは
素直に純粋な憧れでもあったのだろうけど、
そもそも着こなさず、価値も知らず、ブランド目当てに
買うことに酔っていた。
買って気づいてくれればまだいいけど、
そうならなかったですねー。
モンロー、ドヌーブ(もう思い出せない)など
たくさんありすぎて思い出せません(笑)
ゴージャスな世界でもありますが、
やはり徳川家のお姫様の調度品を見ているような。
超高級品と超絶技巧の品々であり、
かつ今も生きて多くの人が(プレタポルテだけど)着ているブランド。
恐れ入りましたというかんじでした!