12月12日(木)、晴。
実力名人戦ゆかりの将棋盤。
その盤面の映像です。先ほど撮影しました。
盤面の年輪。分かりますでしょうか。少し粗いところでは1ミリに1本くらい。。緻密でより細かなところでは、1ミリに2.5本くらい。
そうだとすると、平均的には1cmに20本以上。
盤の幅は33cm余りですので、20本だとすると、20x33=660本。
あるいは、25本だとすると、25✕33=825本。
私が虫眼鏡で数えたところでは、全幅で800本ぐらいの木目を数えることが出来ました。
おそらくは1000年以上の筋の良い素直な大木から木取りしたのだと思います。
なお、「榧」といえば、今は綾営林署が有名ですが、聞いたところでは(確証はありませんが)、この盤は、綾の隣の高岡営林署区域で採れたものとのことを聞いております。
因みに、現在の高岡営林署にはほとんどありませんが、100年くらい前の高岡には、綾、以上に「良い榧」があって、それは大正時代の頃に採りつくされたそうです。
ですが、100年経っても、割れやヒビが入らないという保証はありません。>>
たしかにそうでした。
人間国宝の黒田辰秋氏が平安時代の木材を入手し、
厚い板だったので2枚に切ったらすぐに反り始めて、
反りを抑えたら割れてしまった話を思い出しました。
1000年たっても木は性質を変えないわけですね。
年輪を直線にする方向:異方性の性質で、
水分を吸収し膨れて、乾燥して収縮する。
今回水無瀬神宮訪問の前日に薬師寺、法隆寺に行きました。44年前に西岡常一棟梁が再建(2000年級の台檜で新築)した薬師寺の西塔は4つの角の垂木が上層まで一直線のままでした。
4年前に解体修理した国宝の東塔(1200年以上経過の檜材)はもう初重が左にねじれ始めてました。
木材恐るべしです。
安倍真之助さんの盤が、三井家に移ったことですが、阿部さんは、戦後、NHKの会長になられました。しかし、子供はありませんでした。
しかも、亡くなっての喪主は奥様ではなく、甥っ子さんでした。
奥様は、この時すでに亡くなっていたのか、どうかは知りませんが、このようなこともあって、真之助さんの遺品は、早く処分する環境にあったことが分かります。しかし、なぜ盤が三井家に行ったのかはわかりません。
盤のご披露の件、ありがとうございます。その日が来ますことを楽しみにしています。
関根名人は、阿部氏に御礼として盤を贈ったといいます。
駒よりも盤の方が格上で、どっしりして失くさないという面はあったでしょう。しかし、為書きまでされた盤が、阿部氏から文京区の財閥に移った経緯は謎です。阿部氏が亡くなり、遺品整理されたのでしょうか。
盤になってから100年くらいですかね。
ですが、100年経っても、割れやヒビが入らないという保証はありません。
密閉した箱に入れておれば安心ですが、むき出しにすると安心できません。
特に、乾燥期の冬とか、暖房(エヤコン)の風、暖房の輻射熱には注意が必要です。
時々、タイトル戦で盤が割れたというニュースを聞いたりしますが、それは関係者の不注意(知識不足)が多いように思われます。
さすが800本と言う感じですね。
私が昨年切った直径60cmの檜は年輪60本しかなく、
その近くの直径40cmの檜は年輪90本で意外でした。
1000数百年の間には、隣の木が倒れて急に日当たりが良くなったり、旱魃で水分が足りなかったり、
大枝が広がり始め成長が早かったり、
どんな木でも木目に違いが出るものですが、
周辺部になるほど大木になるほど差がなくなって
細かく均一になります。
もう盤になってからも100年近くたっているわけで、割れや狂いの心配もほぼないですし、
いずれにせよ稀有な盤ですね。
まだお見せしていなかったでしたか。
今度、また機会がありましたら、是非。
駒箱ですが、以前は30個かそれ以上あったのですが、今は大分少なくなりました。