UN大浦のブログ

徒然なるままの手記。
大半が、山と猫様、そして妄想の徒然草。

非実在物を減価償却

2016-10-02 14:20:19 | 日記
火中の栗を拾う気概はないが、
山中の栗を拾う食欲はある。新米と一緒にほっこり炊き上げたホクホクの栗ご飯。
際立つ実の甘さ。食物繊維も豊富。塩分は僅かに感じる程度。まだ残暑であれ、季節は秋である。

さて、山中で雌鹿に会うことはしばしばだが、雄鹿に会う事は極めて稀だ。
そのレアが道中、30m先に発現した。

雌と異なり、眼前にしならせる誇りの角。
駆ける速度から、筋力のしなりが生別と性別を超えた力強さを感じる。

山で単独行をしているとひたすら自己に没入できる。
今回没頭したのは、「何が壊れたのか?」という疑念への解答である。

何かコトが起きると、ココロを能動的に一つ壊す。
自己防衛本能である。合理化でもある。
漫画じゃあるまいし、壊れたところでパキっとか音こそしないが、
壊れた時の感触は確と感じる。気持ちが軽くなるのを感じるが、厄介なのは、自分自身何を壊したのかがわからない点だ。確かめていくしかない。

検証するに、今回壊れたのは、「他人に同調するココロ、他人の気持ちに共感するココロに関して。「それ」自体ではなく、「それ」を大事だと思うココロ。」だということが分かってきた。
換言するに、「他人の心情を配慮する」ココロであるか。

他人がどう思っているかは、
幸か不幸か、まだ想像はできる。ただ、それが大事だとは一切思わない。思えない。感じないから、作り笑いをする必要性すら湧かない。

ちょうど受信設定がなされたメールボックスが、個々のメールを自動転送するかのように、
想像した気持ちが自動的にゴミ箱に格納される。大事だとは思わないから。ゴミは捨てないと溜まるだけ。

耐久年数が超えたら捨てるのは、物だけではない。架空も償却しなければならない。

後で探す必要性が生じた際にはゴミの中から探すから、時間がかかるし、埃まみれで余計な付属物も付いてくる。こんな感じだったか?と想像し、形を無理やり作り直すしかない。
いろいろ壊してきた。これで8個目だと思う。

これから徐々に冬の厳冬期登山が朧げに見えてくる。体を作っていこう。