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鶴見 俊輔氏の他界

2015-10-11 22:29:08 | 世の中、もろもろ。
鶴見俊輔氏が亡くなった。よく知らなかった彼の人生を新聞で知った。かれの思想、行動が、生い立ちの環境によるものでないということが書かれていた。「現代思想」10月増刊号を手元にして、”はた”と考えた。以前に「現代風俗研究会」という風俗の変遷を話し合う会にしばらく出席していた。それはまさしく、鶴見俊輔さんが主になり、代表が、桑原武夫氏であった。そこに出席していたメンバーのなかで山本 明氏(私の大学時代の先生で助手であった)の名前があり、鶴見俊輔氏編著の「現代風俗通信‘77~‘86」
(1987年3月20日発行)が手元にあるのを見開いている。時代が変化し、鶴見俊輔しを論じる人は、時代を経て
変化している。この冊子は、「はがき報告」をまとめたもので、風俗の最先端をいっていたものだが、山本明先生は新聞学で、初めて、マスコミへの働きがけした人である。その同じ頃、田吹氏(同志社大学、新聞学ー
山本 明氏と同じ位)の名前が出ている。あまり内容を知らずに参加していた研究会であったが、今、読みかえってみると、私が卒業した1961年に鶴見 俊輔氏が、新聞学専攻の教授として迎えられたのである。われわれの時代は、和田 洋一(末川氏ー立命と同時代)、住谷 伸一、山本 明(当時、助手)鶴見 俊輔へとつながった。「現風研」では、「はがき報告」は、10年間で、1834件の投書があり、題として、ふろしき、風呂、はきもの、トイレ、かたみ、朝食、自販機、下着、くすり、テレビ、みやげ、写真、鍵 等が主なものであった。現代であれば、随分と違う題になることだろう。世の中の動き、変化、人類の動き、いろいろな場所へ、と素朴で日本的なよさのある時代だった。随分おもしろい資料だ。あらためて鶴見 俊輔氏の生きた姿を思い出して、あの行動、思考がどこから身についたのか、巾のある人生を送ったのだと、若い頃の生き様がにじみでているのかと。このような思いで。