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水彩画や好きな音楽について語ります。なんでも伸び伸びと書いていきます。でも忙しくて更新が延び延びになるかも。

絵画と俳句の相関についての考察 試稿

2019年03月24日 16時00分27秒 | 日記
絵画と俳句の共通性についての考察



1 はじめに
古池や蛙飛び込む水の音
静けさや岩にしみ入る蝉の声
俳句を取り扱ったテレビ番組の影響で俳句が身近になってきた。番組では女性講師が芸能人が作った俳句に評価と選評を与える。そこでは、言葉の選び方や語順限られた字数の中でいかに言葉をそぎ落とすか、そして感情の言葉を使わずに情景を描写するだけでいかに心情までを表すか、読み手に委ね、読み手の想像を引き出す。
これが俳句であるという。
私はここに最近私が考える絵画との共通性を感じる。

2 昨今の絵画と近代絵画
この世に写真が登場する前の時代、ある意味絵画は、写真に代わるものとしての役割を担っていた。西洋絵画はいかに写実的に描くかを画家は競った。それに対して東洋絵画は、よりデザイン的に発達していった。そんな両絵画がフランスで出会った。日本の浮世絵に出会った西洋画家たちは、その色彩とデザイン性に魅了された。一方絵画に写真技術をいち早く取り入れた画家も現れた。フェルメールは、原始的な写真技術をアトリに持ち込み名画を生み出した。一方近代科学の原理を深く理解し光を分析し絵に取り入れる画家や、モチーフを多面的に捉え細分化し画面上で再構成するなど、絵画の幅はさらに広がった。さらには、児童画の単純性や自由性に影響を受けたり、色や構成やリズムや即興性などに特化した絵画も現れ、次第に受け入れられていった。
しかし現代実に多様化する絵画はほぼ出尽くした感があり、現代ではそれぞれの作家が自己を他とは区別しているが、私には近代作家の二番煎じにしか見えない。
そんな中、スーパレアリスムと呼ばれる写真と見間違うような絵画が現れ現代人の目を引いた。















3 絵画の表すべきものと行先

昔と違って世の中には多様な絵画が溢れた現代はある意味混沌とした世界だ。作家は自分の個性を発揮しようと躍起になっている感があるし、学生や素人画家は、技術より意外性に走る。芸術は爆発だとばかりに絵の具を塗りたくる。イメージを重ねに重ねる。しかし基礎ができていないので、一目見ただけで2度とは見なくて良い絵となる。絵画のバリエーションはほとんどが100年前に出尽くした感があある。現在芸術家と呼ばれている方々の絵は、それらに大いに影響を受けたものだ。また彼らがそれを大学という工場で再生産した門下生が画壇を占めている。それらを打ち破ろうと現代のゴッホよろしく奇想天外な方向へ道を見出そうとするもの。あるいは、写実を追求するもの。漫画やアニメやデジタルなど大衆芸術の方向へ進むもの様々である。
しかし、これだけ多様な絵画に囲まれながらも、自然が創り出す美には、心が動かされる。夕暮れの水面に映った空。日に輝く草花の命などなど。昔の俳人が心動かされたように。
どうやら人間には太古から受け継がれた美に対するDNAが存在するようだ。そこに私は方向性を見出したい。


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