地元紙に高校入試改革についての記事が掲載されていました。
内申書を気にして生徒会活動にかかわったけど本当はほかのことがしたかった、といった意見を踏まえて内申書の割合を減らし、その分全員に面接で自己表現させるという話ですね。
思い出すのは、
①勉強ばかりでかわいそうだからと週休二日制になったゆとり世代が社会に出て「出来が悪い」と陰口をたたかれた件。
②カバンが重くて可哀そうだからと教科書を薄くして、内容がわかりにくくなり、先生の作成するプリントが増えた件。
③辞書重いよね、電子辞書にしてみよっか、で英語力が落ち、進学校から順番に紙辞書に戻した件。
全員を面接する労力もさることながら、自己表現を客観的に数値化する気持ち悪さはありませんか。自己表現できたら高校の勉強に耐えうるのか。高校の勉強ができるか否かを数値的に判断して何がいけないのだろう。いっそ、いろんな人を合格させるのでなく、全員を合格させれば済む話ではないのかと思います。そして普通科では学べないほかのことを学べる高校を作ってあげてほしいです。微分積分ができなくてもモル濃度がわからなくても困らない生き方がたくさんあることを子供たちに知らせなければならないのではないでしょうか。
ちょっとずつ気持ち悪い方向に「改革」されて、子供たちはますます息苦しさを感じるようになりはしないでしょうか。