風の記憶

≪記憶の葉っぱをそよがせる、風の言葉を見つけたい……小さな試みのブログです≫

雨が降っている

2016年06月17日 | 「新詩集2016」


  天気予報

きょうは
新しい空に着がえた
とてもいい日になるだろう

雨上がりの風が
雲の影を明るくしている
行ったり帰ったり
道の向こうの
かすんだ記憶が
めくれている

夕焼けをみて
祖父は鎌を砥いだ
祖父の祖父は
刀で薪割りをしていたという

もはや5%の殺意もなく
父の遺品の剃刀で
ぼくは紙細工に熱中する

雨の予報は
30%だったのに
雲の形をうまく切り取れなくて
大切な空を濡らしてしまった

*

  雨の子ども

雨が降っている
雨が降ると私はいそがしい
家の中が子どもでいっぱいになる
空から降ってくるように
子どもがどこからか現れる
つぎからつぎと
家のすきまから入ってくる
いつのまにか子どもだらけになって
私のひざや腕の上やら
肩から首をつたって頭の上まで
そしてついには
私のまゆ毛にまでしがみついている
ああ助けてくれ
私はもう子どもは嫌いだ
もはや傘をさすこともできない

やがて雨があがると
子どもたちはいっせいにいなくなる
私はひとりぼっちになって
ただ青空に向かって
傘をひらいている

*

  あまだれ

あまだれが落ちるのを
じっと見ている
そんな日があった
そんな子どもだった

樋の下でふくらんで
まっすぐ地面に落ちてくる
あまだれが
1ぴき死んだ
あまだれが2ひき死んだ
あまだれがいっぱい死んだ

小さな涙のよう
息をとめて
落ちる瞬間が美しい
さよならをする
合図のようだった

おじいさんもさいなら
おばあさんもさいなら
雨あがりのおじいさん
どしゃ降りのおばあさん
茶がゆに卵やき
ちりめんじゃこに茄子の古漬け
うすぐらい土間の
足ぶみの石臼
みんな帰っていった

おじさんもさいなら
おばさんもさいなら
誰もみんな
かんたんな合図だけで
小さく光って小さく消えた
あまだれのさよなら

*

  雨がふり続いている

もう止まないかもしれない
そんな雨が降りつづいている
街も道路も車も人も
みんな水浸しになっている
ほんとに誰かが
大きなバケツの水をぶちまけたのだろうか
梅雨の終わりの最後には
雨の神さまがバケツを空っぽにして騒ぐんや
そう言ってた祖母はいまや雨よりも高いところにいて
ぶちまけた水で溺れそうになった父も
すでに雨の向こうへ行ってしまった

裏には山があり前には川がある
年老いた母はひとりぼっちで泣いているだろう
家財道具を2度も川にさらわれた
雨戸が流されてゆくのを呆然と見ていた父が
海釣りの竿が浮いているのを見つけて
慌ててどろ水のなかに飛び込んだ
がらんどうの家の中に残ったのは
壊れた冷蔵庫と釣竿だけ
あれから父は
黒鯛をなんびき釣っただろう

魚になって生きのびる
雨戸を閉じて母は川の音を聞いている
山の音を聞いている
誰も帰ってこないと嘆いているだろう
電話の呼び出し音が鳴っている
痛い痛いと腰を曲げたまま立ちあがる
急に起きたので貧血でぼんやりしているだろう
黒い受話器まであと数歩……
いやいやちがう
母もとっくに雨の向こうだったんだ
電話は鳴りつづけている
雨もふり続いている





コメント (2)    この記事についてブログを書く
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2 コメント

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ひとつぶの雨 (yo-yo)
2016-06-22 21:11:07
雀さん、コメントありがとうございます。

ひと粒として雨を見つめると、
小さな生命の粒として見えるような気がしますね。
もともと水は、命の源でもあったわけですが…

返信する
雨をたっぷり吸った植物のように(’-’*)♪ (雀(から))
2016-06-21 16:16:19
雨の一つ一つぶが、生き生きと感じられて、とても良い詩ですね♪って、生意気いってすみませんm(__)m
返信する

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