ずっと気になっているわらべ唄があった。
なべなべ がちゃがちゃ
そこがぬけたら かえりましょう♪
なぜか、鍋があり、鍋はとつぜん底が抜けてしまうのだ。
楽しい遊びがとつぜん中断されて、子どもたちはそれぞれの家に帰ってゆく。そんな遠い日の懐かしい光景が浮かんでくる。
東京荻窪で自炊をしていた学生の頃、ぼくの手元に鍋といえるものはフライパンがひとつあるきりだった。目玉焼きも野菜炒めも、そしてたまには、すき焼きまでこなせる重宝な鍋だった。
すき焼きといっても高価な牛肉が買えるわけではなく、いつも豚肉のこま切れなのだが、いちど作ると1週間はすき焼きのアレンジで食いつなぐことができた。残り汁に有りあわせの野菜をただ足してゆくだけ。煮汁が少なくなれば水と調味料を加え、あとは飽きる飽きないを超越して、ひたすら食べ続けるのだった。
飢えと貧しさは、ひとを動物の根源にまで引き戻してゆくのかもしれなかった。ぼくが都会の片隅で生きているのは、ただ、がつがつと食うためなのだと深刻に考える日もあった。
結婚してからは、食うということ、すなわち食事の心配はなくなったが、こんどは別の意味で、食うためや食わせるためにがつがつと働かなければならなくなった。そして幾年月かが過ぎて、いくつもあった黄色い嘴がひとつふたつと減って、いつのまにか元のふたつだけの嘴に戻ってみると、互いにひと仕事終わったみたいに、生活するためのさまざまな意欲が弱まってくるのだった。
どうして毎日毎日、わたしだけが食事の用意をしなければならないのかと、カミさんが言い出したりする。そんなときは、心身ともに疲れているという危険信号なのだ。献立が何も思い浮かばないというカミさんの言葉が、生ぬるい空気のような日常生活にとつぜん稲妻を走らせる。
そんなことを言われても、ぼくの古いフライパンはすっかり錆びてしまっている。
食わせてやったり食わせてもらったりという夫婦の関係は、飼育などという生易しい次元の問題ではない。愛情があるとかないとか、人間の本質的な問題にまで進展しかねないのだ。
カネがあれば何でもできる世の中らしいが、トレンディに熟年離婚を決行するにも、われわれには分け合うだけの年金も財産もない。負債もないかわり資産もない。カネがないということは、切れるべき縁もとっくに切れていたということだろうか。それならそれで気分も楽なのだが。
夜になっても台所に電気がつかないままだと、悪い予感に襲われる。
ついにカミさんはダウンしたようだ。口に体温計をくわえ、額にアイスノンをのせて炬燵でのびている。
なべなべがちゃがちゃ、仕方なく、ぼくは鍋を取り出す。
久しぶりなので張り切ってスーパーに行き、鍋用にセットされたアンコウを買ってきた。土鍋にたっぷり水を入れ、白菜やネギ、しいたけなどをぶち込んで火にかける。味付けはみりんと醤油、さらにおまけでモンゴルの塩をふり込んた。これで横綱白鳳のように力が付くかもしれない。
仕上がりは上々で、けっこう美味しかった。料理の腕というよりはアンキモのお陰にちがいない。カミさんは黙って食べて、すぐに寝てしまった。
2日目は、鍋の残りに白菜と豆腐、それにエリンギを加えた。アンコウは初日で平らげたので、買い置きの豚のロース肉を入れた。これも及第点の美味しさだった。けれどもカミさんはあまり食べなかった。どんなに絶品の味でも食欲がないのでは仕方ない。
だが食事のあとで、白菜はきれいに洗ったかとカミさんが言った。昼間、流しで虫が這っていたらしい。ドジな虫だ。悪いところを見られてしまったものだ。たしかに白菜は虫食いだらけだった。子どもの頃はそんな野菜ばかり食べていたので、ぼくは平気なのだが、田舎の都会っ子育ちなどというカミさんは、虫を親の仇のように毛嫌いするのだ。
次の日も、鍋の残りに餅とうどんを入れて食べた。白菜は止めにして春菊を入れた。土鍋料理も今日あたりが限界だと思ったので、最後のスープまで飲み干した。3日目ともなると煮汁も絶妙の味になっている。すこし舌触りがざらついていたのは、春菊の洗い方が雑だったかもしれない。カミさんのクレームを心配したが、もはやその気力もなさそうだった。
次の日もカミさんは起きてこなかった。土鍋も空になったので安心して寝ているのかもしれない。でもにわか料理人としては、土鍋を普通の鍋に取り替えるくらいのレパートリーしかないのだ。
味付けはすこし工夫をして、今度はすき焼き風にしてみた。
冷蔵庫に残っていた豚肉をまず炒めて、砂糖とみりん、醤油などで味付けし、その上に適当に刻んだ白菜をぶち込んだ。幾分やけくそ気味である。鍋を白菜で山盛りにし、無理やり蓋をして煮込む。しばらくすると、食欲をそそられる旨そうな匂いがしてきた。
だが煮詰まると、白菜が鍋の底に沈んでしまったので、冷蔵庫にあった豆腐を追加した。お腹が空いていれば、どんな料理でもご馳走のはずだ。
カミさんは豆腐を主体に食べ、あいだに白菜を恐る恐る食べていた。今回はお咎めはなかった。すこしは料理人の苦労を気遣う余裕も出てきたのかもしれない。
翌日はすき焼き(?)の残り汁にうどんを入れて、特製焼きうどん風にして食べた。このレシピは荻窪仕込みだから年季が入っている。けれども、鍋の底にうどんが焦げ付いてしまった。
なべなべ そこぬけ
そこがぬけたら かえりましょう♪
わが家の鍋も、ついに底が抜けてしまったようだ。そんなわけで、ぼくももう帰りたくなったのだった。
鍋物は今の季節、力強い味方ですよね♪
コメントありがとうございます。
鍋鍋ひっくり返して♪
というのも、慌てた感じでおもしろいですね。
昔はナベやカマなどを修理する、
鋳掛け屋などという職業もあったようですね。