新しい年が始まる。カレンダーが新しくなる。新しい朝、新しい風、新しい太陽。すべてのものに「新しい」をつけて気分を新たにする。元日の朝は、厳かな気分で柏手を打つ。神棚はないが長いあいだの習慣で、三方にお鏡を飾りお神酒を供える。神様の依り代として形だけは整えて、静かに神様に向き合おうとする。
そういえば、神様とも疎遠になって久しい。奈良の法隆寺の近くの、鬱蒼とした森の中に静かな神社があった。子ども達がまだ幼かった頃、正月三が日の一日、その神社にお参りするのがわが家の恒例になっていた。それぞれの年の、それぞれの記憶がそこから始まっている。ある年は、妻のお腹が大きく膨らんでいた。手水鉢の水を柄杓で受けている格好が、力士のように威張ってみえた。それから十日後に男の子が生まれた。
その翌年、妻はびっこを引きながら神社の石段を上った。暮れから足首を痛がっていた。腱鞘炎なら歩いた方が良いだろうと無理して歩いていたが、次第に歩くこともできなくなり、痛い痛いと涙を流しながら、家の中を這って移動していた。
休日あけの病院でリュウマチだと診断された。医者は痛み止めの注射だけを打って、原因も治療法もわからない病気だと言った。どうすればいいのか途方に暮れた。神様助けてくださいと祈るよりほかなかった。
朝の出勤前が忙しかった。妻を車に乗せて大阪駅近くの鍼灸院に通った。副作用があるという注射を打つよりも、灸の方が良いかもしれないと判断したのだった。一日に何回か、妻は自分でも灸をすえていたので、家じゅうもぐさの匂いが籠もっていた。匂いを嗅ぐだけでも効能はあるのだと言いながら、病人臭がこもるのを言いわけしていた。
3人の子ども達が順ぐりで風邪を引いた。出勤途中に、開院前の小児科病院の予約ノートに、子どもの名前を書いておく。昼休みに家まで車を走らせることもあった。子どもは突然高熱を出したり思わぬ怪我をしたりする。親の手が完全には届かない子ども達は、神様の手に委ねられているのかもしれなかった。
そして神様は、しばしば願いを聞き入れてくれたようだ。妻は起床時に、手の指がこわばる状態がしばらく続いていたが、足の痛みはなくなって歩けるようになった。子ども達も風邪ひきや肺炎程度でなんとか順調に育った。
その神社には20年ほども通い続けただろうか。ちょうど子ども達の成長期でもあった。今よりも森の神様がずっと身近にいた頃だった。まだお参りする人もまばらで、しんしんと冷える早朝の境内で、太い倒木を燃やす焚火にあたっていると、神殿の奥で祝詞をあげる神官の声が、深い森から聞こえてくる神様の声のようだった。神社の森は、そのまま後背の山へと広がっていたから、森の奥深くには、ほんとに神様が潜んでいそうだった。しんとした元日の朝の澄んだ空気の中で、神様の呼吸に触れているような気がしたものだった。
最近は、正月の鏡餅に向かって打つ柏手が、なぜか空疎な響きに聞こえる。いつからか、すっかり神様から遠ざかってしまったようだ。私のそばから、いや、私の中から神様はいなくなってしまったのだろうか。ふと、そんなことを考える。
ひとは言葉で神様に祈るが、そのとき神様からの応えがあるとすれば、それは言葉ではないもので返ってくるのだろう。だから神様は目には見えないが、神様からの応えも目には見えない。
私は詩を読んだり書いたりすることもあるが、詩の言葉は、日常の言葉や意識よりも深いところから生まれてくるような気がしている。たぶん詩の言葉というものも、神様の領域の近くにあるものかもしれない。
このところ詩の言葉になかなか手が届かないのは、神様が遠くなってしまったからかもしれない。詩神という言葉がある。詩の神様もきっと深い森の奥にいるのだ。詩の言葉を探すということは、森の奥深くに分け入って神様を探すことかもしれないなどと、新しい年の新しい朝には思ったりする。
「2024 風のファミリー」