だいぶ前に新聞に載った小学2年生の作文をもとにして、ブログの記事を書いたことがある。
小学生の作文のタイトルは『すきな人』というものだった。
「すきな子の言い合いをしよう」ということで、友だち数人で順番に、隣りの子だけに聞こえるように耳元にささやく。
作文の文章は次のように続いていた。
「さいしょにぼくが、ぼくのすきな人の名まえを、ふくいくんの耳のそばで、小さいこえで言いました。
ふくいくんは、
「ふうん。」
とちょっとわらいました。
つぎにふくいくんが、ふくいくんのすきな人の名まえを、けいしくんの耳のそばで言いました。ちょっと聞こえました。ぼくと同じ人でした。つぎは、けいしくんが田ざきくんの耳のそばで言いました。また聞こえました。また同じ人でした。田ざきくんは田村くんの耳のそばで言いました。また同じでした。田村くんは、新田くんの耳のそばで言いました。また聞こえました。また同じでした。新田くんが、ぼくの耳のそばで言いました。また同じでした」。
じつに簡潔な文章で、しかも状況が的確に書かれていて感心したのだった。
文章力もさることながら、小学2年生ですでにクラスにマドンナがいるらしいこと、みんながその子を好きだと思っていて、こっそりと言い合う恥じらいの様子などが、そう言えばそんな頃もあったなあと懐かしかった。
ぼくがクラスのマドンナを初めて意識したのは、たしか小学4年生だったから、この2年生たちに負けたと思った。それに、その頃のぼくは作文が大の苦手だったのでダブルで負けている。
この2年生は(ふしぎやなあ。なんでおんなじ人やろ)と、「それからずっと考えていました」という。
そして最後に、「すきな人の名まえはひみつです」と、心憎い締めくくり方で作文を終っていた。
ああ、まいった。なんだか解らないが完敗した気分が快かった。
もういちど小学生に戻ってわくわくしたい。好きな子の名前を、誰かにこっそり伝えてドキドキしたいと思った。
もう、ぼくの周囲にはマドンナもいないけれど、老いぼれ魂の中にもひっそりと好きな人は住みついている。その人の名前も、誰かにしゃべりたいが秘密にもしておきたい。その気持は小学生と変わらないかもしれない。
だからやっぱり、好きな人の名前はヒーミツ。
小学生の作文のタイトルは『すきな人』というものだった。
「すきな子の言い合いをしよう」ということで、友だち数人で順番に、隣りの子だけに聞こえるように耳元にささやく。
作文の文章は次のように続いていた。
「さいしょにぼくが、ぼくのすきな人の名まえを、ふくいくんの耳のそばで、小さいこえで言いました。
ふくいくんは、
「ふうん。」
とちょっとわらいました。
つぎにふくいくんが、ふくいくんのすきな人の名まえを、けいしくんの耳のそばで言いました。ちょっと聞こえました。ぼくと同じ人でした。つぎは、けいしくんが田ざきくんの耳のそばで言いました。また聞こえました。また同じ人でした。田ざきくんは田村くんの耳のそばで言いました。また同じでした。田村くんは、新田くんの耳のそばで言いました。また聞こえました。また同じでした。新田くんが、ぼくの耳のそばで言いました。また同じでした」。
じつに簡潔な文章で、しかも状況が的確に書かれていて感心したのだった。
文章力もさることながら、小学2年生ですでにクラスにマドンナがいるらしいこと、みんながその子を好きだと思っていて、こっそりと言い合う恥じらいの様子などが、そう言えばそんな頃もあったなあと懐かしかった。
ぼくがクラスのマドンナを初めて意識したのは、たしか小学4年生だったから、この2年生たちに負けたと思った。それに、その頃のぼくは作文が大の苦手だったのでダブルで負けている。
この2年生は(ふしぎやなあ。なんでおんなじ人やろ)と、「それからずっと考えていました」という。
そして最後に、「すきな人の名まえはひみつです」と、心憎い締めくくり方で作文を終っていた。
ああ、まいった。なんだか解らないが完敗した気分が快かった。
もういちど小学生に戻ってわくわくしたい。好きな子の名前を、誰かにこっそり伝えてドキドキしたいと思った。
もう、ぼくの周囲にはマドンナもいないけれど、老いぼれ魂の中にもひっそりと好きな人は住みついている。その人の名前も、誰かにしゃべりたいが秘密にもしておきたい。その気持は小学生と変わらないかもしれない。
だからやっぱり、好きな人の名前はヒーミツ。
くふふ、ずーっとチャックしておくんですね。
好きな人が住みついているなんて素敵ですね。
読んでいただき、ありがとうございました。
励まされます!
こしょばゆいコメント、ありがとうございます。
いつからか住みついてしまったんですね。
どうすることもできませんけど。