先の戦争責任は、東京裁判では軍人と政治家が負ったことになった。思想家としては大川周明を予定したが、精神病で訴追されなかった。
清沢洌が生きていれば、まず徳富蘇峰を挙げたかもしれない。清沢は『暗黒日記』の中で蘇峰を「大東亜戦争の責任者」と明確に規定していた。
徳富蘇峰 78歳
誇らしげに「本校を校閲しつつある際、…」の意味は、彼は大詔の文案作成に自らが関わっていたことを暗に言っているのだ。
赤松貞雄『東条秘書官機密日誌』(文芸春秋)には、「東条は用意周到の人らしく…宣戦の大詔案を熱海に静養していた徳富蘇峰に見せて、その修正を依頼している。11月中旬のことである」と記されている。
徳富蘇峰は大詔の文案に自分が関わったことを、たぶん戦後になって発表したのだろう。
宣戦詔書の文案を事前に民間人に見せていた事を戦前の軍国政権が許す筈がない。
余談だが、11月中旬ならば、日米交渉をしながら真珠湾奇襲を計画していた!ことになる。
終戦という名の「敗戦」に対する蘇峰の感想を未だ見ていない。出会うことを期待している…。
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