この種の“政治”は「公のふりをして私を実現する」こと。典型例は加計問題かな。特区制度という公を使って、私的友人の便宜を図る。
はじめ横綱の傷害事件を何かに利用しようとしている貴乃花という構図がマスコミに持ち込まれた。彼の変な恰好や沈黙がそれを臭わした。
つぎに評議員という元政治家、元NHK会長が強引に割り込んで黒白付けようとする。彼らは事実を正確に知っているのか?誰かの依頼で動いているとしか思えない。まさに政治屋という御商売か。
でも、物事を単純化すれば、横綱の暴力は確かにあったという。そして、その場には角界三横綱が勢ぞろいしていたという。しかも、ほぼ全員がモンゴル人であるという。今やモンゴル人あっての相撲協会でもある。
誰もが想像できること、想像したいこと。その目を塞ごうとしている。それが誰なのか、そういう時にこそ政治屋やマスコミが暗躍する。近ごろ、この國ではよくあること。
確かにこの方の行動に一般的ではない部分が散見されること否定するわけではありませんが、外国生まれの方も、国内生まれの方も、往時の貴乃花のようなオーラが欠如しているのに、内輪で、場所前に集まって酒をしこたま飲み、一体そこで何の話しているの?、こちらの点を言いたくなります。真剣勝負じゃないのかよ?と。
こういう事件でもないと、盛り上がらない大相撲とは、なんとも寂しいものです。