<ヨハネによる福音書1:1-14>
私たちは相対的な存在であり、
絶対的な存在に自分を照らされる時に自分を理解します。
ヨハネによる福音書いは
その絶対的存在を「言」と呼びました。
この「言」は神の許にあって
私たち人間には確認できないものでしたが、
イエスがそれを示してくださり、
私たちもこの「言」によって裁かれるのではなく
愛され救われることを明らかにしてくださったのです。
神の「言」が人となったことを感謝し
喜びを共に分かち合って祝うのが降誕日です。
司祭 ヨハネ小野寺達
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私たちは相対的な存在であり、
絶対的な存在に自分を照らされる時に自分を理解します。
ヨハネによる福音書いは
その絶対的存在を「言」と呼びました。
この「言」は神の許にあって
私たち人間には確認できないものでしたが、
イエスがそれを示してくださり、
私たちもこの「言」によって裁かれるのではなく
愛され救われることを明らかにしてくださったのです。
神の「言」が人となったことを感謝し
喜びを共に分かち合って祝うのが降誕日です。
司祭 ヨハネ小野寺達
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