<ヨハネによる福音書20:19-31>
弟子たちにお姿を現したイエスの体と手足には生々しい傷跡がありました。
それは、人々の罪のしるしです。
日本には「水に流す」という言葉がありますが、
神の赦しとは「何でも水に流してなかったことにする」無節操な赦しではなく、
我が身を傷めてなお人を生かすため仕えるところに現れるのです。
イエスの十字架の御傷が私の罪のためであるという自覚が
イエスの赦しを我が事として受け入れる前提です。
私たちが神の愛と赦しを受け入れないのであれば、
イエスの御傷は痛み続けていると考えられます。
司祭 ヨハネ小野寺達
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弟子たちにお姿を現したイエスの体と手足には生々しい傷跡がありました。
それは、人々の罪のしるしです。
日本には「水に流す」という言葉がありますが、
神の赦しとは「何でも水に流してなかったことにする」無節操な赦しではなく、
我が身を傷めてなお人を生かすため仕えるところに現れるのです。
イエスの十字架の御傷が私の罪のためであるという自覚が
イエスの赦しを我が事として受け入れる前提です。
私たちが神の愛と赦しを受け入れないのであれば、
イエスの御傷は痛み続けていると考えられます。
司祭 ヨハネ小野寺達
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