平成10年に初版が出された「ノストラダムス・最終解答編」に目を通したのは購入直後と2年前。それに今回。
読む度に「発見」があるというか、著者の解釈が時間の経過とともに検証できたり、いまでこそ相応しい解釈が出来そうに思えたり(読者の立場ながら)、なかなかしゃぶりつくせる本だ。
この五島勉さんのノストラダムスの大予言シリーズ。買ったり立ち読みしたり、全部とは言わないが5〜6冊は目を通しているけれど、手元に残してあるのはこれのみ(たぶん。或いはダンボールにもっと眠っているかも?)。そのチョイスは間違っていなかった・・・といずれ思うことになるかどうか?
ことにこの本では、生前のノストラダムスとも縁があったと思しきフランスの教会の後継組織の関係者と接触し、アドバイスをもらう場面がある。実際にあったことなのかフィクションなのかわからないけれども、読み物としてもその辺はスリリングで面白い。
ノストラダムスの究極の詩だと指摘され、解釈上の注意を直接受けた詩の日本語訳は
逃げよ逃げよ、すべてのジュネーヴから逃げ出せ
黄金のサチュルヌは鉄に変わるだろう
巨大な光の反対のものがすべてを絶滅する
その前に大いなる空は前兆を示すだろうが
というもの。
その4行目の頭の「その」(指示語)。実際は「主の来臨」を意味する単語を敢えて指示語として隠している?解釈が多いそうで、著者の訳もそれを踏襲していたらしい。
つまりキリストが再びやってくるというキリスト教徒にとっては凄いイベントに関する詩ということで、「究極だ」という指摘を受けたそうな。ふむふむ(キリスト教徒ではないので、「ふ〜ん、さようですかい・・・」という感想しかないが)。
むしろ、ここ数年の時事ネタをふまえてみると、「ジュネーヴから逃げ出さないと絶滅する」という全体の文面の流れ方がよほどセンセーショナルである。
ジュネーヴには某国際機関の本部がある。現在そのトップをやっているのは、一昨年からニュースにもよく出てきた人相的にはどう観ても悪人面している輩。
そんな奴がトップに座ってる(座らされてる?)組織の口車に乗っていたら、人類絶滅しちゃいちゃいかねませんよ!・・・とダイレクトに解釈できちゃうのが3行目までの流れだから、ノストラダムスは2020年から先の今後の流れも見通した上で、上記の詩を残したのかも・・・と素人解釈したくなったりもする。
その内容を「イエス再臨」暗示とセットにしているということは、それだけ重要なのだと強調しているのではないか?・・・とも。
今回ノストラダムス本をまた読む気になったのも、何か無意識レベルからの衝動に突き動かされた末のことだと思うが、いったいどうなんざんしょ。
極東アジアに関する予言などはリアリティさが乏しいゆえに大目に見てあげるべきかもしれぬけれど、ヨーロッパ、中でも隣のスイスの都市が出てくる詩なら、未来予知の精度の度合いも少しは高いのではあるまいか?
読む度に「発見」があるというか、著者の解釈が時間の経過とともに検証できたり、いまでこそ相応しい解釈が出来そうに思えたり(読者の立場ながら)、なかなかしゃぶりつくせる本だ。
この五島勉さんのノストラダムスの大予言シリーズ。買ったり立ち読みしたり、全部とは言わないが5〜6冊は目を通しているけれど、手元に残してあるのはこれのみ(たぶん。或いはダンボールにもっと眠っているかも?)。そのチョイスは間違っていなかった・・・といずれ思うことになるかどうか?
ことにこの本では、生前のノストラダムスとも縁があったと思しきフランスの教会の後継組織の関係者と接触し、アドバイスをもらう場面がある。実際にあったことなのかフィクションなのかわからないけれども、読み物としてもその辺はスリリングで面白い。
ノストラダムスの究極の詩だと指摘され、解釈上の注意を直接受けた詩の日本語訳は
逃げよ逃げよ、すべてのジュネーヴから逃げ出せ
黄金のサチュルヌは鉄に変わるだろう
巨大な光の反対のものがすべてを絶滅する
その前に大いなる空は前兆を示すだろうが
というもの。
その4行目の頭の「その」(指示語)。実際は「主の来臨」を意味する単語を敢えて指示語として隠している?解釈が多いそうで、著者の訳もそれを踏襲していたらしい。
つまりキリストが再びやってくるというキリスト教徒にとっては凄いイベントに関する詩ということで、「究極だ」という指摘を受けたそうな。ふむふむ(キリスト教徒ではないので、「ふ〜ん、さようですかい・・・」という感想しかないが)。
むしろ、ここ数年の時事ネタをふまえてみると、「ジュネーヴから逃げ出さないと絶滅する」という全体の文面の流れ方がよほどセンセーショナルである。
ジュネーヴには某国際機関の本部がある。現在そのトップをやっているのは、一昨年からニュースにもよく出てきた人相的にはどう観ても悪人面している輩。
そんな奴がトップに座ってる(座らされてる?)組織の口車に乗っていたら、人類絶滅しちゃいちゃいかねませんよ!・・・とダイレクトに解釈できちゃうのが3行目までの流れだから、ノストラダムスは2020年から先の今後の流れも見通した上で、上記の詩を残したのかも・・・と素人解釈したくなったりもする。
その内容を「イエス再臨」暗示とセットにしているということは、それだけ重要なのだと強調しているのではないか?・・・とも。
今回ノストラダムス本をまた読む気になったのも、何か無意識レベルからの衝動に突き動かされた末のことだと思うが、いったいどうなんざんしょ。
極東アジアに関する予言などはリアリティさが乏しいゆえに大目に見てあげるべきかもしれぬけれど、ヨーロッパ、中でも隣のスイスの都市が出てくる詩なら、未来予知の精度の度合いも少しは高いのではあるまいか?