Praise the Lord!

聖書のことばを通して、生活の中で示されたことやインスピレーションが与えられたことをつらつらと書き記しています。

いいね! がつかなくとも:評価を気にせず

2019年07月19日 | 日記
 先日、読んではっとさせられる絵本「たいせつなきみ」マックス・ルケード著に出逢いました。内容は、木で造られた小人の世界の話です。その小人の村では毎日、互いに体にシールを貼りあっています。それは星シールとダメシール。星シールは、「あなたは素晴らしい!」、「いいね!」と他の小人が評価したとき体にはられ、ダメシールは失敗をしたり、見た目が悪かったり、他の小人と同じでないと「あなたはだめな小人だ!と」だめシールを貼られます。主人公はいつもダメシールを貼られ、自己嫌悪になり、自分は価値がないと卑屈になります。ある日、彼は一人だけ体に何のシールも貼られていない小人に出逢います。理由を聞くと「エリに会いに行っているからよ」と。

 エリとは、村の丘の上に住む、村のすべての木の小人を創った彫刻家。そして、主人公はエリに会いに行き、エリと話しをします。エリは主人公に、互いにシールを貼り合うことがどんなに意味がないことかを説明します。なぜなら、造ってくれたエリが、一つ一つの小人を異なって作ったので、他の小人がおまえをどう思うか、気にすることはないと。気にするからシールがくっつくと。「大事なのは、このわたしがどう思うかなのだ。わたしはおまえのことを、かけがえのない宝だとおもっているのだよ。」「時間がかかるけど、私のところに毎日会いに来れば、私がどんなにおまえのことを大切におもっているか、気づいていけるようになるよ」と言われます。そのことばに励まされた小人。すると、体にたくさん貼れているダメシールが、一枚だけぽろっとはがれていきます。

 この話は、全部で6話構成となっていて、これは最初の一話ですが、私はいまだに、星シールとダメシールを貼り合っている習慣に対して、正直に向き合わず、ほおっておき、よって心がかえられてない、未だに縛られていて自由でないと改めて気付かされたからです。頭では、キリストを信じる信仰を与えられ、聖書を読んで、人と比較することの無意味さ、神様に目を向けて、神様に仕えて行こうと思っていたのですが、実際、特に教会の人間関係のなかで、人の評価を気にして奉仕している時があります。しかし、そこには喜びがなく「ああ、また失敗してしまった。」「こう思われるのではないか。」「こう言われるのではないか」と、頭なのなかでくるぐる考えてしまい、本当に疲れます。初心に戻ろうと励まされました。

 一人一人が神様に創られた大切な存在。神様の与える恵みというのは、その人が何か才能があって仕事ができる人、性格がよい人、人徳がある人、神を信じている人だけに与えられるものではないのです。それは”全ての人”に対して与えられる救いの恵だからです。その証拠は、このような愚かな行動をしている、この小人のような、欠けがあり、それでいてプライドが高くてすぐ傷つき、いじけてしまう自分を救うために、神の子、イエス・キリストが命を犠牲にしてまで十字架で死んで下さったことだと聖書に記されています。そして自分の存在価値は、人が決めるものでもなく、自分で決めるのではない、神様がどう、自分を思うかで、それはイエス様の十字架で示された愛によってわかります。どれほどわたしたち人間を価値あるものとして愛し、正しい道に導こうと、命が心に与えられるようにして下さったのです。このことを信じられるのは、幸いです。私も、毎日エリ(ちなみに、エリとはヘブル語で”神”の意味)に会い、この愛をおもいださなければと思います。徐々に、人からの評価や、SNSでいいね!がつかなくとも気にせず、人と比較せず、神様の愛に応答して、何をするにしても神様の為に喜んでしようと心が変えられていきたいと願います。 
 

「しかし、恵みによるのであれば、もはや行いによるのではない。そうでないと、恵みはもはや恵みでなくなるからである。」 ローマ人への手紙11章6節 (聖書のことばより)

*「たいせつなきみ」マックス・ルケード著、“You are special”Max Lucado、
翻訳:ホーバード豊子 出版社:いのちのことば社フォレストブックス, 2007