Praise the Lord!

聖書のことばを通して、生活の中で示されたことやインスピレーションが与えられたことをつらつらと書き記しています。

平和の願いを込めた折り鶴

2019年06月14日 | 日記
 先日、一年間の日本での駐在を終えて帰国する、インド人家族の送別会を開くため教会に有志で集まりました。食事を共にしながらとても和やかな会となりましたが、最後に夫が「折り鶴をみんなでおりましょう」と提案しました。このインド人の方々は折り紙自体を見るのが初めてで、それを用いて鶴を作ることにとても驚いていました。折り鶴は、日本では平和のシンボルとされているとも説明し、皆で作った折り鶴を日本の記念として彼らにプレゼントしました。

 アメリカ合衆国の元大統領のオバマ氏が、2016年5月に広島平和記念資料館を訪れた際、4羽の折り鶴を持参し、2羽を広島の子ども達へ渡し、もう2羽を記帳台に置いたそうです。おそらく、日本の文化を配慮した上での平和を祈願して行った行為だと察します。その3年後、現在の大統領が国賓として来日しましたが、その際自衛隊に高額な兵器を売りつける交渉がなされたとのことです。折り鶴と兵器。同じ一国の大統領が携えて来るものとして、なんと対照的でしょうか。

 シャローム。これはイスラエル人が「こんにちは」・「さようなら」の挨拶として、日常的に交わされていることばで、ヘブライ語で”平和”を意味することばです。イエス・キリストも弟子たちを伝道旅行に送り出す際に、「その家に入ったら、『平和があるように』と挨拶しなさい。」*1 と指示されました。つまり、イスラエル民族は、昔から挨拶のことばに、相手の平和を願う祈りが込められているようです。これは、この民族が祝福、恵み、平和というのは神様が与えるものだということを知っていて、それを互いに願うという、宗教的背景からきているのでしょう。

 自分の愛する肉親を、ナチの強制収容所で殺され、自身だけは奇跡的に収容所から生きて出られたコーリン・テン・ブームというオランダ人の女性がいました。彼女は戦後、その信仰により、キリストが与える愛を持つ人として、元収容所の看守を赦すことができたという証を彼女の自伝*2 より知りました。最初、彼女の目の前にその元看守が現れた時、怒りの感情、赦せない心が沸き起こったそうですが、不思議に神の愛が注がれて、その元看守に握手の手を差しだし、赦せたそうです。これは彼女の意志の力ではなく、キリストによる平和が恵みとして与えられたから可能だったのでしょう。このように、キリストを信じる信仰により、敵対していた関係が和解の関係へと奇跡的に変えられていくという証が世界中で起きていて、それを聞くにつけ、個々人の平和は可能なのだと励まされ、慰められます。

 人は誰でも平和・平安を願う心を持っているはずです。しかし、互いの利害が相反したり、大切な人の命を奪われると、争う状況や相手を赦せなくなります。この社会で生きている限り、いつも平和な心を自分の意志だけで保ち続けることは限界があるのではないでしょうか。 しかし各々がキリストを通して与えられる平和があるようにと、互に祈りあえれば、きっと平和が実現すると私は信じます。なぜなら、キリストこそが平和であり、十字架の死によって、まず人が神と和解できるようにして下さり、その平和が、コーリーのように、人同士の平和に及んでいくことが可能だからです。相手を赦せると、自身の心に平安がもたらされるという、キリストの平和を経験する人が増えていくことを願いつつ。
                                                                        
「互に忍びあい、もし互に責むべきことがあれば、ゆるし合いなさい。主もあなたがたをゆるして下さったのだから、そのように、あなたがたもゆるし合いなさい。これらいっさいのものの上に、愛を加えなさい。愛は、すべてを完全に結ぶ帯である。キリストの平和が、あなたがたの心を支配するようにしなさい。 」  コロサイ人への手紙3章13-15節


*1 マタイによる福音書10章12節
*2 Corrie ten Boom,"The hiding place",日本語訳「わたしの隠れ場」,いのちのことば社