心と身体がよろこぶ“気功養生”

「養生気功塾」のお知らせ、気功の魅力、気功養生法、気功の生活術をメインに、日々のあれこれも書いています。

立夏(りっか)

2013-05-03 07:34:53 | 季節の話(二十四節気他)

 5月5日は「立夏」です!

いよいよ夏になりますね!

夏の始まり、「初夏」と聞くと爽やかな季節というイメージではないでしょうか?

 

日照時間も長くなってきています・・・。

気持ちよく過ごしやすい時期かもしれませんね。

もうちょっとすると梅雨になり、暑い夏になり・・・と季節は移っていきます。

今のこの時期を楽しみましょう~!

 

 いつものように二十四節気養生さまより 

 5月5日是农历的立夏。此时,“斗指东南,维为立夏,万物至此皆长大,故名立夏也。”此时太阳黄经为45度,在天文学上,立夏表示即将告别春天,是夏日天的开始。人们习惯上都把立夏当作是温度明显升高,炎暑将临,雷雨多,农作物进入旺季生长的一个重要节气。立夏后,是早稻大面积栽插的关键时期,而且这时期雨水 来临的迟早和雨量的多少,与日后收成关系密切。农谚说得好:“立夏不下,犁耙高挂。”“立夏无雨,碓头无米。”民间还有畏忌夏季炎热而称体重的习俗,据说这一天称了体重之后,就不怕夏季炎热,不会消瘦,否则会有病灾缠身。江西一带还有立夏饮茶的习俗,说是不饮立夏茶,会一夏苦难熬。早在古代的君王们也常在夏季初始的日子,到城外去迎夏,迎夏的日子就是立夏日。

   《礼记·月令》篇,解释立夏曰:“蝼蝈鸣,蚯蚓出,王瓜生,苦菜秀。”说明在这时节,青蛙开始聒噪着夏日的来临,蚯蚓也忙着帮农民们翻松泥土,乡间田埂的野菜也都彼此争相出土日日攀长。清晨当人们迎着初夏的霞光,漫步于乡村田野、海边沙滩时,你会从这温和的阳光中感受到大自然的深情。

  《素问·四气调神大论》曰:“夏三月,此谓蕃秀;天地气交,万物华实”。夏三月是指从立夏到立秋前,包括立夏、小满、忙种、夏至、小暑、大署六个节气。立夏、小满在农历四月前后,称之为孟夏(夏之初),天气渐热,植物繁盛,此季节有利于心脏的生理活动,人在与节气相交之时故应顺之。所以,在整个夏季的养生中要注重对心脏的特别养护。《医学源流论》曰:“心为一身之主,脏腑百骸皆听命于心,故为君主。心藏神,故为神明之用。”在中医文献中对心解释为血肉之心和神明之。血肉之心即指实质性的心脏;神明心,是指接受和反映外界事物,进行意识、思维、情志等活动的功能。《医学入门》曰:“血肉之心形如未开莲花,居肺下肝上是也。神明之心……主宰万事万物,虚灵不昧是也。”

  心的生理功能:主血脉,主神志。心主血脉包括了主血、主脉两方面。血指血液,脉指脉管,又称经脉,是血液运行的通道。心脏和脉管相连,形成一个密闭的系统,成为血液循环的枢纽。心脏不停地跳动,推动血液在全身脉管中循环无端,周流不息,成为血液循环的动力。而血液运载的营养物质能供养全身使五脏六腑、四肢百骸、肌肉皮毛以及整个全身都得到营养,以维持其正常的生理功能。心脏功能正常则脉象和缓有力,节律均,面色红润光泽;若心脏发生病变,则会出现血流不畅,脉管空虚而见面色无华,脉象细弱无力,气血瘀滞,血脉受阻而见唇舌青紫,心前区憋闷和刺痛,脉象结、代或促、涩。

  主神志,既是心主神明,有称心藏神。所谓的神,中医学对其有广义和狭义之分。广义的神,是指整个人体生命活动的外在表现,它涵概了人体的形象、面色、眼神、言语、应答、肢体活动的姿态等;而狭义的神,即心所主之神志,多指人的精神、意识、思维活动等。神的形成在藏象学中认为,精气是构成人体和维持机体生命活动的物质基础,也是产生神的物质基础。神由先天之精气所化生,胚胎形成之即,生命之神也就产生了。在人体生长发育过程中,神依赖于后天水谷精气的充养,正如《灵枢·平人绝谷》中所说:“神者,水谷之精气也。”心主神志得生理功也包含了两个方面。一,在正常情况下,神明之心接受和反映客观外界事物,进行精神、意识、思维活动;其二,神明之心为人体生命活动的主宰,在脏腑之中居于首要地位,五脏六腑皆在心的统一指挥之下,才能进行统一协调的正常活动。

  心的生理特性表现出:其一,心为阳脏而主阳气。也就是说心为阳中之太阳,心的阳气能推动血液循环,维持人的生命活动,使之生机不息,故喻之为人身之“日”。《医学实在易》称:“盖人与天地相合,天有日,人亦有日,君父之阳,日也”。心脏的阳热之气,不但维持了本身的生理功能,而且对全身有温养作用。“心为火脏,烛照万物”故凡脾胃之腐熟运化,审阳之温煦蒸腾,以及全身的水液代谢、汗液的调节等等,都与心阳的重要作用分不开;其二,心与夏气相通应。即人与自然界是一个统一的整体,自然界的四时阴阳消长变化,与人体五脏功能活动是相互关联、相互通应的。心通于夏气,是说心阳在夏季最为旺盛,功能最强。

  立夏节气常常衣单被薄,即使体健之人也要谨防外感,一旦患病不可轻易运用发汗之剂,以免汗多伤心。老年人更要注意避免气血瘀滞,以防心脏病的发作。故立夏之季,情宜开怀,安闲自乐,切忌暴喜伤心。清晨可食葱头少许,晚饭宜饮红酒少量,以畅通气血。具体到膳食调养中,我们应以低脂、低盐、多维、清淡为主。

 

日本語

5月5日は旧暦の立夏である。この日は「斗が南東を指すと、これは立夏であり、万物はこれで全て成長し、ゆえに立夏と名づけられる」。この日になると、太陽の黄経は45度となり、天文学から見ると、立夏は間もなく春に別れを告げ、夏の日の始まりであることを示している。人々は習慣的には立夏を気温が明らかに高くなり、酷暑が訪れ、雷と雨が多くなり、農作物が生長の最盛期に入る重要な節気であると見なしている。立夏は、早稲の大面積の田植えをおこなう重要な時期であり、そしてこの時に雨の降るのが遅いか早いか、そして降水量の多少は、その後の収穫と密接な関係がある。農作業には「立夏になると、雨が降らないならば、すき、まぐわが高々と掛けられる」。「立夏に雨がなければ、唐臼には米がない」ということわざがある。民間には夏季の蒸し暑さを恐れて体重をはかる習わしがあり、聞くところによると、この日は体重をはかってから、夏季は蒸し暑さを恐れず、やつれることにならず、さもなければ病気や災いが身につきまとうことになる。江西省の一帯には立夏になるとお茶を飲む習わしがあり、言い伝えによると、立夏にお茶を飲まないならば、夏の苦しみに耐えられなくなる、ということである。早くから古代の帝王たちもしばしば夏季の始まる日に、城の外へ夏を迎えに行った。夏を迎える日は立夏の日である。

 『礼記・月令』篇は立夏について、「ケラとキリギリスが鳴くと、ミミズが姿を現わし、キュウリが生長し、ノゲシが穂を出す」と述べている。この時になると、トノサマガエルが夏の日の到来を告げて声を立て始め、ミミズもせわしく農民たちが土をすき起こすことを助け、田舎のあぜ道の野草が毎日競い合って伸びることを物語っている。明け方になると人々が初夏の朝焼けを迎え、田畑、野原、海岸の砂州をそぞろ歩く時、人びとはこの温和な日光の中で大自然の深い情を感じ取ることができる。

 『素問・四気調神大論』には、「夏の3カ月になると、繁茂にして穂を出すといわれ、天と地の気が交わり、万物は花が咲いて実を結ぶ」とある。夏の3カ月は立夏から立秋の前までのことを指し、これには立夏、小満、芒種、夏至、小暑、大暑の6つの節気が含まれる。立夏、小満は旧暦の4月前後にあたり、孟夏(夏の初め)と称し、天気がだんだん温かくなり、植物が生い茂り、この季節は心臓の動きに役立ち、人間は節気と交わる時はそれに順応すべきである。そのため、夏季全体の養生の中で心臓を特に大事にすることを重視しなければならない。『医学源流論』には「心は全身の主であり、臓腑などは全て心の命ずるところに従い、ゆえに君主である。心は神を隠し、ゆえに神明の用である」とある。漢方医学の文献の中の心についての説明は血肉の心と神明の心である。血肉の心はつまり実質的な心臓のことを指す。神明の心は外部の物事を受け入れ、それを反映し、意識、思惟、情・志などの活動を行う機能を指す。『医学入門』には「血肉の心は形が未開の蓮の花のごとしで、肺の下、肝臓の上にある。神明の心は……万事、万物を支配し、仮想的で精神的なものである」とある。

 心の生理的機能は血と脈をつかさどり、神と志をつかさどる。心は血、脈をつかさどるのは血をつかさどり、脈をつかさどる2つの側面を含むものである。血は血液のことを指し、脈は血管のことを指し、経脈とも言われ、血のめぐる通路である。心臓は血管と相連なり、密閉したシステムを形成し、血液循環のセンターとなっている。心臓はひっきりなしに脈打って、血液が全身の血管の中で循環することを促し、止まらないように流れ、血液循環の原動力となっている。血液の運ぶ栄養物質は全身に供され、五臓六腑、手足、筋肉、皮膚、毛および全身に栄養を得させることができ、それによってその正常な生理的機能を維持するのである。心臓の機能が正常であれば脈拍の状態が和らいで力強く、リズムもむらなく、顔色は赤くてつやがあり、もし心臓に病理の変化が生ずるならば、血の流れが滞り、血管が空虚になり顔に血色がなくなるのを目にし、脈拍は弱くて力がなく、気、血が滞って、血管は妨げられて唇が青紫色になり、むしゃくしゃして心室が刺されるように痛み、脈拍の状態は強、弱あるいは速い、遅いの違いが見えてくる。

 神と志をつかさどるのは、つまり心は神明をつかさどり、心臓の神とも言われる。いわゆる神は、漢方医学はそれに対して広義と狭義の違いがある。広義の神は、人の体全体の生命活動の外在的な表われを指し、それは人の体のイメージ、顔色、目つき、言葉、応答、身体活動の姿などを含むものである。狭義の神は、つまり心のつかさどる神と志であり、多くの場合人の精神、意識、思惟活動などを指す。神の形成は内臓状態学の中で、精、気は人体を構成し、体の生命活動を維持する物質的基礎であり、神をつくる物質的基礎でもあると見ている。神は先天的な精、気から化するものであり、胚胎が形成するその時に、生命の神は生んだ。人体の生長発育の中で、神は後天の水、穀物の精、気の補充と養生に依存し、正に『霊枢・平人絶古』の中で書かれているように、「神という者は、水、穀物の精、気である」。心は神と志をつかさどるのは生理の機能を得て次の2つの側面を含むものである。1、正常な状況の下で、神明の心は客観的な外部の物事を受け入れ、それを反映し、精神、意識、思惟活動を行う。2、神明の心は人体の生命活動を支配する者であり、臓腑の中で最も重要な位置を占め、五臓六腑は全部心の一元的指揮の下にあり、統一して調整する正常な活動を行うものである。

 心の生理的特性の表われは次のとおり。その1として、心は陽の臓であって陽の気をつかさどる。つまり心は陽の中の太陽であり、心の陽気は血液の循環を促し、人の生命の活動を維持し、生命力を止めることがない。そのため、人の体の「日」であるとたとえられている。『医学実在易』は、「人と天地の結合だからであり、天に日があり、人も日があり、君、父の陽は、日である」と称している。心臓の陽、熱の気は、みずからの生理的機能を維持するばかりでなく、そして全身を温かく養う作用がある。「心は火の臓であり、万物を明るく照らす」。ゆえに凡そ脾臓、胃の腐熟、運動、変化は、陽の温暖と上昇および全身の水・液体の代謝、汗の調節などを知り、いずれも心の陽の重要な作用と分けることはできない。その2は、心と夏の気は通じ合っている、ということ。つまり人と自然界は統一したトータルなものであり、自然界の四季・陰陽の消長・変化は、人体の五臓の機能と互いに関連し合い、互いに通じ合うものである。心は夏の気に通じ、心の陽が夏季においては最も盛んであり、機能が最も強いことを物語っている。

 立夏の節気はしばしば衣服と掛け布団が薄くて、体が丈夫な人であっても風邪を予防しなければならず、病気になると発汗の剤を簡単に使うことができず、汗が多く出て心を傷つけることを免れるのである。高齢者は気、血の滞りを免れることに更に注意しなければならない。これは心臓病の発症を防ぐためである。ゆえに立夏の季節は、情心ゆくまで、気楽に笑い、粗暴さ、喜び、悲しみをぜひ避けねばならない。明け方にタマネギを少し食べてもよく、夕飯には赤ワインを少し飲み、気、血を通じさせる。具体的な食による養生については、わたしたちは脂肪の少ない、塩分の少ない、ビタミンを多く含んだ、あっさりしたものを主とすべきである。

 

 


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