お泊り里帰りの姫孫さん。朝ご飯を食べるのも、ジジの横にちょこんと座る。ご飯が終わるとすかさずジジとのお散歩をおねだり。
先ずは近くの団地公園に走り、ブランコに数分。そしていつもの狭い田舎道を並んで歩く。
「じいちゃん、この花なんていうの?」エッ?この花の名前をしらないの?と喉まで出たところを抑えた。それは蓮華の花である。よく考えてみると、知らないのも無理はない。この頃では春になっても蓮華を咲かせる田んぼなどどこにもない。ましてや田んぼを見ることさえない街中暮らしの孫にしてみれば、蓮華の花など知るよしもない。
ど田舎に住むジジでさえ、蓮華咲く春の田んぼを駆け回ったのは子供のころの話で、今は稲刈り後の株はそのまま田植えが近づくまでほったらがし。草を生やさない農薬の発達で、蓮華も一緒に根絶やしにされたのであろうか。
運良く数本の蓮華があぜ道に咲いているのを摘み取って「花束を作るの」「誰にあげるの」「理恵ちゃんに」。理恵ちゃんとは、近々結婚するお母さんの妹である。蓮華に菜の花、名も知らぬ紫の花や終いにはぺんぺん草の白い花まであしらって、なんとか小ぶりの花束が出来上がった。昼から届けるのだと張り切っていた。
こんな体験は、同じ孫でも姫孫ならでは話である。如何にも優しくてほのぼのした思いやりと、愛らしい発想に慰められる。これまで孫三兄弟との付き合いが長いので、男児の腕白は道の小草まで嫌うと言われる荒々しさとはえらい違いである。ババが仕上げてくれた小さな手作り花束を受け取った理恵ちゃんが「有り難うのぞみちゃん」と言って幸せになってくれることを願っている。
名も知らぬ路傍の花を束にして、幸せ祈る乙女の心。届いて欲しいものだ。