子どもたちの夏休みが終わりに近づくころになると、なんとか無事に二学期を迎えて欲しい、元気に登校を始めて欲しいと願う気持ちが強くなる。
私自身の5人の孫のうち4人が新学期を迎えるという身内事情もあるが、地元の小学校では夏休みには竹細工教室も行い他人様の児童と触れ合って来た。つい先日は二学期に備えて、二つの小学校で環境整備作業と言う樹木の剪定や草刈りなどに地域活動として住民がこぞって汗を流してもきた。そんな事情もあって、うちの子よその子関係なしに「元気な笑顔の二学期を」期待する。
そんな中で二学期を目前に児童の痛ましい事故が起きた。夏休み終盤のお楽しみイベントのはずであった夏休み体験教室ウオータースライダーによる児童同士の衝突事故で、尊い命が奪われた。運営した自治体の監督責任が厳しく問われている。一緒に参加したはずの親はどんな立ち位置だったのだろう。
夏休みに帰省する孫の一番の目的は、すぐ近くの海の公園に行って数時間を見ずと戯れることである。
運転手兼お菓子や飲み物のスポンサー兼安全監視役のジジは責任重大である。時計片手に水分補給の設定も。いっときだって居眠りなどしちゃいられない。相手は海にはしゃぐ命知らずなのである。自分で行動して疲れるのとは違う数倍の疲れを感じるのが監視役の宿命である。
子どもは遊びに夢中になる。夢中になれば我を忘れる、注意も警告も耳に入らなくなる。そんな中でも本気で子どもを守り、コントロールすのは誰か。珍しい遊びに夢中になる複数の子どもを、少人数の主催者や担当者だけに任せていいのか。保護者はどこまで介入すべきなのか。考えてみたいものだ。
竹細工教室の時も「安全に妥協は無し」という掛け声で指導者を励ました。のこぎり・切り出しナイフ・ナタやキリなど普段使わない危険な工具を使うのだから、ケガは隣り合わせ。それでもけがをする危険な行為には大声出してでも止めなさい。それは児童を守ることであり、竹細工教室に理解を示す学校を守ることでもある。そして、一度はそういう危険を伴う工具の使い方を教え、自分の手で作品に仕上げる達成感を味合わせてあげたいと願うのである。
ケガをさせたら全てが終わる。来年の開催も危うくなる。そんな危機感をもって子どもたちの笑顔を求める地域活動もあるということ。