10/2(日)瀬戸内しまなみ海道3日目。今日のコースは、瀬戸田会場から生口橋~因島フラワーセンター~因島大橋~向島~(渡船)~尾道会場までの約32km。
7:10今治駅前から専用バスで昨日のゴール地の瀬戸田会場に8:05到着。受付を済ませウォーキング開始。早い方は、7:00にスタートしているそうです。
8:10 スタート。今日は久留米の〇田さんと一緒に歩きます。
おいしいジェラート屋さんは、まだ開店していません。
4年前この大会に参加したときは、工事中だった建物が完成していました。「逸心楼」と書いてあります。
表札がありましたが、(写真を加工しています)地元の船体ブロック製造会社オーナーの家です。
名荷橋に三重塔が描かれています。長命寺のことかな?
生口橋に向かいます。生口橋は、生口島と因島を結ぶ全長790mの斜張橋です。
渡ると因島です。スタートから約9km。あと22kmまだまだ先が長いです。
ゴールまであと20km(長いな~)
万田酵素に来ました。最初ここを歩いたときは、接待所がありましたが、今は何もありません。
歩いているとたくさんの鳥の声がします。なんと20羽ぐらいのインコがいました。
因島の島名の由来は、本州から見ると向島、岩子島、細島、佐木島によって隠されているので「穏の島」→「因島」。また他では、因島は、後白河院の荘園だったことから
院の島→因の島→因島になったそうです。(因島観光ナビより)
大きな道から右折すると、旧道でしょうか?昔ながらの家並みが残ります。
標高226メートルの白滝山は、もともと修験者の修行の場でした。
永禄12年(1569年)因島村上水軍6代当主、村上新蔵人吉充が布刈瀬戸の見張りどころとして観音堂を建立したと伝えられています。
江戸時代後期、重井の豪商 柏原伝六(1780~1828年)が、神道、儒教、仏教に加え、当時禁制の基督教の四大宗教の共通理念を基礎に『一観教』を開き、白滝山上に清浄世界をあらわそうと、
石像群の五百羅漢を弟子 柏原林蔵や尾道の石工たちとともに刻みました。文政10年(1827年)発願し、3年後の文政13年(1830年)完成しました。
しかし伝六は、その途中、一揆を怖れる広島藩により文政11年(1828年)毒殺されました。
いま、仁王門から山頂まで大小約700体の石像仏群がところ狭しと並んでいます。山頂の展望台からは360度、瀬戸内の大パノラマを楽しめます。
その眺めのすばらしさに、歌人 吉井勇は
“白滝の山に登れば眼路広し
島あれば海 海あれば島”
と詠んでいます。(因島観光ナビより)
チェックポイントは、因島フラワーセンター。以前は、ここでお弁当などを販売していましたが、今回は飲み物とキャンディの接待。
因島の花は、除虫菊です。キク科に属する多年草で、60㎝程度に伸びこの先に白い花弁が一列に並んだ花が咲く除虫菊は1983年(昭和58年)に旧因島市の花に制定されました。
かつて因島のトレードマークだった除虫菊は蚊取り線香等の原料として栽培され、5月になると島を真っ白にうめつくしていました。
しかし、化学薬品の普及により、産業としての栽培は終了し、現在は、鑑賞用として島内5カ所で栽培され、広く島民に愛されています。(因島観光ナビ)
確か、和歌山県海南市も除虫菊の産地だと記憶しています。
フラワーセンターからは急坂が続きます。道路の端の畑には、イチジク、柑橘類が栽培されています。
因島大橋まであと2km。因島アメニティ公園には、「因島ザウルス」がいます。
因島アメニティ公園から因島大橋まで長い上り坂です。
因島大橋は、因島と向島を結ぶ1270mのつり橋。
橋は、2階建てになっており、1階が自歩道、2階が車専用になっています。
今日は非常に暑く、飲み物を飲んでもすぐ喉が渇きます。自販機でコーラを買い一気飲みです。
14:50 渡船場に着きましたが、惜しくも前の船が出た後でした。約10分待ち尾道にゴールしました。
案内書にも書いてありましたが、尾道会場では、更衣室がありません。コロナ対策で大変なことはわかりますが、汗臭い服で帰るわけにはいきません。
仕方ないので駅のトイレで着替えをしました。
このあと尾道から福山まで山陽線、福山から新幹線で博多に帰りました。