よっちゃんのおててつないで

よっくんとカブの夫婦ウオーキングブログです。
2018年12月長崎出島~東京日本橋完歩。

群馬・高崎~富岡製糸場へ

2015-10-06 08:41:40 | 日記

10/3から群馬・高崎で行われる「高崎観音ツーデーウオーク」に参加の為、高崎に行ってきました。

福岡空港7:00の飛行機で羽田へ。追い風の影響か、定刻より20分も早く羽田に着きました。

羽田から京急で品川へ。品川からJRに乗り換えようとしましたが、品川駅は、ホームに人があふれ何かあったのか?と思いました。駅員さんに聞くと、JR山手線、京浜東北線が大幅に遅延しているとのこと。

東京駅までだったら日本橋で降りて歩いて東京駅に行った方が速いといわれ、その通りにしました。

日本橋で降りて東京駅に向かうのですが、何せ福岡からでてきた田舎者です。どう行っていいかわかりません。工事現場のガードマンさんだったらわかるだろうと思って聞きますが、この方も地方から出てこられたのか

わからないとのこと。携帯のナビを使い、道行く人に聞きながらやっと東京駅八重洲口に着きました。

   

東京駅から高崎までは、新幹線。同じ乗るなら北陸新幹線がいいかなと思い、新幹線のホームに入りますが、北陸新幹線は、高崎を通過する「かがやき」しか停車していません。

隣のホームには、上越新幹線「とき」。これは、2階建ての新幹線です。※北陸新幹線、上越新幹線は、高崎までは同じで、高崎から上越と北陸に分かれます。

小生、まだ2階建ての新幹線に乗ったことがなく、この2階建て新幹線「とき」に乗車しました。

  

 勿論2階席に乗車しました。狭い階段を上り席へ。自由席ですが、3列シートが2列でした。車内販売は、2階ですのでどうするのか楽しみに待っていましたが、高崎到着までは、来ませんでした。

多分、車内販売用のリフトがありそれで2階に上げるのではないでしょうか?

東京から高崎までは、約50分の乗車時間です。

小生、群馬県に足を踏み入れるのは、生まれて初めてです。

群馬というと、上州や上毛(じょうもう)などと呼ばれていますが、もともとは、下野国とともに毛野国と称したが,のち上下に分かれ,上毛野 (かみつけぬ。上毛とも略する) となり,さらに「上野」(こうずけ)となりました。

他に元旦の実業団駅伝、上州三日月出身の「木枯らし紋次郎」などが有名ですね。

高崎駅で昼食をとり、世界遺産「富岡製糸場」に行きました。富岡製糸場へは、上信電鉄下仁田行に乗ります。※下仁田は、ネギで有名。

  

約50分で上州富岡駅に到着。

 

   

 

   

群馬県では、古くから養蚕。製糸、織物といった絹に関する営みが盛んで、絹産業に関する文化遺産が数多く残っています。これらのうち富岡製糸場、田島弥平旧宅、高山社跡、荒船風穴を構成資産とする

「富岡製糸場と絹産業遺産群」は、平成26年(2014)のユネスコ世界遺産に登録されました。

富岡製糸場では、フランスの技術導入から始まり、日本独自の児童繰糸機の実用化まで製糸の技術革新が絶え間なく行われてきました。

富岡製糸場と絹産業遺産群」は、高品質な生糸の大量生産に貢献した19世紀後半から20世紀の日本の養蚕・製糸分野における世界との技術交流と技術革新を示した絹産業に関する遺産です。

日本が開発した生糸の大量生産技術は、かつて一部の特権階級のものであった絹を世界中の人に広め、その生活や文化を豊かなものに変えました。(富岡製糸場パンフより抜粋)

  

   

富岡製糸場】 明治5年(1872)に明治政府が設立した官営の器械製糸場です。民営化後も一貫して製糸を行い、製糸技術開発の最先端として国内養蚕・製糸業を世界一の水準に牽引しました。

また、田島家、荒船風穴、高山社などと連携して、蚕の優良品種の開発と普及を主導しました。和洋技術を混交した工場建築の代表であり、長さ100mを超える木骨レンガ造の繭倉庫や繰糸場など、

主要な施設が創業当時のまま、ほぼ完全に残されています。

荒船風穴】 明治38年(1905)から大正3年(1914)に造られました。岩の隙間から吹き出す冷風を利用した蚕種(蚕の卵)の貯蔵施設で、冷蔵技術を活かし、当時年1回だった養蚕を複数回可能にしました。3基の風穴があり、

貯蔵能力は国内最大規模で、取引先は全国40道府県をはじめ朝鮮半島にも及びました。

田島弥平旧宅】 通風を重視した蚕の飼育法「清涼育」を大成した田島弥平が、文久3年(1863)に建てた住居兼蚕室です。間口約25m、奥行約9mの瓦葺き総2階建てで、初めて屋根に換気用の越屋根が付けられました。

この構造は、弥平が「清涼育」普及のために著した、「養蚕新論」「続養蚕新論」によって各地に広まり、近代養蚕農家の原型になりました。

高山社跡】 明治16年(1883)、高山長五郎は、通風と温度管理を調和させた「清温育」という蚕の飼育法を確立しました。翌年、この地に設立された養蚕教育機関高山社は、その技術を全国及び海外に広め、

清温育は全国標準の養蚕法となりました。明治24年(1891)に建てられた住居兼蚕室は「清温育」に最適な構造で、多くの実習生が学びました。    (以上、富岡製糸場と絹産業遺産群HPより抜粋)

   

 

 

 

一通り場内を見て廻り、上州富岡駅から今夜のホテル高崎に戻りました。

上州富岡駅では、上州三山の妙義山が見えました。

  

 

 

 

 

 

 

 

 


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6 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
のりちゃん (よっくん)
2015-10-08 14:45:12
そうですか、お父様のお墓が富岡にあるのですか?
富岡製糸場は、駅から徒歩で10分ぐらいの所にあります。私が行った日は、平日でしたが、それでも多くの方が見学に来られていました。
妙義山は、富岡から近いのですね。
一回登ってみたいです。
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Kumasan (よっくん)
2015-10-08 14:41:17
コメント有難うございます。
先月は、長岡、今月は、高崎と中旬から大阪和泉を予定しています。
富岡製糸場は、官営で始まり、それから三井、原、片倉工業と経営が変わりました。
片倉工業の名前は知っていましたが、富岡製糸場を経営していたとは知りませんでした。
日本の産業革命の一端を担っていたのですね。
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堪能しましたか? (のりちゃん)
2015-10-08 09:52:46
上州富岡駅は、父の眠る墓の最寄駅であり、9月のお彼岸に行ったばかりです。
最近は高齢の母を連れて行くため、墓参り後高崎駅近くの行きつけのレストランに行って実家に戻る状況になっているので、たまには富岡製糸場や高崎市内を散策したいなぁ…と、思う状況です。
このブログで、今の様子がよくわかりました。

だるまマーチの参加報告 楽しみにしています。
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Unknown (kumasan)
2015-10-06 22:27:53
毎週連続して遠征されるパワーにびっくりです。
富岡製糸場は国営とは言え、明治5年から立派な建物ができて、戦後まで操業していたのですからすごい遺産ですね。
そのうちに私も見学したいと思っています。
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とほ娘さん (よっくん)
2015-10-06 21:44:38
いろいろお世話になりました。
羽田から品川に行ったら大混雑。
何事かと駅員さんに聞いたら山手線が大幅に遅延しており急ぐなら日本橋まで行ってそこから歩いたほうがいいと言われ、日本橋から歩いて東京駅に行きました。
12時に高崎到着予定でしたが、結局1時間も早く着きました。富岡製糸場は、貸し切りバスが何台も停まっており
観光客の方が多かったです。(外国の方は見かけませんでしたが)あと荒船風穴にも行きたかったのですが、下仁田からタクシーで30分もかかるということでパスしました。
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Unknown (とほ娘)
2015-10-06 21:13:33
高崎では色々とありがとうございました。
膝は復調されてきましたか。

予定通り、富岡製糸所に行かれましたね。
入場券付切符、記念になってよいですねぇ。
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