旧国鉄筑肥線(姪浜~西新~鳥飼~小笹~筑前高宮~筑前簑島~博多駅11,7KM)は、1983年(昭和58年)福岡市地下鉄との相互直通運転の為、地下鉄と競合する博多~姪浜間が廃止されました。
今日(2/4)この区間を歩いてみました。小生、高校・大学時代はこの路線で通学していました.
小生が通学していたころは、この路線に朝と夕方蒸気機関車が運行していました。蒸気機関車には、通勤通学者で満員状態で、まだ冷房なんかなく夏なんか暑いので窓を開けると
蒸気のススが入ってきて顔を触ると黒いススが付いたりしました。
今は、10分に1本のダイヤですが、当時は、通勤通学帯を除き、1時間に1本でした。単線でしたので姪浜から博多駅まで45分ぐらいかかっていたのではないでしょうか?
長く筑肥線に乗っていると、同じ車両に乗ってくる「気になる女高生」に出会います。シャイな性格でしたので卒業まで一回も話したことはありませんが、あの時話しかけていればよかったかな?
名前は、いまでも覚えています。今、どうしているかな・・・・・・
小生にとってこの旧国鉄筑肥線は、懐かしい青春の1ページです。
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スタートは、姪浜駅。この駅は、福岡市地下鉄とJR筑肥線の乗換駅です。(乗換といっても乗務員が交代するだけ)
旧国鉄筑肥線は、姪浜の地下鉄線の高架沿いに歩きます。途中、地下鉄が地下に潜る少し前の所から右の方にカーブします。
都市高速のガードを潜ると室見川筑肥橋です。昔は、鉄橋でしたが、廃線後、橋がかけ替えられ道路になっています。ここから筑肥線の跡地ということで「筑肥新道」と名付けられました。
室見川筑肥橋の高欄には、車輪、鉄橋のアーチなどが付けられています。
室見川の鉄橋を渡ると、予備校の寮がありました。
私は知りませんでしたが、南庄のJAの所には、「筑前庄駅」があったそうです。昭和16年(1941)に廃止されました。
新開橋の交差点を過ぎると「西新町駅」です。コンビニからスタンドまでの間が駅ではなかったかな?この駅では、県立福岡工業高校の生徒が利用しています。
荒江交差点には踏切がありました。ここは交通量も多く渋滞が起こっていたのではないでしょうか?
荒江、城西、別府には、住宅公団(現UR)の団地があります。昔は5階建てでしたが、最近になって高層に建て替わっています。
旧鳥飼駅は、現在の城南区役所です。
鳥飼駅を出ると別府(べふ)橋の方に向かいます。12月に行われる福岡国際マラソンでは、別府大橋が難所の一つですが、別府大橋ができる前は、列車が鳥飼駅に入るや否や踏切の遮断機が下り、
大渋滞が起きていました。昭和45年(1970)筑肥線をまたぐ形で別府大橋が完成してからその渋滞も緩和されたそうです。
私は、大学に通学するときは鳥飼駅で下りて歩いて六本松バス停まで行きバスで学校に通学していました。
別府(べふ)という地名は、別勅府田が略されて「別府」となったそうです。別勅というのは、律令制の下で天皇の特別な命令の事です。朝廷に功績のあった役人などに
別勅で田地を下府した土地のです。(参考:別府公民館「別府のむかし・いま・あす」 より)
安藤病院の横を過ぎると樋井川筑肥橋です。
橋の欄干には、列車の動輪が描かれています。橋の近くにはUR別府団地があります。
橋を渡ると中央区六本松に入ります。六本松には、旧九州大学教養部がありました。九州大学は西区の方に移転し、九大跡地には、現在、マンション、裁判所などが建っています。
(つづく)
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