5/21から始まる「きのくに海南歩っとウオーク」に参加の為、5/20昼からの新幹線で和歌山へ向かいました。
博多から和歌山まで約5時間。和歌山に着く頃は、もう5時を廻っていました。
和歌山は初めて行く所、ガイドブックなどを見ながら主だった所を訪ねることにしました。
和歌山というとすぐ浮かぶのが、古都清乃さんが昭和43年に発表した「和歌山ブルース」です。
私が若いころ、よくカラオケで歌っていた曲です。この曲に合わせて和歌山市内を探索していきます。
先ず「和歌山城」へ。
和歌山城は、天正13年(1585)、紀州を平定した羽柴秀吉は、弟の秀長に命じて紀ノ川河口部の「岡山」(現在の虎伏山)に城を築かせた。これが和歌山城の始まりである。
その後、秀長は郡山城(奈良県大和郡山市)に移り、家臣の桑山重晴が和歌山城代となる。
慶長5年(1600)、関ヶ原の戦いの後、浅野幸長が37万6千石で紀伊に入国し、和歌山城主となる。浅野氏は連立式天守を建て、現在の本丸・二の丸・西の丸に屋敷を造営。
大手門を岡口門から一の橋の方面に移し、本町通りを大手筋として城下町を整備した。
元和5年(1619)、徳川家康の10男頼宣が55万5千石を拝領し、紀州藩が成立する。頼宣は二の丸を西に広げ、砂の丸・南の丸を新たに造成した。
紀州徳川家は、尾張・水戸とともに「御三家」と呼ばれ、8代将軍吉宗、14代将軍家茂を輩出した。 (和歌山城HPより)
今年は、吉宗が将軍になって300年経つそうです。
和歌山城は、江戸時代、別名「虎伏山竹垣城」と呼ばれていました。和歌山城の建つ山が海上から見ると猛虎が伏している姿に似ています。
石垣にもそれぞれの時代によって石材や積み方の技法が違います。築城当初は、結晶片岩を使った「野面積み石垣」、浅野幸長の時代には、砂岩を使い、
細工して接ぎ合わせて積む「打ち込みハギ石垣」、徳川期には、花崗斑岩を精密に加工して積んだ「切り込みハギ石垣」と変化しています。
また、和歌山城の石垣には、2110個の「刻印」が見られます。デザインは、約40種類、家紋やその省略文字、方位、日付、人名と考えられています。
「七福の庭」とは、七個の巨石を七福神に見立てて配置した庭です。七福神が宝船に乗っている様子を表しています。何とも粋ですね。
「鞠と殿さま」歌碑
私達が子供の頃、女の子は、この歌を歌って鞠遊びをしていましたね。 ♪ てんてんてんまり てんてまり・・・・・・♪
昭和4年に作詞「西条八十」、作曲「中山晋平」で作られました。歌碑には5番の歌詞が書かれています。(西条八十氏直筆)
そういえば、和歌山市のマンホールは、この手毬がデザインされています。
天守閣に着きました。残念ながら5時を廻っており、中に入ることはできませんでした。
お城の中は、50年物の南高梅の木があります。南高梅の梅干は柔らかく本当においしいですね。
西の丸には、面白い形をした橋(廊下)があります。「御橋廊下」といって、かつて西の丸と二の丸を結ぶ橋としてつくられ、藩主とその付き人のみだけが渡ることができたと言われています。その姿が見えないように屋根を付けている珍しい橋です。
和歌山城の廻りは、ワンちゃんの散歩コースなんでしょうか、この時間ワンちゃんを連れた方が何人もおられました。
お城の石垣には、「猫ちゃん」もいました。
お城から市街地に戻ります。歩いていると、「京橋と京橋御門」の案内板がありました。
この橋が架かっている市堀川は、かつては和歌山城の外堀であり、京橋は城内と城外の境界でもあった。そのため、京橋には京橋御門が存在し、
厳重に警備されていました。紀州藩主が参勤交代で江戸へ向かう際は京橋御門を通ったとされています。
橋には、お駕籠のモニュメントがあり、時間になると「鞠と殿さま」の童謡が流れるようになっているそうです。
和歌山ブルースには、ぶらくり丁の恋灯り という歌詞があります。
ぶらくり丁は、昔から続く市内の主要商店街。本町2丁目あたりから和歌川を越した築地の周辺まで、本町通、ぶらくり丁、中ぶらくり丁、東ぶらくり丁、
ぶらくり大通り、北ぶらくり丁などのっ商店街が1.5kmほどアーケード街が続くきます。
観光客向けの店は少なく、洋装、洋品、和服などの衣料品店が多い。それもそのはず、昔、このあたりでは衣料品をぶらくって(ぶらさげて)売っていたという。
ぶらくり丁の名もそれに因んでいます。私は、ブラブラ歩いているからこのブラクリと思っていましたが違っていたのですね。
中ぶらくり丁と東ぶらくり丁の間の大門川にかかる雑賀橋のほとりには、「和歌山ブルース」の歌碑が建てられています。
和歌山ブルースの歌碑は、近づくと歌が流れます。 あいたいみたいすがりたい・・・・・・
真田堀ならネオン川・・・・・
真田堀通りには、歓楽街になっており、飲食店などが集中しています。
真田堀というと、NHK大河ドラマの真田幸村が建設したのでしょうか?調べてみてもそれらしきことが書いてません。
然し、真田幸村は、関ヶ原の後、ここ和歌山・九度山に幽門されています。
真田堀通りに和歌山の中華そばのお店がありましたので、入ってみます。
和歌山では、ラーメンのことを「中華そば」と呼んでいます。然し、コンビニのご当地ラーメンには、和歌山ラーメンと表示されることもあります。
和歌山中華そばは、豚骨と鶏がらをじっくり煮込み秘伝の醤油タレをブレンドしています。そういえば、和歌山は醤油の発祥地ですね。
中華そばが出来上がるまでテーブルに置いてある「早寿司」をいただきました。早寿司とは、紀州名物の腐り鮨「なれずし」を
十分に発酵させていない状態の鯖寿司である「早なれ」のことです。
和歌山中華そばは、味は濃厚で麺は細麺。あまりにもおいしかったのでスープも全部いただきました。
明日は、海南でのウオーキング大会。しっかりスタミナをつけました。
和歌山は、何年か前に関西に行った時に、妹たちと「和歌山マリーナシティ」に行き、宿泊しました
丁度、和歌山城の真向かいのホテルに宿泊したので、ライトアップしたお城を見ることができました
市内に入ったのが夕方で、早朝からお城の観光にいきましたが、結構駆け足で回ったのであまりお城の事は覚えていないです(笑)
詳しいレポート楽しんで読みました
名物のラーメンも食べられて、翌日からのウォークに備えられたのかな???
この時はお天気も良かったので、ウォークのブログUPも楽しみにしています