よっちゃんのおててつないで

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2018年12月長崎出島~東京日本橋完歩。

楽しいウォーク「上野(あがの)焼の福智町を散策」(福岡県田川郡福智町)

2023-11-06 06:16:39 | ふくおかウォーキング協会

11/1~11/4までウォーキング三昧です。

11/1(水)  ふくおかウォーキング協会楽しいウォークは、「上野(あがの)焼の福智町を散策」でした。

福智町」は、2006年(平成18)金田町(かなだまち)・方城町・赤池町の3町が合併してできた町です。

福岡市東部から45km、北九州市南部から35kmに位置しています。昔は、三菱方城炭鉱がありました。

町名は、町の北端にある「福智山」から名付けたそうです。

集合は、JR直方駅、ここから平成筑豊鉄道に乗って「赤池駅」に移動します。平成筑豊鉄道は、旧国鉄の伊田線・糸田線・田川線を引き継いで営業しています。

 

赤池駅で2人が合流し合計21人でスタート。

赤池は、童謡と(後で説明)上野(あがの)焼の町です。福智山も近くに見えています。

  

 

 

福智下宮神社に着きました。福智神社は、福智修験の発祥地で白鳳元年(650)に開山。福智山山頂に上宮、中腹に中宮があります。

下宮神社の隣には、童謡作曲家「河村光陽(こうよう)」のことが書かれています。

河村光陽(本名・直則)は、明治30 年8 月23日、福智下宮神社に隣接する生家で産声を上げました。神社に奉納される神楽の音色が、彼のメロディーやリズム感、音楽家としての

原点になっています。光陽は、小倉師範学校を卒業後、音楽教師として金田小学校(福智町)に赴任。やがて音楽家としての夢をあきらめず、パリやモスクワでの音楽研究を視野に

朝鮮へ渡りましたが、社会情勢の悪化で帰国後、上京し、東京音楽学校選科(現東京芸大)で、日本を代表する音楽家から音楽理論等を学びました。
のちに「かもめの水兵さん」「うれしいひなまつり」「グッドバイ」「赤い帽子白い帽子」「仲よし小道」「船頭さん」「りんごのひとりごと」など千余曲を作曲。

故郷の情景を思い浮かべた作曲も多く残されています。主な楽曲は長女・順子の歌唱でレコード発表され、数々のヒットを記録。日本童謡史に一時代を築きました。
昭和21年12月24日、49 歳でこの世を去った河村光陽。子どもたちの息づかいや遊びのリズムを大切にしたその旋律は、いつまでも色あせることなく、今もなお歌い継がれています。

上野焼陶芸館には、河村光陽「カモメの水兵さん」の歌碑があります。

※河村光陽「~うれしい ひなまつり~ 山野さと子・森の木児童合唱団 - YouTube

  

上野焼の窯元が見えてきました。

 

福智町の上野焼陶芸館で休憩。

 

上野焼(あがのやき)は、福岡県田川郡福智町周辺で作られている陶器です。
上野焼の特徴は、茶の道具である「茶陶」として発展したため、軽量で薄作りの格調高い風合いを持つ点です。底にある高台(こうだい)が高く、裾広がりになった撥高台(ばちこうだい)の形をしています。また、緑青釉(ろくしょうゆう)、鉄釉、藁白釉、透明釉など使用する釉薬の種類が多く、一つ一つの器が色彩や肌合い、光沢、模様など多種多様である点も上野焼の特徴の一つと言えます。
上野焼の代表的な釉薬は、酸化銅を使った緑青釉で鮮やかな青色が魅力です。鉄釉を使った陶磁器は赤茶色の光沢のない仕上がりになり、虫喰釉では素地に虫喰のような粒が一様に並んだ個性的な風合いに仕上がります。
それぞれの器が千差万別ながら、入れるものの素晴らしさを引き立てる共通の趣と気高さを誇っています。

1602年(慶長7年)、千利休に茶道を学び茶人として名高い小倉藩主・細川忠興が、李朝から陶工の尊楷(そんかい、のちに上野喜蔵高国と改名)を招いて、豊前国上野に登り窯を築かせたのが始まりと言われています。
細川家の30年という短い統治の間に、上野焼の基礎は確立されました。1632年(寛永9年)、尊楷は細川家の国替えに従い肥後熊本へ移るものの、子の十時孫左衛門らが上野に留まり次の藩主・小笠原家のもと上野焼を継承しています。
江戸時代中期には尊楷が築いた登り窯は、徳川家茶道指南役である小堀遠州(こぼりえんしゅう)に「遠州七窯」のと一つとして称賛されるほどとなり、世に広く知られるようになりました。その後も、尊楷の登り窯は小笠原家が統治する幕末まで歴代藩主の御用窯として重用され続けました明治時代に入ると、廃藩置県により藩が消滅し一時、上野焼は衰退したかと思われましたが、1902年(明治35年)、熊谷九八郎らにより田川郡の補助を受け復興されています。(KOGEI  JAPANより引用)

 

 

 

休憩後再スタート

 

方城物産館「ふくちの郷」でトイレ休憩

 

休憩後再スタート。

「定禅寺」は、通称「藤寺」と呼ばれていて藤の花の名所です。

 

この後、城山横穴群に行く予定でしたが、平筑鉄道の時間が迫っており、寄らずに金田(かなだ)駅にゴールしました。

 

金田は、森鴎外が明治時代宿泊したそうです。

12:00 発の平筑鉄道で直方に戻りました。

  

この日のGPSです。

 

 

 

 


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2 コメント

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上野焼き (はなまりん)
2023-11-06 07:52:03
 秋晴れ 素晴らしいコースですね。昔あがの焼きが読めず 思い出しました。
森鴎外記念碑 ここは行ってみたいと思いました。見事なコース設定 会員になりたいくらいです。津和野の町に立派な鴎外記念館があります 是非お立ち寄りください。
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はなまりんさん (よっくん)
2023-11-06 08:25:17
コメント有難うございます。
上野焼は、初めて訪ねました。また、平筑鉄道も初めて乗車しました。この地は車では、何回か通っていましたが(2回ぐらい)ゆっくり歩いたのは初めてでした。
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