おざわようこの後遺症と伴走する日々のつぶやき-多剤併用大量処方された向精神薬の山から再生しつつあるひとの視座から-

大学時代の難治性うつ病診断から這い上がり、減薬に取り組み、元気になろうとしつつあるひと(硝子の??30代)のつぶやきです

Re:Epitome -人生の縮図-

2023-09-08 23:46:00 | 日記
昔、

「Epitome」という10分のぞっとする映画を観せて貰ったことがある。

たしか、
黒澤明ショートフィルムコンペティションのノミネート作品の中のひとつだった、
と、記憶している。

これを大学院に飛び級する前の授業で
「絵本」
に、したが、
学部(→早稲田のあとの、一応1年いた武蔵野美術大学の学部)では、私の病を差し引いても解されなかった。

ハイデガー、ひいてはヤスパースを匂わせるだけ無駄であった。

ガダマーも無視されたなあ。

ろ覚えなので、
やたら強調されていたり反対にあっさりし過ぎていたりする部分が多々あるであろうと思う、
が、

Epitome」(≒人生の縮図)

では、

まず、

黒い服をまとった女性が高いヒール靴のかかとを鳴らしながら、

女自身を描いた絵を掛けに来る。

「この部屋に居る間にここにいる意味を見出しなさい」

と言いながら、

絵を壁に掛けて立ち去る。

主人公は、
寝起きのような感じでがらんどうなその女の絵を除いて何もない四方が白い壁の部屋にいる。

初めは何も考えずにいた主人公も、
「なぜこの部屋にいるのだろう」

と考え始める。
徐々に
がらんどうさ
に不安になり机や椅子、ベッドなどを置いてみるが、
落ち着かない。

「ここはどこなんだろう」

不安になる度にモノが増えてゆき、
床や壁が埋まってゆく、
それでも不安が募るなか、
近くにも部屋があることを認識する。
女の靴音の後に誰がが新しく入居してきたようでもあったし、

女の靴音の後悲鳴が聞こえて、

そのあとは空室になったようである様子、
そして、
自ら扉を開け退室してしまう人もいたが、
住人の出入りの前後に女の靴音が聞こえるのである。主人公が靴音を聞くのを恐怖に感じていたとき、
ひとりだけ友人ができる。

彼と遊んでいると楽しく、
女の靴音や靴音の主について考えずに済みたのしかった。

彼の名前を知らなかったので、
主人公は名前を訊ねる。

すると彼は目の前のボードゲームで使っていた2つのサイコロ(輪廻転生や六師外道)を手の中で弄びながら、

「みんなは、僕のことを『気張らし』くんって呼ぶよ」

と答える。

それからどれだけ経ったのかは解らないが、
主人公のいない、
しかし、モノであふれた部屋に、
あの黒い服をまとった女が自身が描かれた絵を外しに来ていた。

「だから言ったのに」

ということばとともに女は、
また、靴音を響かせながら歩き去った。

......。
ハイデガーの
ダス・マン
の考え方に仏教要素を加えた作品
orチベット仏教のリンポチェの
「活動的怠惰」

が題材の作品だと私は考える。

前者なら、主人公=ダス・マン、
女=死
そして友人やモノたち=気張らし、
だ。
大学時代から思い出す度にぞっとする作品だ。

スケジュール帳を予定で埋めてほっとする人生ではなく、
せっかくたまに後遺症で動けないときがまた来た時は苦しいけどそんなときを大事にしようかな、と思う。

ここまで読んでくださりありがとうございます。また長文なのでうれしいです。では、また、次回。


Re:ハーロイの実験-子ども時代に大切なもの-改めて

2023-09-08 23:14:00 | 日記
私は、神経質(医師曰く強迫性障がい)だ。

これは、私の人生に+にも-にも働いた。

大昔の受験の時には、センター試験で5教科7科目をあまり狂いなく塗らせてくれたので私立対策をサボってもセンター試験利用入試が使えて今がある。

学士時代



が、今でも、カギの確認から、電気コードまで確認するために何度も確認する超煩雑な行動に繋がっている。

なぜ、こんなことになったのかは、自分自身でよくわかっている。

最も大きな要因の1つは父親のことばと態度の暴力(幼少期を除き殴らないが)である。

したがって、思春期には身体にはあざはないがこころはあざだらけでだった。

金銭的に強い立場でいつもキツいことばや態度で接する父に私(や母)の心身は自衛策をとることになるのだが、
彼より強く≒偉く≒稼げるようになろうとして、
ムリをし過ぎて、
病(うつ病)を得た。

病を治そうと多剤処方に頼りすぎて、
そこから脱するのに離脱症状に苦心し、
今はそれらの後遺症と前を向きながら伴走している。

私は、父親に対する関係性を考える際、ハーロイの実験を想い起こす。

ハーロイの実験というと代理母実験を思い出されがちだが、
恐怖試験と絶望の淵についてもよく考える。

まず、代理母実験は、
子ザルに対してミルクは出すが針金だらけの人形とミルクは出さないが柔らかい布地の人形を置き、
子ザルがどのように行動するか調べるための実験が有名である。
子ザルは、ミルクは針金だらけの人形から飲むものの、
それ以外は柔らかい布地の人形にしがみつく、
ということを繰り返していたようだ。

食べ物と同じくらい大事なものがあると、
ひいては、(勿論お金は大事だが)お金と同じくらい大切なものがある、
と実験結果に言われている気が、
私は勝手ながら、している。

つぎに、
恐怖試験は、
子ザルに対して柔らかい布地の人形たちが、振動で子ザルを振り落とそうとしたり、
バネで弾き返したり、
圧縮空気を噴射したり、
針を出したりするとき子ザルがどう反応するか調べるための実験である。

子ザルは柔らかい布地の人形が攻撃するものに変わっても何度もしがみつく。

同じ構造が確かに人間でも在るのだと私は思う。

「それでもしがみつ」き、信じ、そして頼ろうとする、こころの構造である、
と、私は思う。

そして、絶望の淵は、子ザルに対して這い上がれる希望が視える高さにまで、
登れる壁がある穴に落とし這い上がれないことを、
知った時にどう行動するかを調べる実験である。

何度も何度も挑戦した後子ザルはもはや壁を登らずに穴の中で動かなくなる。

うつのある種の構造に似ていると私は考える。

これらの実験をした心理学者のハリー・ハーロイ自身、精神的に問題を抱えており、
アル中などを治したく自ら電気ショックなどを試していたようである。

ハーロイは恐怖試験を主としてまとめた論文に
「愛の本質」
と名付けている。

そこが私にはいつも哀しく映ずる。

ここまで、
もういちど、
読んでくださりありがとうございます。
長文なのにうれしいです。また、では、次回。


Re:チェーホフと鴎外

2023-09-08 23:02:00 | 日記
「その曖昧さに賭けろ」

と、
最近言われた。

アントン・チェーホフの「賭」という作品が子どものころからずっと好きだ。

これもやっといえた。

アントン・チェーホフの『賭』において


死刑と無期懲役のどちらを選ぶかという議論からこの短編は始まり、生き方の質(≒ある意味のQOL)を考えさせられる。


いきなりだが、チェーホフと森鴎外の作品ではなく、
人物像や彼らの背景、
さらに性格まで似ているように私は思う。

まず、アントン・チェーホフと森鴎外は医師であるが、
彼らは、死に向き合うのが怖く、
その結果、残酷な現実を突きつけられ、
罪悪感に苦しむことになる。
チェーホフの場合は肉親の病や死をみたくなくて、迂回し、
避け、そして逡巡していたら、
診る前に亡くなってしまったし、
鴎外の場合は肩書き、プライド、そしてに意地に固執したせいで、ビタミンB1の投与に踏み切れず、多くの陸軍の人々を死に至らしめてしまった。

酷い爪痕だったであろう。

つぎに、ふたりとも罪悪感や現実逃避を昇華して描いたと(私には)思われる作品がある。

チェーホフは先に挙げたが、
鴎外は安楽死や生命の尊厳、
そしてそれに付随する代償を己の手に委ねられた人物を描き出した作品である「高瀬舟」だ。

負の体験を昇華出来なければこれらの(芸術)作品は生まれ得なかっただろう。

そして、ふたりとも、見事な筆致で
まばたきが黙るような世界をみせてくれた。

さらに、視点、視座、というか、他者の世界の視る方向を変えられる人々に尊敬の念を抱く。

例えば、1+2+3+4+5......n-2+n-1+n
=(n+1)×n×1/2
と表した Carolus Fridericus Gauss、

ピアノを開いてから「4分33秒」(=273秒なので絶対零度と関係があるのでは?と私は思う。)待って、ピアノを閉じ、
「そのとき、その場所、その聴衆」でしかできない新しい音楽のかたちを創ったJohn Cage、

そしてパリの空気を貯めてみたかったり、便器をひっくり返し、匿名で出品し既成概念を打ち壊した Marcel Duchamp

たち、先駆者たちに対して抱く敬意が、私の人生をたまに変えてくれたりしてきた。

今までも、これからも、敬意との出逢いを楽しみにいきたい。

ここまで読んでくださりありがとうございます。ら忙しくなり、しばらく日記を休むことになるかもしれませんが、また、よろしくお願い致します。
Re:シリーズ、しばらくいきます。



Re:ウクライナ・ポーランドの応酬に思う。

2023-09-08 21:22:00 | 日記
私は、解っていなかった。

「川は海に繋がる」

福島県いわき市出身の女性のことばだ。

「地図をみたらいい」

これも同じく。

私は解っていなかった。

「境目」はいつも争いをよびます。

どちらがどちらの領土なのか、と、いつももめて、

どちらがどちらの信条か宗教か、
と、
いつももめて。

紛争だらけになる。
ウクライナがクリミア大橋への攻撃を認めた。

最近は、
ウクライナ生のドローンがロシア領を飛んでいることには、
沈黙し、ロシア領やクリミア半島への攻撃姿勢を公然と示し、

隣国ポーランドの発言にも過剰ともとれる抗議をしている。ウクライナのこのような姿勢は、

戦争疲れ、

で済まされるのか。

最近、(数ヶ月前から)疑問に感じ始めている。

ウクライナだけが正義か??

いずれにしても戦争は人間をさまざまな意味で壊すのだと感じざるを得ない。


Re:「それらしさ」の罪-教祖誕生 ビートたけし著より-

2023-09-08 20:53:00 | 日記
わかったふりするな。

グサッときた、そのとおりだから。

今日、いわき市出身の方の意見を聴いてから。

「F1のレースを見たことあるかい」

司馬の突飛な話題転換に、和夫は返事をしなかった。

「F1カーと名前のついたカートに乗って、子供はそれなりに楽しんでいるだろう。

いうまでもないけど、それはまがいものなわけ、
時速300キロを越すF1カーに乗って命を賭けているレーサーの気持ちや運転テクニックのことなど想像すべくもない。
絶対にわからない。
それにその必要もないんだ。
F1カーと名前のついたカートで1周300mのコースを1周すれば充分満足する。
本物とまがいものは厳然として違うし、本物とか真実とかは我々だけが知っていればいい。
みんながみんなF1レーサーになれないのだから。
そのために『らしき』ものがたくさんある。
その『らしき』ものを作って配るのが我々本部職員の役割なんだよ」