7/12(金)
SARPvol.16『平家物語 REMASTER』
ノトススタジオにて三女と観劇
この物語が現代までずっと残ってきた
理由が分かるような気がした。
いつの世も無くならない争いで
失うものがあり、胸が痛む。
普遍的なものを感じる。
…………………
三女は殆ど知らない物語だったけど、
また観たいと。
他の人、他のジャンルでは
どんな風に表現されるのだろうか、
ということらしい。
細かい内容は分からずとも、
大きな流れに感じるものがあったのか。
印象に残ったのは全部…と言っていたのは
そういう意味もあったのかもしれない。
動き、踊り、激しいものだけでなく、
腰を落とした静かな摺り足が、
印象に残った。
シンプルな動きこそ難しい。
たぶん見るよりずっとキツい動きに違いない。
少し個人差はあったかな…
という気はしたが、
これがバシッときまれば鳥肌もの。
好きな動きだった。
扇も印象に残った。
屋島の戦い、扇の的
射落とす場面は有名である。
平家物語から思い起こされる扇。
もともと古典芸能では
扇は色々なものに見立てられるもの。
それぞれが持つ扇は、
時に刀だったり、馬の手綱だったり。
面白い。
ふと、子どもだったら
何に見立てるだろうと思った。
普段持たない扇だけど身近に感じた。
………………………
とても長い物語だからか
たくさんの戦い場面などが、
ぎゅっと短く、分かりやすい動きだった。
速さや力強さもあったので
それに付いていくというか…
外から見るような感覚ではあった。
知っている場面を追っていくような。
その中でふと立ち止まった場面があった。
名馬、井上黒を置いて沖へ逃げねばならず
敵の手に渡るくらいなら射て殺すか…
悩んだ末の決断。馬との別れ。
私などは、馬に馴染みがなく
それこそ動物園の動物か
家畜の感覚しかない。
しかし、その人たちにとっての馬は
全く違う存在だったのだろう。
言葉を介さないはずの馬の気持ちが
そこでは表現されて、
その人間ではない存在から
なぜか人間らしさを感じた。
身近なことに感じたのだと思う。
人間であれば自然な感情があるとして、
それに逆らうようなことをしている。
そうしなければならないような
状況に追い込まれている。
そんな昔も、そして今も
同じようなことを繰り返している。
そう思うと胸が痛かった。
……………………
“祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり”
で 有名な冒頭。学生の頃に
覚えたり音読したりした。
“奢れる人も久からず、ただ春の夜の夢のごとし”
潮目が変わる。物事の流れが変わる。
いつ立場が逆転してもおかしくないのだ。
当たり前の今日が
明日もあるとは限らない。
そんなことも思った。
だからこそ、
どちらも、どんな人も大切な存在。
儚く散った命を無かったことにせず
心に留めて弔う気持ちから
物語は受け継がれてきたのだろう。
…………………
この平家物語
個人的に縁を感じる物語でもある。
義経をかばって亡くなった
佐藤継信 ( 物語では嗣信 )は、
実はご先祖様であるらしい(笑)。
ちゃんとした史料を確認した訳ではないが
父方曾祖母の里が、その筋に当たると
祖母からよく聞かされていた。
そりゃ…何代も遡れば
関わりがありそうなものだから
継信といわず、誰がご先祖であっても
おかしくはないのだろうけど(笑)。
でもそう思うと、
自分と無縁ではない気がしてくる。
その他に、
物語ゆかりの地である
神戸の須磨は、大学時代の下宿近く。
屋島の壇ノ浦は、昔の職場近く。
継信の墓も近かった。しかし
その職場も今は閉じられ…まさに無常。
勝手な感傷ではあるけれど
思いを馳せることは
意味があるような気がする。
遠く離れたものと
どこかで繋がっている。
そう思うと、ちっぽけな自分でも
様々な縁に繋がれてきた
大切な存在だと思えるのだ。
物語は、私にそんな思いを与えてくれる。
たぶん多くの人にとっても、
財産になるのではないだろうか。
まだまだよく知らない物語を
身近に感じる機会を持ちたいと思った。