12/24
演劇ワークショップ&ライブ
「即興芝居ってなんなん?」
場所:みんながオルデ通町
行ってきました!
小倉あんこさんを中心に
なおみん、まこちゃんが一緒に
即興演劇の楽しさを
感じさせてくれる
プログラムでした。
前半はワークショップ、
後半はインプロライブ。
場所は、
みんながオルデ通町。
アットホームな雰囲気の中、
楽しいひとときでした。
………………
ワークショップといっても
難しいものではなく、
2人一組での
いわゆる連想ゲーム。
思った通りの
連想が出てくることもあれば、
意外な言葉が飛び出したり。
更に、なぜその言葉?
疑問に思った場合は
その理由を聞いてみたり。
また、
言葉だけでなく
身振り手振りを加えてみたり。
お客さんはわりと知った顔ぶれ。
でも改めて
お互いの考えや発想などを
知ることができて面白かった。
さらに近く感じた。
考えを話す場といっても、
会議等だと
構えて固くなりがち。
けれど、
連想するものは自由だから
正解も間違いもない。
演劇のワークショップ
ではあったけれど
構えることなく誰でも
足を踏み入れやすく感じた。
あっと言う間に予定の時間。
もっと続けたいくらいだった。
とはいえ
これくらいの時間なら
また今度やりたい!という
次に繋がる感じでもあり、
良かったと思う。
途中、飛び入り参加の人も現れて
そのやり取りこそが、まさに即興!
ある程度の時間配分は
考えられていたとは思うけれど、
自然に受け入れられる雰囲気が
いいなと思った。(お客さんも)
………………
そして3人の即興演劇。
3つのお題を観客からもらう。
3人それぞれの問いかけに、
お客さんが
自分のエピソードを話し、
それがお題の言葉となる。
(一緒に参加してる感じで、いい)
どこから始まるか決まっていない。
どこで終わるかも決まっていない。
もし自分がする側だったら…
と思うと少々緊張しつつ
じっと行方を見守る。
家族の話になっていった。
どこの家庭でもありそうな
場面、やり取りも。
自分なりの展開を予想しつつも
ん?そう転がっていくのか!
という驚きや面白さ。
そして
ふとした瞬間に、
自分の子ども時代や
今の家庭の過去や現在の
場面が頭をよぎる。
食べること、食卓を囲むこと、
現実のアレコレが
何とも…言葉にならない重さで
ずしっと響いた。
けれど目の前の
やり取りはどんどん
転がり続けていく。
うまく繋がる
場合ばかりでもない。
垣間見える心の端っこには、
時に戸惑いや
ちょっとした気まずさも漂う。
でもそれが
味わいにも感じられる。
そこに笑いも生まれる。
そして着地。
結局そんな劇的に
変わるわけではないけれど、
くすっと笑える。
肩の力が抜けるような、
いいなと思える何かを感じた。
………………
即興の演劇、
究極のキャッチボール。
相手から受け取るために
よく聞きよく見る。
自分にも必要だし
共に過ごす人にも必要なこと。
けれど案外、
普段の暮らしの中では
できていないような気がする。
しっかり対峙しなくても
進めようと思えばできてしまう。
だからいざ難問に直面すると
ぐったりしてしまう。
そもそも難問だから。
段階を踏まずに即クリアとか
できなくて当たり前。
誰が悪いわけでもなくて。
それより
簡単なところから
楽しく積み重ねたい。
そんな機会が
誰にでも増えたらいいなと思った。
メリークリスマス!
最高のプレゼント
もらいました。
劇団ロロ公演
いつ高シリーズVol.6
『グッド・モーニング』
12/18(日) 観劇しました!
特に大きな
何かが起きるわけじゃないけど
心が大きく揺さぶられた。
誰か一人でも隣にいて
何かを共有できるのは
こんなに嬉しいことなんだと
しみじみ思った。
…………………
高校演劇のルールで作られた作品
ということで、
最初に説明があった。
上映時間が60分以内、
仕込みは10分以内。
ということで
仕込みの部分からスタート。
普段、仕込みを目にする
機会がないので新鮮だった。
耳慣れない用語もあり、
なるほど、あれは
“しず”というのか…と
興味深かった。
……………………
高校の自転車置き場。
早朝、一人の女子高生が
何やら不思議なことをしている
場面から始まる。
後からやってきた
もう一人の女子高生と、
二人だけの舞台。
そのやり取りが、
ずっと目が離せないくらい面白く、
時折、観客から上がる
笑い声の勢いにもびっくり。
テレビ番組のネタも入っていて、
あ〜あれね!と思う人が
コクコクうなずいているのが
視界に入る。
彼女たちが歌い踊っていた曲も、
昔流行っていた、そんな
世代も多かったのかもしれない。
そんな楽しげな雰囲気が
周りからビンビン伝わってきた。
かくいう私も
いわゆる世代。
だけど、
世間の皆さんとは
ちょっと外れてるかもな…と
思いつつ観ていた。
知らないわけではないけれど、
どっぷりハマっていた
わけでもない。
あれを見ないと
一日が始まらない…と
いうような台詞があったけど
ああ、
自分は見ていなかった、
見られる環境になかった
子どもの頃。
だからずっと
一日が始まらなかったのかなぁ
なんて苦笑い。
いわゆる大多数
(と思われるもの)と自分、
その微妙なズレが、
透明な薄皮のように
常に相手と自分との間を
隔ているような気がしていた。
別に…
それがあっても無くても
良くも悪くもないのだと思う。
頭では分かっていても
感覚としては
なかなか吹っ切れない。
小さい頃、学生の頃から、
染み付いた感覚は
なかなか変わらないものだ。
彼女を見ていると、
同じではないけれど
自分と通じるものを感じた。
で、この先
どうなるんだろう。
面白さの奥にある
切実さに引っぱられて
観ていった。
一人なら、たぶん
いつもと同じ繰り返し。
でも、ちょっとした
異質な出会いが
そんないつもを少しだけ
変えてくれた。
異質なのに
ある部分だけ共有できる。
それが本当に楽しくて
嬉しくて泣けてきた。
どう見られてるかじゃなく
自分が感じるものを
大事にすればいい。
そんなふうに思えた。
現実は
そんな簡単に変わらない。
抵抗を感じる何かが
当たり前として存在する限り
困り事が瞬時に解消される
ことはない。
だけどこの
心躍る、晴れやかな気持ちは
きっと大事なひと欠片として
蓄積されていくのだろう。
それでいいのだと
バカボンのパパ的な
能天気さに
心満たされるような
後味だった。
………………
外は凍えるような寒さ。
空からひとつ
何か白いものが舞い降りて
水たまりの中に消えていった。
雪、かな!!
キョロキョロ
辺りを見回し目を凝らしても
何も落ちてくる気配はない。
単なるほこり、かな?笑
あれは何だったんだろう。
不思議なものを
見たような気がしつつ
車に乗って走り出したが
間もなく
ぶわーっと舞い散る雪に包まれた。
やっぱりあれは雪だったんだ!
小さなひと粒だから
分かりにくかったけど、
確かにあそこに在ったんだ。
何だか
いいことの前触れのような気分。
気持ちはホカホカ
ちょっと嬉しい帰り道だった。
演劇コース10期生 卒業公演
『コインランドリー マーメイド』
初日、行ってきました!
コインランドリーを舞台に
始まる話だけど、
服の記憶を中心に
場所や時間を越えて
様々な人の話が入り乱れ、
不思議な感覚に。
私たちは生きてる限り
いつかは消えゆく存在。
けれど残されたもの、
汚れや染みであったとしても
それはきっと唯一無二。
そう思うと愛おしくも感じられた。
…………………
誰がどの役というより
服を着替えるように
セリフが入れ替わったり
場面が繰り返したりして、
無限ループに
迷い込んだような感覚だった。
観劇していると、どこかの部分に
共鳴することはよくある。
けれど今回のは
宙に放り出されるような
感じだった。
幽体離脱して
その状況をみているような。
一人の人間として
何かに執着するより、
生命体のひとつとして存在し
やがて消滅していくような
感覚でもあった。
自然の摂理からいえば
もっともなことかもしれない。
けれど
後悔や怨念でもいいから
その人ならではの
何かがあってもいい。
観ているうちにだんだん
そんな気持ちになった。
葬式帰りの人が立ち寄る酒場、
というのがあった。
昔語りは、
時に不毛かもしれないけれど
心の染みも愛おしくなるような
場所のような気がして
何だかいいな…と思えた。
………………
10月半ば、
私の父が亡くなった。
やはり脳裏には
そのことがあって、
それ無しに観ることは
出来なかったと思う。
入院から1ヶ月半。
短い期間を嘆く気持ちもあれば、
長期に渡って壮絶な場面を
お互い経験せずに済んだ
という気持ちもある。
両方の気持ちはあれど、
すべて納得して
清々しい気持ちにはなれない。
結局どう転んでも、
どこかにそれぞれの場合の
悔いや悲しみは残る。
救いがないのは、
それを誰かと
完全に共有できないことでもある。
ある程度、
推し量ろうと努めたとしても
分かりきることは難しい。
家族のような
身近な存在だとしても、
同じ人間ではないのだ。
それでも
近づける要素がないかと思う時、
この舞台の中に見る服の記憶と
どこか重なるような気がした。
誰かが手に取り着てみたり、
その記憶をカタチにすることで
救われるものを感じた。
過去が変わるわけでもない。
相手は
時代も環境も背景も違う人たち。
けれどその体を通して
思いが紡がれることで
血が通うものを感じられた。
観る自分は
ほんのひととき。
けれど演じる皆さんは
創り上げる過程を共にしてきた。
別の人の
人生を演じるということは、
生身の自分が背負うもの、その上に
更に背負うものが増える
ことでもある。
その重さも
少しは分かるつもりでいる。
それを思うと
違う面からも胸が熱くなった。
人と人との違いをこえて
共に生きるために
何か出来ることは
あるかもしれない。
そんな希望も感じられた。
これから
新たな場所へ向かう皆さんと
共に一歩を踏み出したい。
そんな気持ちで
大きな拍手を送った。
ありがとうございました!
12/3
実家にて父の四十九日の法要を
無事終えることができました。
愛知在住の弟は
何度も帰省し、手続きや
法要の段取りをしてくれ、
本当に助かりました。
妹も、廻り目ごとに
岡山から車で来てくれて、
相続などの手続きも順調に進みました。
…………………
法要は、会場を借りず家で。
仏間のない家で何人も座るため、
机やソファーの移動は
弟と私で頑張りました。
そして座布団を干し
細々とした片付けや掃除も。
仏壇まわりの花や饅頭、
粗供養に入れる品の
買い出し巡りは母と共に。
餅と赤飯は当日の朝早く
弟と母で
注文していた琴平の餅店へ。
父がここの
餅と赤飯が好きだったので、
母がどうしても粗供養に
入れたかったのだと。
朝はまだ
ほんのり温かかったです。
親戚が車を停める駐車スペースは
お隣の空き地を所有する方が
貸して下さりました。
当日は天候もよく
諸々滞りなく終えることができ
有り難い限りでした。
……………
葬儀とは別の時に
母の里の親戚が
お悔やみに来て下さいました。
母は一人娘なので
きょうだい関係ではないのですが
母方祖母が存命中には
大変お世話になっていた方々。
四十九日には
お呼びできなかったけれど、
気持ちを伝えたいとのことで
満中陰志を持って琴平へ。
弟が運転、
残っていた私と三女も同行しました。
お会いするのは
私の小さかった頃以来。
でも、温かく迎えて頂き
言葉も交わせて良かったです。
どうしても挨拶に行きたかった
母の気持ちが分かったような
気がしました。
母がどんなふうに生きてきたか…
幼い頃の生活、そして
嫁に来て今の暮らしへと
環境が大きく移り変わる中で
感じてきたことの一端を
垣間見たような気がしました。
幼い私が理解出来なかったものが
少し見えたような、
親と自分という関係だけでなく、
一人の人間として
ひとつ離れたところから
見えるものがありました。
生きているうちに
そんな瞬間があったのは
本当に有り難いことです。
………………
父は亡くなりましたが
残したものも沢山あります。
時々、新聞で入選していた
俳句もそうですが、
毎年、俳句と共に版画を彫り
年賀状にして送っていました。
入院と共に
俳句投稿も出来なくなりました。
しかし、
体の自由が利かなくなる中でも
俳句を書いていたようです。
母の話によると、
星野富弘さんの詩と絵の卓上カレンダー、
9月の松茸、父が気に入り
俳句を作っていて驚いたとか。
私の手元にもある
星野富弘カレンダー。
父の写真と共に飾っています。
がんばれ まつたけ
まつたけ がんばれ
おまえは 自分の生き方に誇りを持て
そんな言葉が胸に響きます。
12/4(日)
ひよこまめ公演「木の下で」
飯山図書館 18:00〜
前回、通町オルデの公演は
予定があったので、
今回、観に行けて良かったです!
…………………
夜の図書館。
この時期、
18時にもなると外は真っ暗。
建物内に入り、
図書館の入口前で受付。
18時の開場と共に中に入ると…
薄暗い中、温もりを感じる
明かりに照らされた
ツリーを見つけた。
ちょうど図書館の部屋の真ん中。
広いスペースが
舞台と客席になっていた。
ツリーを囲んで
ほんわかとしたムードが落ち着く。
……………………
最初は歌から。
ひよこまめの歌?かわいい。
子どもたちが見入っていた。
季節にまつわるお話いろいろ。
短編の物語や詩、
短い場面のお芝居など。
本の朗読だけじゃなく
動きや小道具が工夫されていて
面白かった。
自分は、おはなし会で
絵本の読み聞かせをするので、
ストーリーテリングなどに
こんな要素を取り入れたら
面白いかもしれないなと思った。
取り上げられていた物語は
どれも短編なので
気軽に読めそう。
個人的には…
山の上の木と雲の話では
なぜだかちょっと泣けてきて。
狸と与太郎
の話では、作者が夢野久作!?
著書ドグラ・マグラは
奇書というイメージがあるから
こんな話も書いているんだと
びっくりした。
クリスマスの話では
子どもにも身近だからか
特に反応が大きかったように思う。
サンタさんの姿を見ようと
子どもは何とか眠らないように、
大人サンタは
何とか見つからないように、
その動きの繰り返しは
お決まりだけど見てしまう。
3回の繰り返す
昔話や絵本のパターンみたい。
桜の花びらの紙吹雪
舞い散るところ。
ライトに照らされて
すごくきれいだった。
すぐ目の前の床に
子どもが座っているので
思わず手に取る気持ちが分かる!
小さい子が
拾い集めた紙吹雪を
同じように
パッと舞い散らしていた姿、
いいなあと思って見ていた。
桜、桜…ふと思った。
先日亡くなった父の遺影は
満開の桜を背に
(珍しく)笑顔満開の写真だった。
ここで、またぐっときて。
人の世の春夏秋冬を思う。
これもまた
巡るものなのか……なんて。
最後の歌も良かった。
座った場所が演台の横だったからか
すごく落ち着いて観ることができた。
周りの人と
共鳴することもあったけど、
純粋に、
物語と自分だけの世界…
真空パックのような一瞬もあった。
ツリーの奥にもうひとつ高い
木のようなものがあり、
そのてっぺんに
ライトの光があった。
鳥や雲の話では
思わず視線は上に上に。
そこに広がる空間の広さ。
こんなに天井高かったんだ。
図書館で見上げたことがなかった。
新たな気づきも生まれた、
そんな一瞬。
クリスマス
プレゼントの箱、
そして中には
小さなプレゼント。
お菓子の入った小さな包みと
キラキラのリボン。
子どもはもちろん
大人ももらえた〜〜
ささやかなことだけど
じんわり嬉しい。
良きひとときでした。
ありがとうございました!