アメリカはすごくオープンで、判決などネットで直ぐに手に入る。
直ぐというのは、特別な手続きなしで、しかも直後にという意味だ。
先の大統領選挙のこと。
民主党は党ぐるみでヒラリーに肩入れし、サンダースには公平なチャンスを与えなかった。
党本部のメールが漏れ、ウキリークスで公開されたので、ばれてしまった。
そのときの委員長、ダビー・ワッサーマン・シュルツは責任をとって辞任した。
だから、彼女の名前はよく覚えていた。
その彼女のフロリダ州のお膝元の選挙区での民主党の予備選挙。
対抗馬の候補から投票用紙(投票済み)のコピー・スキャンの請求があった。
アメリカというのは、結構直ぐに応じないことがある。
ということで、訴訟に、日本で言えば選管相手に。
訴訟では、用紙そのものの提出請求に変更された。
理由がないなどと言って提出拒否していたが、実際は、提出できなかった。
というのは、廃棄処分にしていたのだ。しかも訴訟になってからである。
意図的じゃなかったということだが、責任者の署名いりの廃棄処分書があるというのだから意図的だ。言い訳にしか過ぎない。
こんなのを知ると、北朝鮮の金正恩と大して変わらないなと思う。
無いものは仕方がないというので、結局、判決は処分の違法の確認と弁護士費用の負担を命ずるものとなった。
そこでなぜと考えた。
廃棄処分までしたということは、違法がバレル(実際の選挙結果と公表が違う。場合によったら、逆転の可能性も?)からだ。
訴訟中に廃棄したのは、しかも論争中にこそっと廃棄したようなのだが、ギリギリ待っていたのだろう。もう拒否できないとわかり、廃棄したというわけだ。
アメリカの民主主義というのは決して公正・公平ということではない。ある意味やりたい放題のように思う。気に入らなければ裁判すれば?と居直る。するものもいる、膨大な費用と時間を覚悟する必要があるので、止めるものもいる、いや多い。裁判になってもあれこれといちゃもんをつけて長引かせる(費用が続かなくなる)、それでもだめになれば廃棄する、廃棄の責任は問われるが、不注意だったと言い張る、廃棄したから真相は闇だ、手続きは問題だったかもしれないが、内容は問題なかったと言い張ることができると、まー、こういう具合である。
こんなことを書いていると、ふとヒラリーを思い出した。
ヒラリーはトランプに負けた理由を、勿論自分以外である、いくつも挙げている、いまでは30以上あるようだが、選挙以来今もである。自分の責任であることは決して認めない。そもそもクリントン夫婦は、そのようにして生き残ってきたということだったが。
アメリカは、チャンスがある、それは弱肉強食の世界である。強い者が、図々しいものといっていいかもしれないが勝つ、正しいからではなく、認めない、居直り続けることによってである、のではないかと思う。
そして、問題のフロリダ州の選挙区は、有名な、大統領選挙(ブッシュ息子よゴア)の再集計問題の選挙区でもあったのだ。
ブロワード郡であるが、そういうDNAを持ったところなのだろう。またクリントンを思いうがべた。
いい悪いは別にして、アメリカの一面と思う。